RobbinⅡ-レイン計画- 第五章(4)
「……当日に、このフロアに入ったと思われる人間が居たかどうか、を
まず尋ねられたそうです。彼が知っている範囲では、アパートの住人
以外は出入りしていない、と答えたそうです。ただし彼は当日朝の十
時頃、五階の住人から買い物を頼まれて出掛けていますから、その
間に誰かが出入りしていればわからない、と」
「これまでここには、誰か尋ねて来たことがあるとか」
「……そこまではわからない、と言ってます。その事件の起こる数日前
に、日本人らしい若い女性が訪ねて来たのを一度垣間見てるので、多
分ここに来たんじゃないかと思うが、事件には関係ないだろうと思う、と。
このことは警察には言ってないそうです。警察は男性の出入りがあった
かどうかを執拗に尋ねたそうです。彼も容疑者的な扱いを受けたそうで、
とんでもないことだと言ってます」
「若い女性だって。初耳だな。特徴は、何か覚えてないか」
「……全く覚えてないそうです。髪の長い東洋系の顔つきだったことし
か。背は余り高くなく、ちょうど私より少し高いぐらいだったと思う、と」
「ふうん。ところで川田さんの奥さんは、どんな人だった」
「……親切で、笑顔の素敵な人だった。あんないい人が殺されるなんて、
犯人は何て残酷な奴だろう」
「川田さんの奥さんは、彼に色々用事を頼んでたのかな」
「……いえ、ほとんど自分で買い物等に行ってたみたいです。川田さん
から頼まれてたのは、毎朝の新聞の購入と時折ビールの注文やガスの
補充依頼がある程度で、郵便を持って行くと必ずチップをはずんでくれた、
と言ってます」
「彼女は、長時間の外出は頻繁にしていたのかな」
「……いえ、ほとんど出て行っても、小一時間程度で帰ってくることが多
かったようです」
「ふうん。ところで、彼女はトルコ語の方はどうだった。旦那さんの方はか
なり苦労してたみたいだけど」
「……全く喋れないと思ってたけど、結構それなりに意思は通じた、と言っ
てます」
「それなりに、とはどの程度」
「……普通に、と言ってます。これは自分個人の印象なんだが、彼女はト
ルコ語が喋れるのに、わざと下手に喋っているような感じがした、と」
津田にとって、これは意外な答えだった。
『トルコ語が喋れるのに、上手く喋れないふりをしてたって言うのか』
「どうして、そう思ったのか、尋ねてもらえるかな」
川田が赴任していたのは英語圏なので、もしそれが事実だとすると解せ
なかった。
「……単語を良く知ってたし、言葉の語尾変化に間違いがなかったから」
「言葉の語尾変化?何、それ。弘美ちゃん、わかりやすく教えてくれるか
な」
「トルコ語っていうのは、人称や時制を表わす接尾語が、動詞の後ろにく
っ付いていくんです。トルコ語を習い始めた当初は、私もかなり苦労しまし
た。単にくっ付いていくだけじゃなくて、子音が有声から無声になったり、
途中の母音が欠落したりするんです」
「彼女はその辺まで、ほぼトルコ語をマスターしてたってことかい」
「……そのようです。以前にここに長いこと居てトルコ語を勉強してたんじ
ゃないんですか」
「いや、川田さんの話では、彼女は大学時代に友人とイスタンブール旅行
をした程度だ、と言ってる」
「ふうん……そうですか」
「で、警察からはその後何か言ってきたのかな」
「……いえ、その後は何の音沙汰もないそうです」
「そうか、やっぱりな。迷宮入りになってる可能性が高いな」
「特にこれと言った証拠がないから、ですか」
「そう、たしかにこれは犯人の特定が難しいな。本郷を連れて来れば良か
った」
「本郷?お知り合いの方ですか」
「ああ、ちょっとね。ところで弘美ちゃん、警察の方には行ったらある程度の
ことは教えてもらえるのかな。指紋検出の結果とか、捜査上でこれまでに
判ってることとか」
「さあ……申し訳ないけど、私はその時は一緒に行きたくありません」
「え、行ってもらえないの」
| 固定リンク

コメント