RobbinⅡ-レイン計画- 第五章(3)
「じゃ、カプジュを呼びますけど、いいですね」
そう言うと杉本弘美は、玄関の脇の住人の呼び出し釦の下に少し離
れてある、『カプジュ』とトルコ語で書かれた釦を押した。ややあって、
玄関のドアのロックが内側から解除されるブザーのような音がして、同
時に杉本弘美はドアを押していた。
「へ?相手の確認をせずに、ドアロックを解除するの」
「ええ、大体こういう場合がほとんどです。だから、津田さんだって簡単
にこの建物の中に入れますよ。手当たり次第に釦を押せば、誰かがこ
うして招き入れてくれますから」
「厳重なシステムが徹底されてるものだとばかり思ってたんだが、現実
は違うってことか」
「トルコでそれを望むのは所詮は無理な話ですよ、津田さん。この国は、
たしかに一見パッと見はすごく良いように見えるんですが、良く見ると実
はそうじゃないんです。このアパートだって、そうです。日本の観点だと
いかにも鉄筋でしっかりした造りになってると思いがちですが、中身は
やわな煉瓦状のブロックの積み上げがほとんどで、鉄筋なんて数える
くらいしか入ってませんよ。壁なんて、ハンマー一つ有ればすぐに壊せ
るんですから。たとえるなら、ちょうど子供が造るダイヤブロックの建物
と大差ないですよ」
「じゃ、地震が来たら」
「はい、もちろんイスタンブールは壊滅でしょうね」
こともなげに杉本弘美はそう言い切った。
やがて怪訝そうな顔をしながら、カプジュが地下からのそのそと階段
を上がって来た。杉本弘美は彼に近付くと、流暢なトルコ語で話しかけ
た。しばらくの間、彼らのやり取りが続いたが、津田に判ったのはカワ
ダとかジャポンとかの類の単語にしか過ぎなかった。やがてカプジュは
地下への階段を降りて行った。
「津田さん、彼が例の川田さん一家が住んでいた部屋を見せてくれる
そうです。殺人事件があったせいで、後の入居者が未だに決まってな
いらしくって。このビルのオーナーから鍵を預かってて、本当はオーナ
ーや不動産屋の紹介で部屋を見に来た人間にだけ見せるように言わ
れてるらしいんですが、川田さんの知り合いということで特別に見せて
くれるそうです」
この全く予期していなかったスムーズな事態展開に、津田は内心小
躍りして喜んだ。やがてカプジュが鍵をジャラジャラいわせながら、再
び階段を上がって来た。彼らはドアを引いてエレベーターに一緒に乗
り込むと、ドアを閉めたカプジュが最上階の十二階の釦を押した。エレ
ベーターが動き出し、同時に津田は唖然とした。動くエレベーター側に
ドアの類が何もないのだ。つまり眼前には各階のエレベーターのドア
が、時折上から下にむき出しのまま、コンクリートの壁と交互に流れて
行く光景がある。杉本弘美やカプジュが平然としていることから、これ
が通常なのだろう。
『まあ、エレベーターが動いている様子がわかると言えば、そういうこ
とになるんだが』
到着した十二階には、部屋のドアは一つしか見当らなかった。ワン
フロアのかなり広い部類の高級アパートらしかった。カプジュが鍵を開
け、内部に彼らを招き入れた。ドアを開けた正面が応接間になっている
ようで、床にひかれた派手な絨毯が津田の目に飛び込んで来た。その
横で杉本弘美が色々とカプジュに尋ねている。
「この絨毯の上の、このあたりで、川田さんの奥さんが死んでいたそう
です。川田さんの絨毯だそうですが、彼が残して行ったらしくて、高い
物だし特に捨てることもないので、洗ってそのまま置いてあるそうです」
自分が川田ならやはりそうするだろう、と津田は思った。そんな絨毯を
平然と持って帰れる神経がある筈もない。持って帰っていたなら、或い
は津田は川田を疑っていたかも知れない。
「かなり前の事だから、あまり覚えてないかも知れんが、彼にその時の
状況を説明してくれるように言ってもらえるかな。それと、警察にどんな
ことを聞かれてどう答えたのかも」
「はい……」
窓からの景観が良いのを一瞥して、津田は川田から聞いたことをメモ
してある手帳を取り出した。カプジュがどんなことを警察に尋ねられたの
かは川田は知らない筈だから、その点を特に思い出してもらう必要があ
った。杉本弘美は、先程あらかじめスワディエの角のバッカルで買って
おいた、冷えた缶コーラをカプジュに勧めながら、色々と尋ねていた。
「津田さん……彼がその事件を知ったのは、川田さんが血相を変えて帰
って来た後で、多分時間は午後の四時半前後だったと記憶している、と
言っています」
はやる気持ちを押さえながら、津田は順に一つ一つ、川田の説明の裏
を取るかのように尋ねていった。杉本弘美の喋るトルコ語は、津田が思っ
ていた以上だった。横で聞いていると、まるでトルコ人が二人で喋ってい
るような錯覚すら覚えたくらいで、逆に彼女の方が流暢に喋っていると言
えた。
「……で、警察からはどんなことを尋ねられたの」
| 固定リンク

コメント