眠りから醒めた非常警報が、再び甲高い音でその建物の内部に
響き渡り始めた。ぐずぐずしてはいられなかった。刻一刻と破滅へ
のカウントダウンが始まっているのは、相変わらず同じなのだ。あと
は運を天に任せるのみだった。
「洋子、行こう……」
洋子を促してその部屋から出て行く前に、ロビンはマユミの脇に
立った。ほんの数分前までの彼女とのやり取りが、嘘のようだった。
洋子は黙ったまま、横たわったマユミを見つめていた。
「この人は、いいの?」
「もう、死んでる」
「でも、この人はあなたの…」
「同棲相手の恋人だと思ってるんだろうけど、ちょっと違う。俺を育て
てくれた部隊長の娘さんだ。本当はこんな形で出会うはずじゃなか
ったが」
「そうだったの」
「…行こう、もうあまり時間がない」
洋子はその言葉にうなずくと、ロビンを脇から支えるようにして一緒
に歩き始めた。部屋の入口のところでロビンは立ち止ると、最後に振
り返ってマユミを見た。
『マユミ。あの世で、親父さんに思いっきり甘えろよ』
少し離れた所に転がっているゼブラの死体を一瞥して、彼らはその
部屋を後にした。
入り口のドアを出ると、急に明るい日差しが彼ら二人を包み込んだ。
その先には村上警部補や本郷刑事達が相変わらず立ち尽くしたまま、
じっと彼ら二人がやって来るのを見守っていた。
「決着は、ついたみたいだな」
村上警部補が言った。ロビンは小さく頷くと、今の発電所の内部の
状態を彼らに簡単に説明した。一番近隣にいる現場に詳しい関係者
がすでに数名到着しており、念のために消防車を呼ぶ手配もすでに
完了していたが、ロビンの説明に現場関係者の顔色が変わった。
「万一があるので、防護服の手配が大至急必要です。複数の関係者
ですぐにでも内部に入っていかないと、最悪の事態になりかねない」
「しかし、放射能漏れはまだ起こしてないようだし、何とか制御装置で
抑えられているのかもしれない」
「たしかに、でもいつ暴走するか…」
皆が不安げに建物を見上げたその時、異変は起こった。
大地を揺るがす大音響と共に、原子炉の白煙が黒煙に変わり、そ
れも異常な量が凄い勢いで噴出し始めたのだ。その噴煙はまるで天
にも届かんばかりの凄まじい勢いだった。この状態を見てしまえば、
皆パニック状態に陥るのは当然のことである。恐怖感からめいめいが
後も見ずに、一目散にその場から急いで逃げ出し始めた。同時に原子
炉のコンクリートの建屋の壁の一部が吹き飛んで、大音響と共に、逃
げて行く彼らの頭の上から容赦なく降り注いで来た。何人かの警官が
その直撃を受け、地面に倒れ込んだまま起き上がらなかった。そして
それが、逃げ惑う人々の恐怖感をさらに増長させてしまったのである。
その中に混じって、洋子を庇うようにしてその場から離れようとしたロ
ビンの真上にも、人の頭程もある大きさのコンクリートの塊が降り注い
だ。強烈なショックが二人を襲い、彼らは否応なく地面に叩き付けられ
た。辛うじて意識はあったものの、ロビンは全身が自由にならないよう
な状態になってしまった。集中的な痛みから察して、彼の背中にコンク
リートの塊が直撃したようだった。そして気を失った洋子が、ロビンの体
の下にいた。
非情にも空は、一転にわかに淀んだ黒雲で覆われ始めていた。轟音
と共に、背後の原子炉がいつの間にか燃え盛っている。ロビンにはコン
クリートが燃える光景が不思議だった。いち早く消防車が現場に駆け付
けて消火作業が開始されたが、火はいっこうに衰える気配を見せなかっ
た。その一方で、防護服を着た原子炉関係者が、火事の中を必死の作
業を決行していた。だが、彼らが内心一番恐怖していたことがやがて起
こった。あたり一面に雨が降り始めたのだ。
ロビンにもこの雨がただの雨ではないことは本能的に感じ取れていた。
何か鉄分を含んだような、異様な臭いと味がするのだ。雨が降り始める
前の土っぽい臭いとは明らかに違う。自分がこのような盾になってみた
ところで、所詮はこの放射能を含んだ雨から洋子を守れるわけがなかっ
た。それはただの気休めにしか過ぎない。だが今のロビンにはそうする
ことしか出来なかった。これまで仕事とはいえ、幾多の人間をその手で
殺して来た。その報いが今訪れているのかもしれない。だが出来ること
なら、この放射能を一身に浴びても、周りの人間が皆死に絶えても、洋
子にだけは無事でいて欲しかった。
「洋子は関係ないんだ。お願いだから、不幸は俺一人だけでたくさんだ。
頼む!」
ロビンは生まれて初めて、神に祈った。洋子だけは自分の生命に代え
ても守り通したい、それが津田宗弘としての、そして傭兵ロビンとしての
一人の男の確固たる意思だった。
「黒い雨が…」
ロビンは、泣き出した曇り空から舞い降りる、灰色の雨粒を見上げなが
ら、つぶやくように言った。それが自分の顔を始め、あたりのあらゆる場所
を濡らしてゆく。瓦礫が散乱するだけの身を隠す場所すらない状況で、人
々はただじっと黒い雨に打たれるだけだった。
「洋子、俺はこれからどうしたらいいんだ。教えてくれ」
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