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2008年5月 6日 (火)

RobbinⅡ-レイン計画- 第四章(11)

 杉本弘美にとって、この津田の行動は意外だった。よく近くの子供達
が路面電車を面白がって、車両後部の金属で出来た熊手のように出っ
張っている部分に掴まって、ただ乗りのように面白半分にぶら下がって
いるのを、彼女は何度も見ていた。だが大の大人が、別の目的でそこ
にぶら下がっていたなど、想像すらしていなかった。
 そう言われてみると、津田を見つける少し前に、路面電車が目の前を
横切って行った気がする。
「でも、どうして私があそこに居ることが、津田さんにわかったんですか。
それにいつからあそこにいたのかも、全然わからなかったし」
「勘さ。それに見付からないようにするのは仕事柄、得意だからね」
 そう短く笑顔で言うと、津田は愛用の煙草を取り出し、彼女に断って
から旨そうに一服した。
「面白い人ですね、津田さんって」
 杉本弘美は、思っていたことが素直に口を突いて出たので、自分でも
びっくりした。
「へ?」
 その津田のきょとんとした表情に、思わず彼女は笑い転げた。彼女が
これまで気を張って生き抜いて来たこの地での生活の中で、失われた
ものは多い。だが今の二人の時間の中には、彼女が思わずホッとさせ
られる、懐かしい何かが確実に有った。
「じゃ今度は、津田さん、お仕事の話を詳しく聞かせて下さいな」
 そう言うと彼女は、二杯目のビールを注文した。夏だと言っても、日本
のように冷房が効いているわけではないので、そのビラハネの中はか
なり蒸し暑く、窓を開けているとはいえ、外の方がまだ涼しいように津
田には思えた。新たに運ばれてきた冷えたビールが咽に心地好い。
「じゃ、話そう。端的に言えば、さっきも君に言ったと思うけど、プライベ
ートな調査ってことになる。ただしちょっと内容が内容なんで、一切他人
には口外しないで欲しい。これが君に依頼するにあたっての、こちらの
条件だ。いいかい」
「他人に知られるとまずいことなんですか。いいですけど、悪いことに利
用されるのはお断りですよ、津田さん」
「ああ、もちろん。そんなんじゃ無いんだが、どうもあまり人に好かれる
職業とは言い難いんでね」
「そう言えば、津田さんのご職業をまだお聞きしてなかったですね」
「聞いたら多分、身構えるかもね。探偵なんだ」
「探偵!それって、あの」
「念のため言っとくけど、私立探偵じゃないよ」
「じゃあ、興信所の人、ってことですか」
「そう、びっくりした?でもゆすりやたかりを商売にしてる輩とは、違うつも
りなんだが」
「だから、調査と言ったんですね」
「ああ。何だったら、今からでも遅くないから、断っていいよ」
「まさか。私って、そんな女に見えますか。ここに二年半も住んでれば、
そんなことでいちいち驚いてちゃ生きてけませんよ」
 杉本弘美はそう言って微笑んだ。歳相応のあどけない少女の面影と同
居する、一人の女の逞しさがそこには垣間見えた。
「わかった、じゃ調査内容の説明をしよう」
 津田は、今から一年ほど前にこの地で起こった、川田良子殺害事件と
塚本美雪の件の顛末を、かいつまんで杉本弘美に説明した。彼女は額
に皺を寄せながら、じっと聞き入っていた。
「雨を知り過ぎたって、何のことだか見当付かないですね」
「そう、謎めきすぎてるんだ。だからとにかく明日にでも、さっそく現場に
一緒に行ってもらって、そのカプジュとやらを中心に、色々聞き込みの
手伝いをして欲しいんだが」
「了解。スワディエだったら、エミニュヌからバプールでカドキョイまで渡っ
て、サヒルヨール沿いにドルムシュかバスで行けば簡単です」
「何だい、そのドルムシュって言うのは」
「ふふ、明日になれば判りますよ。多分、津田さんはバプールも未体験
なんでしょ」
「ああ。お恥ずかしい話だが、タクシーでしか移動してなかったからね」
「仕方ないでしょうね。トルコ語が喋れなければ、そういう現地の乗り物
はどうしても敬遠しがちになってしまいますから。多分、バスに乗ったの
も今日が初めてだったんでしょ」
「そうだね。お陰でいい経験させてもらってるよ」
「ふふ、それは額面通りに取っておくことにします」

 その日は二人はそこのビラハネを出た後、チュネルの近くにある彼女
の知っているトルコ料理レストランで夕食を済まし、明日の待ち合わせ
場所と時間を決めて別れた。そして津田は杉本弘美に教えられた道を
通って、カラキョイまで降りた後、結局ホテルまでぶらぶらと歩いて帰っ
たのだった。
 杉本弘美の教えてくれた道は、チュネルの駅入口脇の楽器屋のある
通りを通ってガラタ塔まで出て、彼女が通称「娼婦坂」と呼んでいる急な
坂道を降り、カラキョイまで出て来る道だった。ガラタ塔周辺にはディナー
ショウ目的の観光客がたむろしており、一方で娼婦坂の途中の左に入る
道の十メートル程先の左側には、何やら目をギラつかせた男達がそれな
りの異様な雰囲気を作っている。そこに赤線地帯があることを、津田は男
の勘で悟った。
『表の顔と、裏の顔か。さしずめ病んだ観光都市の姿、ってところだな』
 矛盾したようでもあるが、だがこれが冷酷な現実だった。津田はなぜ杉
本弘美がわざわざこの道を通って帰るように彼に教えたのか、何となくわ
かるような気がした。

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