RobbinⅡ-レイン計画- 第四章(9)
結局津田は、彼女に通訳を頼むことに決め、顔見知りになれたこと
を祝って、夜何処かで一緒に夕食を食べようということになった。
「チチェック・バザール、わかりますか」
「は?」
「イスティックラル通りは、どうです」
「はあ。ちょっと……」
「チュネルはご存知ですか」
「すみません、何ですかそれ」
「じゃ、タキシムは?」
「それなら、何とか」
「じゃあ、ちょっと津田さんに苦労してもらいましょうね。いいですか、タ
クシーは一切使わないこと。歩くだけも駄目。ここからイスティックラル
通りのチチェック・バザールの前まで十五分以内に来て下さい。私は
そこで待ってます」
「俺を試そうっていうことなのかな」
「ま、そう言うことになりますね。幾ら何でも、あんまり足手まといにな
られると、こっちが迷惑するでしょ。私にだって、一緒に仕事をすること
になる以上、相手を選ぶ権利は有ると思うわ」
「厳しいなあ。でも、ま、仕方ないか」
「じゃ、十五分後に……。会えることを祈ってるわよ、津田さん」
そう言うと杉本弘美は、足早に去って行った。後に残された津田は
ただただ唖然とその後ろ姿を見送るばかりだった。
『参ったな、思いのほかに気の強いお嬢さんだ。だが、彼女の言うこと
も一理あるしな。さてと、兎に角、イスティックラル通りのチチェック・バ
ザールとやらに十五分以内に行かないと、せっかく見付けた優秀な通
訳のお嬢さんが、何処かに消えちまうわけか』
津田はどういう手段で行ったら良いのか、考えあぐねていた。どれも
何となく記憶にある名前なのだがすぐには思い出せないうえに、全然
頭の中でそれらの場所的な関連性が理解出来ていなかった。領事館
が近くにある関係で、タキシムは何度か行ったことがあるので判るの
だが、タクシーを使わないで、という彼女の条件は厳しかった。津田は
これまでタクシーでしか動いていないのだ。
『バスに乗るって言ってもなあ、何番のバスに乗りゃいいんだ。それに
俺はバスの切符なんて持ってないぞ』
そうこう考えているうちに、ふと腕時計を見ると、すでに貴重な五分が
過ぎ去ってしまっていた。やがて津田は、その公園と道路を挟んで反
対側の角に、ちょうど地下宮殿の入り口の反対側にある観光警察の
窓口に向かうと、何やら尋ねた後、再び先ほどの公園の側に道を渡っ
て行った。
『ああは言ってみたけど、大丈夫かしら』
杉本弘美はイスティックラル通りに面したウインピーに入ると、一階の
席にすわりコーラを飲みながら、正面にあるチチェック・バザールの入口
を見詰めていた。
『やっぱり、ちょっとキツかったかなあ。一週間しかいないほとんど観光
客に近い人が、あそこからここまでタクシー使わずに十五分で来るのは
無理だったかしら。悪いことしたなあ、諦めて帰っちゃったかも知れない
な。私がからかったと思ったかも……』
少々、自分の先ほどの言葉を反省してみるのだが、今さらどうしようも
なかった。
『ちゃんと来てくれたなら、もしタクシー使ってたとしても、大目にみちゃ
おうかな』
ちょうど彼女は、帰国しようかどうしようかと迷っているところだったの
で、通訳の仕事なら少しは気分転換になりそうに思い、引き受ける気
でいたのだった。理想と期待感に胸膨らませてイスタンブールにやって
来たのが、つい数ヶ月ほど前のような気がする。
『私は結局ここで、人間を失ったのかも……』
ふと彼女がそんなことを考え始めながら、チチェック・バザールの横に
何気なく目を向けた時、彼女は自分の目を疑った。じっと立ったまま腕
組みをして、店の中で座っている彼女を見詰めている、サングラスを掛
けた一人の見覚えのある男の姿が目に入ったからだ。
「津田さん?でも、そんなに早くどうして」
彼女は津田が来てくれたことが嬉しかったが、同時に失望感もあった。
先ほどまでは、たとえ大幅に遅れても、津田がここに約束通り来てくれ
さえすれば、通訳の仕事を請け負うつもりになりかかっていた。だがこう
してほとんど彼女とほぼ同じくらいに、明らかに後発の地理に詳しくない
津田がここに到着するためには、安易にタクシーを使ったとしか考えられ
ないのだ。
『もう少し骨のある人かと思ってたんだけどな。でも、仕方ないな。骨の
ある男なんて、ここにいるわけないもの。馬鹿ね、私。一体何をあの人
に期待してたんだろう』
彼女は津田の視線に促されるように店を出ると、津田の所に一直線
に歩み寄って行った。
「よっ、気が付いてくれたみたいだね。弘美ちゃん」
津田は笑顔で彼女にそう言ったが、彼女の方は津田を睨みながら、
ふくれっ面で言った。
「津田さん。タクシー使ったでしょ!」
「何もそんな怖い顔して睨まなくてもいいじゃない。約束通り使わなか
ったよ、本当だよ」
「嘘!タクシー使わずに、貴方がこんなに早くここに来られるはずがな
いわ」
「おいおい、信じてくれないのかい。思い込みの激しい娘だなあ」
「じゃ、どうやって来たのか、伺いたいわ。それに貴方は一体いつから、
ここに立って私を見てたの。全然気付かなかったけど」
「その前に是非とも、正解を教えて欲しいな」
「いいわ。じゃ、ここじゃ何だから、場所変えましょ。ついて来て」
そう言うと杉本弘美は、チチェック・バザールと書かれた建物の入り口
を通り過ぎ、その脇の露店市場のようになっている所に入って行った。
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