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2009年6月21日 (日)

Robbin - コドモノチカラ - (3)

「失踪した旦那を探すんですか」
 津田は面白くなさげな顔で、半ばあきれ顔で大矢敏雄に言った。
大矢は、浅見探偵事務所では中堅の、グループリーダー的な存在
だった。組織的には、彼の配下に津田を含めた三名がいる。二つあ
る応接室のうちの片方で、いつものように調査の説明が始まった。
いつもと違うのは、津田を含めたあとの二人、斉藤光彦と川野伸二
も今回は同席していることだった。
「それも、そんなちっぽけな額で。よくあのケチな所長が受ける気に
なりましたね」
「以前、弁護士時代に懇意にしてもらっていた製薬会社からの依頼
だそうだ。そうでなければ受けなかったろうな」
「製薬会社の社員ですか」
 大矢は写真をテーブルの上に置いて、説明を始めた。
「名前は、山下幸次、三十五歳。身長百七十二センチ、体重六十五
キロ前後、中肉中背。口元の右側に大きめのホクロ、髪はウェーブ
のかかったくせ毛、目はいい。ここ一週間ばかり無断欠勤でな、川
崎の自宅に問い合わせたらずっと帰ってないらしい、で失踪届を出
す前に事前調査依頼が来たってわけだ」
「普通に警察に届ければ、いいんじゃないですか。会社が嫌になって
行方くらませただけでしょう。どうせ多摩川の河川敷あたりでウロウロ
してるんですよ。ありがちな話です」
「どうもそうはいかん事情があるらしい」
「と、いうと?」
「さあな。こっちも警察じゃないから、依頼主が言わない限りは聞けん
よ。期限は一週間だそうだ」
「期限付きですか、それも一週間。厳しいなあ」
「想像だが、やっこさん、会社の重要機密を持って消えたって可能性も
ある。それなら会社側が公にしたくない理由も合点がいく」
「なるほどね」
「これが自宅の住所、家族は奥さんと小学校四年の娘が一人。これが
そうだ」
 津田は写真を一瞥すると、ふところにしまった。あらかたの山下幸次
の行動は、すでに斉藤の方で調査済みだった。彼が消息を絶ったのは、
二週間前の金曜の夜。同僚と居酒屋の前で別れたのが、夜の十一時
ごろ。それ以降の、目撃情報がなかった。
「その同僚にも当たった。何でも山下は酔っぱらうといつも、自分はもっ
と裕福な生活を送るんだと口癖のように言ってたらしい」
「妄想癖もあるんですかね。それがストレス発散になってるんでしょう」
「さあな。だがそう言い出したのが、最近数カ月だとすると、どうだ」
「何か儲け話が転がり込んだ、ってところですか」
「その同僚もそれ以外はよく知らんようだ。山下はいつも、そいつとだけ
飲みに行く」
「ほう、気心の知れた同僚なんですかね」
「そのようだ、あまり仲間は多い方じゃなかったようだし。だが、ちょっと
引っかかることがある。考えすぎかもしれんが」
「何です」
「その製薬会社っていうのは、高木コーポレーションの子会社なんだ」
「高木コーポレーションですか」
「ちょっとな、黒い噂があると聞いた」
「どんな」
「浮浪者や金に困ってるやつから、臓器を買うらしい」
「山下もその話に一役買ってると?」
「かもしれん。社員だからな、その話を斡旋していたクチなのかもしれん」
「なら余計ですね。奴は重要な臓器売買のデータを持ってたのかも」
「会社がまずは公にしたくないっていうのも、それなら理由になりますね」
「その同僚の男の身辺も、洗った方がよくないですか。山下が相談できる
のはその同僚ぐらいなんでしょうから、彼の接触を隠してるかもしれない」
「かもな。だから君ら三人に集まってもらった。今回はちょっと厄介で期限
も切られてるから、慎重なチームプレーで頼む」

 慎重なチームプレーという言葉が、ことさらに自分に言われた気がして、
津田は少し気が引けた。昨年六月からのトリム電子産業を舞台にした一
連の殺害事件にからんで、かなり勝手で強引な独自調査をして、浅見探
偵事務所の他のメンバーに迷惑をかけていたのは紛れもない事実だった
からだ。
 こともあろうに身代金取引現場で身柄拘束され、一時は犯人一味という
ことで顔写真まで公開された時には大騒ぎになり解雇寸前だったが、濡れ
衣であったことが証明され、結果としてその後の捜査に協力して真犯人逮
捕にこぎつけたことが評価される形で、かろうじて今もここにいられた。津田
しか知らない一部の真相は、その後も警察に語られることはなく、彼の胸に
しまいこんだままだった。
 かんたんな役割分担とスケジュールを打ち合わせた後、いったん三日後
に再度お互いの情報を持ち寄ることで打ち合わせは終わった。いつものショ
ートピースに火を付け、津田はあらためて渡された写真の二人をしげしげと
見つめた。彼の役目は、その残された家族の周辺を洗い、本人からの接触
の有無を確認することだった。まずは川崎市の航空地図帳を広げ、その自
宅の位置を頭に入れると、津田はすぐさま現場に向かうことにした。

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2009年6月13日 (土)

Robbin - コドモノチカラ - (2)

 次に目を覚ました時、彼は見知らぬ部屋のベッドの中だった。いつ
どうやって、ここに運ばれたのかもわからない。全身の痛みは気にな
らないくらいにおさまっていた。顔面も少しまだ引きつれていて、全体
的にむくんだ感じはあるが、我慢できないほどではない。
 空腹感を抑えながら、彼はゆっくりとベッドから抜け出し、おそるお
そる部屋のドアを開けた。通路が左右に伸びていた。右手には分厚
いドアがあり、そこが玄関らしかった。ドアチェーンがかかっているの
で、誰かが不意に入って来る恐れはないものの、自分でかけた覚え
はなかった。
 ドアを出て、分厚いカーペットを足裏に感じながら、左の明るい方に
歩いて行く。マンションのリビングと思しき部屋が見えてきた。足を踏
み入れるとそこは、これまで見たこともない別天地だった。二十畳ほ
どはあろうかという、開放感のある空間に黒革のソファーとガラステー
ブル、その前には大型のテレビが壁際に備え付けられている。ガラス
張りの外のまぶしい景色は、テレビのドラマでしか見たことのない、見
下ろした都会の景色が広がっていた。
『ここは、どこなんだ』
 そう思った男の視界の端に、何かが動く気配があった。
「やっと目が覚めたみたいね」

 女の声がした。ビックリして声のした左の方を向くと、そこには気の強
そうな、眼鏡をかけた女の姿があった。ショートカットの栗色の髪に、赤
いルージュ、どこかで見た覚えがある気がするのだが、思い出せない。
彼女は吸っていたタバコをダイニングテーブルの上のガラス製の灰皿で
もみ消すと、つと立ちあがった。すらっとしたかなりの長身で、なかなか
のプロポーションなのが服の上からも見て取れた。
「これからのあなたの名前は、高木壮一郎」
「たかぎ…そういちろう」
「そう」
 女は、何枚かの紙を大型テレビの前のガラステーブルの上に置くと、
自分の横に座るように促した。
「この筆跡、完璧に真似られるようにしてちょうだい。それが、あなたが生
きていくための絶対条件」
 言われて手元の紙に目を落とすと、少し個性的な文字が並んでいた。
「それと、自分のプロフィールの暗記ね。この写真と一緒に」
 男はソファーに腰掛け、きょろきょろとあたりを見回した。これまでの生
活とは全く違う、その調度品の豪華さに圧倒されてしまう。
「まず、このビデオを見てちょうだい。内容を徹底的に頭に叩き込んで、
丸暗記して。あとでテストするから」
 女はビデオテープを彼に渡した。大型テレビの下にビデオデッキがあっ
たので、彼は無造作にテープを挿入した。テレビの電源が連動して自動
的に入り、テープの再生が始まった。それは二十分ほどの、ある大企業
の公告ビデオだった。記憶力には自信があったが、最後に登場した会長
の姿を見て、唖然とした。それは少し前に見たことがある顔だったのだ。

「テストは百点満点でないとダメよ。百点を取れなければ」
「…百点を取れなければ」
「あなたの人生はここで終わる」
「え…」
 女は少し顔を上げ、彼の背後に目をやった。つられて振り返ると、そこ
にはいつの間にか、テレビドラマにでも登場しそうな、黒サングラスに黒
い背広の男が無表情で立っていた。
「彼に勝てるなんて思わない方が身のため。だから必死でやることね。
それと」
「…」
「私は高木壮一郎本人の秘書であり、愛人でもあるの。だから必要な時
には、あなたの行動や一挙一動を監視して報告する。今後は一緒に行
動する時があるけど誤解しないでね、私はあなたの女じゃないから。名
前は美咲」
「美咲…」
「それと当面は、ここから絶対出ないように。食事は私が作るから、テスト
に合格さえすればあとは自由にしていいわ。何か用事があるときは、彼
に言えばやってくれる」
 彼女は、その黒づくめの男の方を顎で指しながら言った。
「察しはついてると思うけど、彼はボディガード。いつもいるわけじゃないけ
ど、あなたも彼のことを覚えていないとダメ」
「…金子健司だ」
 そう短く、その男はつぶやくように言った。

「ところで、英語はしゃべれる?」
 不意に美咲が、思い出したかのように尋ねてきた。
「え、英語ですか。中学高校では習いましたけど、その程度で」
「まったく喋れないわけじゃないでしょ、どの程度出来るの」
「いえ、本当にまったくダメです」
 美咲は大きくため息をくと、じっと男を正面から見つめながら言った。
「じゃあそちらの方も、準備するわ。堪能に喋れるようになってもらわない
とね」
「え、そんなぁ。そんなこと聞いてませんよ」
「おだまりなさい!」
 美咲の表情が変わった。
「甘えるんじゃないわよ。何様のつもり」
「…」
「高木壮一郎を演じられないのなら、あなた、用無しよ」
 その言葉に呼応するかのように、黙って背後に立っていた金子が、無
言で数歩近づいて来たのがわかった。理由もなく、背筋が凍りつきそう
な感覚が湧いた。
「あなたの代わりなんて幾らでもいる。この場にいられる幸運を台無しに
したくないのなら、死に物狂いでやることね。そうしたら…」
「そうしたら」
「そうね、ちょっとはいい目を見られるかもよ」
 美咲は意味ありげな笑いを浮かべて、男を正面からじっと見ていた。

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2009年6月 5日 (金)

Robbin - コドモノチカラ - (1)

 金持ちになりたかった。
 いつの頃からか、貧乏ゆえの小汚さに生理的な嫌悪感があった。女房の
顔も品のないブスに見えた。どうしてこんなブサイクな女と一緒になろうなど
と思ったのだろう。若いころの単なる欲望のはけ口にしかすぎない、都合の
いい女だった。妊娠させてしまっても、堕胎させれば済むと考えていた。
 そして実際に妊娠した時、それを言うと彼女は涙ながらに産ませてほしい
と哀願したのだ。冗談ではなかった。自分の人生をこんなブサイクな女と一
緒に歩むなど、考えただけで反吐が出そうだった。冬の寒空に放り出したり、
腹をけったりしたこともあるが、自分は悪くないのに「ごめんなさい」と謝りな
がら、必死に腹をかばう姿に、少しだけ心が動いたのが間違いだった。
 生まれた子供は女の子だったが、自分の幼いころの面影がある気がして、
さすがに子供には手を出さなかった。だが夜泣きなどで寝付かれずうるさい
時などは、そのぶん女房にさんざん当たり散らす日々だった。子供が成長す
るにつれ、子供と女房がかわす笑顔には心がほっとさせられる安らぎがあっ
たが、それはほんのつかの間だった。いつもそんな自分を客観的にじっと見
つめては蔑む、もう一人の自分自身が必ずいた。
 勤め先は、川崎にある小さな製薬会社だった。うだつのあがらぬ外交営業
員だったせいもあり、酒に酔って深夜帰宅する日が多かった。着ているもの
も、安月給の身としては分相応なのだが、どこか安っぽく感じられて嫌だった。
そしてそれが自分の人格すらもおとしめている気がしていた。美男美女が笑
顔で話す姿を尻目に、本当は自分もそこにいるべきはずだったのにと、何度
思ったことだろう。

 人生をやり直したい、と思わなかった時はない。自分の過去に、人生に、こ
れまでの全てに、コンプレックスと嫌悪感を持ち続けて生きてきたのだ。何も
いいことなど、ありはしなかった。これから先も、多分そうだ。どうしてこんな運
命のもとに生まれてしまったのかと、内心両親を恨んだものだった。
 だからこそ、偶然舞い込んできた甘い誘いに乗った。迷いなど、あろうはず
もなかった。人生を変えられる千戴一遇のチャンスだと思った、ただそれだけ
のことだ。家族と二度と会わないことが条件だったが、即座にOKした。あんな
ブサイクな女の寝顔など、もう見なくてすむと思うと心が晴れた気がした。子供
にも別に未練はなかった。
 整形手術後に鏡の前に立った時、わが目を疑った。過去のこれまでの自分
は、もうそこにはいなかった。今の自分が隣にいて話しかけても、女房でも絶
対にわからないだろう、そんな自信すら芽生えてきた。これからの栄光と贅沢
な人生が約束された喜び、生まれ変われたことに心から感謝した。
『これは夢だ…』
 そうとしか思えなかった。だがたとえ夢でも良かった。これこそが現実なのだ。
そう、これまでが悪夢の連続だった。だがこれからは、もう違う。ほんの少しだ
けの時間を束縛されるとは聞いていたが、それ以外は条件さえ守れば、何不
自由ない生活が送れるという約束だった。金だって使い放題だ。贅沢な暮しに
きらびやかな服、高級マンションでの生活。最高の女だって、自分のものに出
来るに違いない。まさしく心躍る快適な人生の始まりだった。

 だがその前に今は、手術時の麻酔が切れかかって、顔のあちこちが痛み始
めていた。胸板を厚くするために腹部から吸引した脂肪を入れたので、両脇の
傷口あたりにも痛みがある。美容整形などした経験がないので良くわからない
が、全身麻酔でないのが不思議なくらいだった。ベッドに横たわって、とりあえ
ず点滴のチューブだけは左腕につながれている。意識はまだボーっとしたまま
だったが、とりあえず枕元のナースコールのボタンを押して、全身にも痛みが
あることを伝えた。眼鏡をかけた看護婦らしき若い女性がすぐにやって来ると、
点滴の袋の横に新しく黄色の奴を付け加え、彼を一瞥しただけで無言のまま
足早に去って行った。
『何だよ、もうちょっと愛想よくしろよな』
 右手には窓があるが、すりガラスのせいで、外の景色が全く見えない。見え
るのは窓の上の方、透明なガラス部分越しにほんの少しだけ見える青空だっ
た。白い雲がゆっくりと流れていた。なにも物音がしない静かなその部屋で、
やがて彼はまどろむと、ゆっくりと眠りに落ちていった。

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