RobbinⅡ-レイン計画- 第四章(6)
それから一週間後、スルタン・アホメット・ジャミイとアヤ・ソフィアの間
にある公園のベンチで、困惑して昼間から座り込んでいる津田の姿が
あった。
『弱ったな。予想してたとは言え、何て報告すりゃいいんだ。完敗じゃな
いか』
津田の口許からは、さすがに溜息ばかりが漏れていた。通訳が見つ
からないという、懸念されていた最悪の事態になってしまったのだ。す
でにこれまで、津田はあらゆる手段を講じて通訳を見付け出そうとして
きたのだが、全て空振りに終わってしまっていた。
一番自然そうなカバーとして、彼は新進のルポライターになりすまし、
いの一番にイスタンブールの日本領事館に乗り込んでみたのだった。
もちろん贋の名刺と、それらしい出版物を持って行くことは忘れなかっ
た。それらを利用して、ひとしきりこれまでの嘘の実績を説明し、今回
トルコ各地の人々の生活に触れると同時に、それを通して、かつての
東ローマ帝国から現在に至る栄枯盛衰のトルコの歴史や遺跡の数々
を特集記事にするためにやって来た、とそれらしい目的をでっち上げ、
ついては現地の人にも取材をしたいので、トルコ語と日本語の通訳の
出来そうな人物を紹介してもらえないかと持ちかけ、かなりねばった
のだが、あいにく今はそれらしい人物はいない、とやんわり断られて
しまった。
脈はあるようだったので津田は、一応泊まっているホテルの名前と
電話番号を伝え、もし該当しそうな人間が見つかったら是非連絡して
くれるようにと頼んだ。ホテルのチェックイン時に記入した本名の津田
は、同伴で来ている雑誌社カメラマンということにしておいた。その方
が自然だし、格好が付くわけである。そのせいか、領事館で津田の
応対に出た人間も、彼のことをすっかり信じ込んでいるようだった。
「普通ですと、一般の方にこの種の紹介はしないことになってるんで
すが、そういうことでしたらトルコの紹介にもなるわけですから、個人
的にはなんとかしてあげたいんですがねえ。つい数ヶ月前だったら、
一人該当する人間がいたことはいたようなんです。留学生でしたが、
アルバイトに通訳の職を探してましてね。彼女だったら適任だったん
でしょうが、残念ながら今はもう帰国してしまったんで、紹介してあげ
たくてもねェ」
と残念そうに言ってくれたのが、せめてもの救いと言えば救いであ
った。日本であったらこうも簡単にことは運んでくれない。
次に津田は、若い日本人観光客でイスタンブールに長期滞在して
いる人間を探し出すことにした。横の繋がりから、通訳の出来そうな
人間が居ないかどうかを探ろうとしたのだ。泊まっているホテル近く
の遊牧民の看板のかかった店は、絨毯屋と出来たばかりのホテル
の両方を経営している店であったが、そこにも足を踏み入れ、日本
語のかなり流暢なトルコ人兄弟とも親しくなり、何人かを紹介しても
らったものの、簡単な日常会話は出来ても、結局は通訳レベルに達
したトルコ語の喋れる人間は居なかった。
最後に残った手段として、彼は日本企業に接触してみることにした。
トルコ語の通訳を雇っている可能性が強かったからである。だが津田
の意に反して、接触してみた数社は全て、英語の喋れるトルコ人が
通訳の役目を果たしており、わざわざ日本人通訳を雇う必要はない
という見解だった。
トルコ語が出来なければ調査など出来るはずもないことは、この一
週間で津田も身にしみて感じていた。実際に川田が住んでいたスワ
ディエのアパートにも一度足を向けたのだが、応対のカプジュは全く
英語が通じなかった。そのアパートの住人で英語が喋れるというトル
コ人にも会ってみようかと考えたのだが、迂闊に核心に触れるわけ
にも行かず、結局アパート周辺の様子を探った程度で、そのまます
ごすごと引き下がらざるを得ない羽目になっていた。
もちろん彼自身も必死にトルコ語を覚えようと試みているのだが、
所詮は生活レベルの会話でしかなく、最低限トルコ語の現地新聞
が自由に読めて理解できるレベルでなければ、調査になりはしな
い。それに残念ながら、今さら新しい外国語を短期間でマスター出
来るほど、彼の頭は柔軟には出来ていない。
『完敗だ。二度目があるかどうかは判らんが、出直すしかないな』
津田は今さらながら、安請け合いをしてしまったことを後悔した。
川田の落胆する様子が脳裏にちらついた。最早これ以上イスタン
ブールにいても金の無駄遣いだった。サマータイムを実施している
ので、今のトルコと日本との時差は六時間である。今から日本に連
絡を入れて引き上げる準備をしようかと、津田が思い始めた矢先だ
った。
「あの……何かお困りなんですか?」
若い日本人らしき女が、津田が座っていたベンチに近付いて来て、
彼に声を掛けたのだ。
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