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2009年2月15日 (日)

バロンの夢 (2)

 やがて私たちに束の間の休息が許された。私は何気に後ろ手で
床に手を付きながらその場に腰を下ろすと、少し背を反らせた。天
井は今まで気にして見ていなかったが、なかなかどうして立派な
造りだ。がっしりした太めの木を組み合わせた、古風な造りになっ
ている。
 そんな私の右手の平に、わずかに冷たい空気が触れ、少しスー
スーする。その感じに違和感を覚えた。冷たい空気がほんのわず
かに当たっているのだ。私の右手が置かれているのは、床なのだ。
そんな隙間があるのは妙だ。
「あ…」
 よおく目を凝らして、手のひらをゆっくりと移動させながら、その床
のタイル目地に沿って、念入りにのぞき込む。わずかに冷たい空気
が感じられる部分は、その外れたタイルの端から上下にまっすぐ広
がっている。どうしてこんな簡単な部分を、今まで見逃していたんだ
ろうか。最初はタイル地の一部が簡単に外れただけで終わったので、
それ以上探さなかったからだろうか。絵模様のようになっている部分、
その全体が大きなドアになっていて、たしかにわかりづらい構造にな
っていた。
 先ほど外れたタイルのあたりに手をかけ、私が爪を立てるようにし
て持ち上げようとすると、ほんの少しだけ浮き上がった。私は横のキ
ッチンにあるナイフの先をその隙間に差し込むと、こじ開けるようにし
て何箇所かを浮かせた。やっと指が差し込めるくらいに、床全体が
すこし浮いた。そこに両手の指を添わせると、私は身体全体に力を
込めた。意外と簡単に、その床の隠しドアが開いた。思うほどは重く
なかったのが幸いだった。鈍い音をしてドアが開くと同時に、冷たい
風が穴の中から一斉に吹き上げて来る。その音に、周りの皆が振り
返っているのが、感覚でわかった。

 のぞきこんだその中は、ほぼ真っ暗で何も見えなかったが、首を突
っ込んだ状態でしばらくじっと目を凝らしていると、おぼろげながら何
かが見えてきた。すぐ真下には地面らしきものがある。その少し先に
どこからか漏れている光で、おぼろげに光の帯が揺れるのがわかっ
た、たぶん水面だろう。鉄製かどうかはわからないが金属で出来た
ように見える階段がそこの上にかかっている。水面があるあたりの先
には、また暗闇がある。すぐ真下に、まるでミニチュア模型のジオラマ
が置かれているように錯覚しそうな光景があった。
『降りてみよう…』
 未知の空間のはずなのに、特に恐怖心もなにも感じなかった私は、
ごく自然にそう思った。本能的に私は足からこの中に立とうとして、床
に腰を下ろしてまるで掘りごたつに入っている時のように足をブランと
させた状態から、斜め前に滑るようにそこに立とうとした。
 だが立てなかった。
 それは思ったよりも、かなり深さがあったのだ。自分の身長以上の
高さがあった。目の錯覚で、自分の膝ほどの近い距離に思えていた
のだが、実際にはかなりの深さがあった。奇妙な感覚を覚えながら、
それでも私は地面に降り立った。その地面はかなりの急勾配で、下
り坂になっていたので、着地する時にもう少しで足首をひねってしまう
ところだった。
 しばらくの間は周りの様子をうかがいじっとしていたが、静寂だけだ
った。どうやら誰もいないらしい。目を凝らしながら暗闇の中をゆっくり
とそしてまっすぐに歩くと、やはりそれは鉄製の階段だった。わずかな
光をたよりにじっと見ると、左側にはずっと水面があり、陸地らしいもの
が見えているのだが、直接そちら側には行けないようになっていること
がわかった。目の前の階段を使ってその前の島のようなものの上に降
り立ち、いったん向こう側からぐるりと回りこむ形でないと、左側の陸地
には行けないようになっている。
 私はここまで見た時点で、いったん降りた場所に戻ると、上に向かっ
て大声で叫んだ。自力ではもう登れない。何人かの覗き込む顔が見え
る。やがて階段梯子らしきものがゆっくりと降ろされた。先ほどのムチを
持った軍服の男が、何かを抱えて降りてきた。
「ここがそうか。やっと見つけたぞ」
 そいつはその何かを抱えたまま、躊躇なくその鉄製の橋を渡り、ぐる
りと回り込むように、私の左側の陸地に歩いていく。やがてその奥にあ
る建物らしきものの中に入っていった。
 その建物の屋根には、青いトゲトゲ様の突起があるのが微かに見て
取れた。男が入ってしばらくすると、やがてその部分全体が、低いモー
ターと思しき回転音とともに、まるでタービンか何かのようにけたたまし
い音を上げて一斉に回り始めた。それは実に不思議な光景だった。
 そいつが入った場所は暗いながらも見当が付いていた。気になって私
は、後を追うようにそこに入った。一歩足を踏み入れた途端、予想もしな
かったまばゆい光に目がくらんだ。そして次の瞬間、私はすでにそこには
いなかったのだ。

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2009年2月 7日 (土)

バロンの夢 (1)

 車でかなり長い時間揺られ続けたすえに、やっとのことで車が停ま
り、ドアが開け放たれた音と気配がした時は正直ホッとしたものだ。
目隠しを外されて初めて、ここが寒風吹きすさぶ草原の中の一軒家
の前だと知った。私以外には男性二人、女性一人の合計四人が連
れて来られた。厚手の防寒服を着ていても、身体にしみ込んでくるこ
の寒さはどうにもならない。
 軍服を着た男に、フローリング床のどこかにある隠し入口を探すこと
を一方的に命令されて、我々はその家の中に土足のままで踏み込ん
だ。家の住人は年寄り夫婦に若い女性が一人と子供が二人だけで、
みな特に我々の不意の侵入を驚くでもなく、あきらめにも似た表情で
我々の所作をじっと見つめているだけだった。

 まずは居間のテーブルと椅子が置いてあるあたりが一番怪しい。
絨毯をとっぱらい、念入りに床を調べていくが、何も変わったところは
ない。それこそ床に落ちたコンタクトレンズか針でも容易に見つけられ
るほどの念の入れようだった。
 壁際の暖炉のあたりは暖かい半面、炎が逆に邪魔になって床を見
づらい。懐中電灯でもあればいいのだろうが、そんなものは一切持た
されていない。ふと窓ガラス越しに、外が極寒の雪景色であることを
あらためて痛感する。暖かな部屋の中にいられることの幸福を実感し
ていた私をじっと見続けている、その老人と幼い子の視線がやけに
痛く感じる。
『まったく、これだから…』
 これだから、人間って奴は…と思った。だが自分自身で、その表現
に不自然さを感じた。まるで自分が人間でないかのようなものの言い
方だ。ふと何気なく、手袋を外して手を見る。
「え?」
 私の両手は毛むくじゃらだ。まるでゴリラか何かのような。不意に不
安が私を襲う。立ち上がると、無意識に鏡のようなものを探す。ない。
思い付いて、窓ガラスの所に近付く。曇ったガラスを手で拭くと、少しだ
け鏡っぽくなる。
「ウソだろ…」
 そこに映った自分の姿を見て、唖然と立ち尽くした。あの金髪、ブルー
グレイの瞳、白い肌…私の痕跡はそこには何もなかった。そこにあるの
は、さしずめ服を着たゴリラだ。
『どうしてこんなことになってるんだ』
 不意に身近で、ムチの音が大きく響く。さっきの軍服を着た男が、私が
サボっているのを見つけたのだ。その男は無言で私を睨みつけながら、
再びムチの音をその部屋中に響かせた。その男に何か言い訳出来るよ
うな状況ではなかった。私は無言で作業に戻らざるをえなかった。
 居間から隣のキッチン、バスルームやトイレまでも念入りに探しまわっ
たが、それらしい入口は見つからなかった。再度我々は、玄関からもう
一度同じことを繰り返した。何か見落としているかもしれないからだ。

 やがて「おお…」という声にならない声が、隣の居間の方であがった。
皆が駆け寄ると、女が右手に二十センチ四方ぐらいの大きさのタイルを
持っていた。自然と女を取り囲むようにして、そのタイルを皆が見つめる。
だがごく普通の白っぽいタイルのように見える。床全体にはタイル地で
模様のようなものが描かれている。その一枚を手にしていた。よくある
模様で、特に何かの意味があるとは思えない。皆は何度かそのタイル
の表と裏を覗き込むように見ていたが、やがて持ち場に戻っていった。
床のタイルが一枚剥がれただけのようだった。
 それからもずっと、床を叩いたり斜めから覗き込んでみたり、指先をわ
ずかな段差や隙間に入れてみたり、何度となくその作業を繰り返してい
た。しゃがみこんだままの姿勢や這いつくばった姿勢を交互にずっと取っ
ていたせいか、背中が痛くなって来た。私は立ち上がると、少し後ろに
上半身を反り返し、背中を伸ばした。少々肩もこっている。立ったままの
状態で、先ほどの女が外したタイルがあったあたりに立ち、周りを何とな
く見ていた。だが、特にこれといった発見は出来るはずもなかった。

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