RobbinⅡ-レイン計画- 第四章(8)
海外で女一人でこれまで生き抜いてきた自信が、彼女から日本女性
の女らしさやしおらしさを奪ってしまっていると言えなくもないが、津田は
それは仕方のないことだと承知していた。女らしさを成田に捨てて来る
覚悟でいなければ、たとえ親日的なトルコとは言え、とても今まで無事
で居られるはずもなかった。中途半端に可愛いい女を引きずりながら、
自分の意思で長期を生き抜いていくなど、絶対に不可能なことなのだ。
男ですら、それに耐えられる人間は最近では少なくなってしまっている。
『若いのに似合わず、結構しっかりしてるんだなあ』
と、職業柄これまで色々な人間を見てきた津田が驚嘆するぐらいだか
ら、よっぽどである。だが津田はそんな彼女と話していて、ふと一抹の
不安を感じた。
『たしかに必死になって生きてるのは判るんだが、何て言うか、こう、虚
勢を張ってる弱さみたいなものも感じるんだが。彼女って、根は結構デ
リケートに出来てるんじゃ無いのかなァ。海外じゃストレスは結構たまる
から、発散しようがなけりゃあ、落ち込んで精神的に不安定になること
だってあるわけだし。ふ、考え過ぎだな。トルコ人の彼氏がそのあたり
はフォローしてるんだろう、きっと。それにそこまで俺が関わり合いにな
る必要もないか』
簡単なテストのため、近くのバッカル、早い話が日本で言うキオスク
のようなもの、で唯一カラフルでない新聞を購入すると、津田は彼女と
先の遊牧民の看板のかかっている店を訪れた。
「やあ、津田さん」
狭い螺旋階段を二階に上がると、絨毯売り場となっているフロアー
があり、そこには日本語を流暢に話すトルコ人兄弟がいた。接客中だ
ったが、津田の姿を見つけると、笑顔でそう気軽に声をかけてきた。
「ああ、お友達とご一緒なんですね」
三兄弟のうち一番年少のハッサンが、そう津田に言った。三十前の
割には童顔な部類なのだが、イスラム教徒の慣習でひげを生やして
いると、皆かなり年齢以上に年上に見えるから不思議なものである。
「ちょっと場所、借りていいかな」
津田は空いている一角をあごで指して、そう尋ねた。
「ええ、どうぞ。飲み物はチャイにしますか、それともビール」
笑顔でハッサンがそう受け答えた。ここ数日間、彼らは津田に嫌な
顔ひとつせずに、いつも歓迎してくれていた。口コミで観光客が訪れ
ているのだが、彼らは丁寧に絨毯の良し悪しの見分け方を説明し、
もし気に入ればと必ず前置きした上で、色々な絨毯を広げていく。観
光地でありながら、決して無理に押し付けるような売り方をしないとこ
ろが、良心的な店である事がわかる。値段も近隣の観光客相手の店
の数分の一にしかすぎなかった。
絨毯の売買交渉の風習なのだろうが、一つのスペースが大型絨毯
を広げられるぐらいの広さで区切られ、それが幾つか隣り合っている。
津田はハッサンにちょっと耳打ちすると、一番奥の大きな部屋の片隅
の、絨毯が平らに積み上げられている場所に上がると、横に杉本弘美
を手招いた。
「じゃあ、悪いんだけど、ちょっとテストさせてくれるかな」
「はい、何をすればいいですか」
「この新聞の…」
そう言って津田は、先ほど買った新聞を広げた。
「ここの記事、訳してくれないかな」
津田は適当に記事を指差した。
「……ああ、教育省のユゼル氏がプロジェクトを新規に起こす奴ですね」
杉本弘美は、まるで日本語の新聞を読んでいるかのように、流暢に説
明し始めた。そのあたりに絨毯を探しにやって来たふりをして、ハッサン
が横で耳をそばだてて聞いている。
「と、いう内容です。ご理解いただけましたか」
「ふうん」
感心したふりをして、津田はそっとハッサンの方を見る。ハッサンは少
しうなずくと、絨毯を一枚持って去って行った。内容が間違っていない、
という証拠だった。運ばれてきたチャイをおいしそうに飲みながら、杉本
弘美は言った。
「トルコの新聞って、まるで日本のスポーツ新聞みたいでしょ」
「たしかに」
やたらカラー印刷の一面が目立つ新聞が多かった。日本のそれと比
べると、印刷技術はまだ見劣りするものの、たしかに見た目のインパク
トはある。
「どうして、ジュムフリエット紙を選んだんですか」
「ああ、この新聞のこと」
「ジュムフリエットって、日本語で言うと共和国って意味なんです」
「ふうん。新聞の名文字だけが赤くて他がモノクロだったから、ただ何と
なく選んだだけだよ」
「そうですか。実は私が購読してるのも、この新聞なので」
「へえ、そうなんだ」
やがて巨漢のトルコ人が津田に挨拶にやって来た。ハッサンの兄にあ
たる次男のアルパッサンだった。朝一から車を飛ばしてヘレケにシルク
絨毯の仕入れに行っていたらしいが、良い物が見つからなかったとぼや
きながら、ビールを津田と杉本弘美に勧め、自分も一緒に飲んだ。
「帰ってきてたのか」
商談を終えたハッサンが、その場にやって来て、話に合流した。
「お二人とも、すごく日本語がお上手なんですね」
杉本弘美が、感心したように言う。
「はい、日本好きですから。それに私たちが相手している八十パーセント
は日本からのお客さんだから、話せないと困るしね」
「アルパッサンさん、ってこの前の日本領事館主催の日本語コンテスト
に出られてませんでしたか。私の思い違いなら、ゴメンナサイ」
「よくご存知ですね。出ました」
「新聞記事に載ってた写真に写ってた人とすごく良く似てるから、ひょっと
したらと思って」
「そりゃあ日本語が上手いはずだ。で、結果はどうだったんですか」
津田が尋ねた。
「はい、優勝しました」
「すごーい」
杉本弘美は自分のことのように、嬉しそうな顔をした。
「実は、アルパッサンには逸話があってね」
ハッサンがニヤニヤしながら言った。
「?」
「昔、街角で座って歌を歌っている日本人女性がいたんです」
「また、その話か」
苦笑いしながら、アルパッサンが言う。
「ちょうど日本語を習いたてで、日本人と話したかったアルパッサンは
隣に座って、しきりに話しかけたんです」
「それで」
「でもその彼女は無視しながら、歌い続けていた」
「ふうん」
「それでも、アルパッサンは自分は怪しい者じゃないと言って、話しか
け続けた」
「ふむふむ」
「そうしたら、遠くでカーットって声がして」
「カーット?」
「そう、プロモーションビデオの撮影だった」
「えー、本当に」
「はい、えらく怒られました。その人は歌手だったらしい」
「その歌が、飛んでイスタンブール」
「へえ…」
「嘘でしょ」
「いえ、信じてもらえないかもしれませんが、本当の話です」
アルパッサンとハッサンは、笑顔でそう言った。
| 固定リンク

コメント