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2008年1月31日 (木)

RobbinⅠ-帝王の花嫁- 第十一章(5)

「何か、私にお役に立てることですか」
「ええ、今さら……というか、ちょっと言い出しにくいんですが、ご気分を害
されるのは承知の上で、少々お伺いしておきたいことがありましたもので」
「ああ、例の件のこと、ですか」
「ええ」
「わかりました。じゃ今日は早目の店じまいにしましょう。なあに滅多に来
る人なんて居やしませんから大丈夫ですよ。すみませんがちょっと待って
ていただけますか」
 そう言うと佐々木はつと立ち上がり、出入口のシャッターを閉めに行った。
あの事件は全て片が付いたのだし、今さら終わったことをほじくり返して一
体どうするのかと訝しがられ、嫌な顔をされると思ったのは、津田の考え過
ぎのようだった。シャッターを閉め終わると佐々木は、鍵をポケットにしまい
ながら再び津田の前のソファーに座った。
「お待たせしました。じゃ津田さん、何なりと。しかしこう言っては何ですが、
今さら私にお答え出来るようなことが何か残っていたんですか。私の知って
いることは、何もかも包み隠さず警察の方にあの頃、全て繰り返し申し上げ
たつもりだったんですが。それにもう、あの事件は決着が付いてしまってる
んでしょう」
「……佐々木さん」
 津田は伏せ目加減にそう言うと、ポケットからショートピースの蒼い箱を取
り出した。一本を口にくわえ、ライターを取り出そうとポケットをまさぐった。し
かしなかなか見つかりそうもない様子を見かね、間髪を入れず津田の目の
前に、佐々木の右手が火のともったライターを差し出した。
「あ、これはどうも」
 津田は煙草に火をつけると、軽く煙を吐き出した。そして次の瞬間、津田
は大声を上げて笑いだした。しばらくそれを呆然と見ていた佐々木だったが、
やがて
「はて。何がそんなにおかしいんですか、津田さん」
 と、さすがに津田の高笑いにムッとしながら聞いた。津田は笑いながら答
えた。
「いや、はは、これは失礼。こうもうまくいくとは思わなかったもので。いや、
すみませんでした。おかげで納得出来ました。どうも有難うございました。わ
ざわざ出かけて来た甲斐が有りましたよ」
「うまくいった、ですって。一体、何のことですか」
「巽明代を、どこへやりました」
「明代を?いきなりどういうことですか。明代は刑務所で服役中のはずじゃな
いんですか。それを、どこへやった、っていう言い方はないでしょう、津田さん。
失礼だが何か勘違いされているようだ」
「おや、そうでしたか。私はてっきり、彼女は出所後に、いの一番にここへ飛
んで来たと思ってたんですがねえ」
 津田は微笑しながら、吸っていた煙草を灰皿で荒々しくもみ消した。黙って
佐々木の顔をしばらくの間見つめていたが、さらに彼は新しい煙草を一本抜
き取ると口にくわえ、手で佐々木に先程のライターを貸してくれという動作を
した。佐々木は津田に先ほどのライターを手渡すと、
「そうですか、彼女は出所したんですか。それは全然知らなかった。確かに
私は彼女の手練手管に騙されて、会社の秘密をついうっかりと喋ってしまっ
たドジな男だが、私は別に彼女を恨んではいない。いつかは私だって退任す
る日が来る。それが少しばかり早かっただけだ。そういう運命にあるんだった
ら仕方ないと思ったら、不思議と彼女を憎いと思う気持ちは起きなかった。そ
れを津田さん、貴方は私と彼女がまるで共犯のようにおっしゃる。冗談も程々
にして下さい。貴方だからこうして我慢してるが、普通だったらとうにお引き取
り願ってるところだ」
 と、珍しく語気を荒だてて、佐々木は津田に言った。佐々木のライターをしば
らくあちこち眺めていた津田は、やがて大きく溜息をつくと佐々木の顔を正面
から見つめながら言った。
「佐々木さん、申し訳ないが、証拠はあるんですよ」

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2008年1月30日 (水)

RobbinⅠ-帝王の花嫁- 第十一章(4)

「やあ」
 久し振りに見る、にこやかな佐々木の笑顔がそこにあった。
「どうも……すみませんね」
 津田は軽く会釈をすると、佐々木に手で示されたソファーに、相変わらず
何の臆面もなく深々と腰を降ろした。
「わざわざいらしていただいたのに、ご覧の通りの私一人の出張所なもん
で、何のお構いも出来ませんが勘弁して下さい。そうだ、ちょっと待ってて
もらえますか。インスタントで申し訳ないが、熱いコーヒーでも煎れましょう」
「あ、いや、構わんで下さい。仕事のついでを理由に、勝手にこちらが無理
矢理に押しかけたんですから」
「まァまァ。遠い所をわざわざ来ていただいてるんだ、それぐらいしないと。
もっともそれ以上言われても、ご覧の通りの男手一人だから、何も出来ま
せんがね。ははは」
 笑いながら佐々木は、洗い場の方へ引っ込んで行った。半年前までトリ
ム電子産業株式会社の本社で常務だったことを思えば、今のこのような
辺鄙な所でのわびしい一人住まいの生活などとても耐えられないだろう、
と津田には思えたが、佐々木は別にそんなことにこだわっている風には見
えなかった。
 津田はゆっくりとその部屋を見渡した。入口には形ばかりのカウンターが
あり、その横にトリム電子産業の製品カタログが置いてある。広さは津田
の部屋をひと回り大きくした程度で、佐々木の机と大きめのロッカーが二
つ、その正面に応接用のあまり上等とは言えないテーブルとソファーが一
式。奥の方にはかたち程度の洗い場とトイレがある。ただそれだけの寂し
い構成だった。
『こりゃあ左遷なんて生易しいもんじゃないな。これで電話とファックスがな
きゃあ、まるで座敷牢だな』
 津田は自分ならとても耐えられないだろうと思った。最寄りの駅へ出るま
でに、車を飛ばしても小一時間は楽にかかる。毎日のこととは言え、よくも
佐々木が今のアパートからここまで通っているものだ、と津田は感心した。
もちろん民家はこの周辺にも有るが、それにしても凄い所だと津田はびっく
りした。ましてや冬の北海道ともなれば、その苦労は筆舌に尽くし難い。こ
こは札幌などの大都市とはわけが違うのだ。ここに比べれば東京の津田の
アパートなど天国である。すでに太陽は沈んでいるのだが周りの雪明かり
のせいで薄明るく、津田に不思議な世界に紛れ込んだような錯覚を覚えさ
せていた。暖房は効いているはずなのだが、空気が何となく東京のそれと
は明らかに違う。
「やあ、お待たせしました」
 佐々木が湯気の立ちのぼる、煎れたてのコーヒーを二つトレーに乗せて、
にこやかに奥の洗い場の方から現われた。
「申し訳有りません、ご迷惑だったんじゃなかったですか。この仕事をしてま
すとね、全国を渡り歩くことが多いもんで、そのぶん他人の迷惑を解しなく
なってしまってまして」
 津田は言い訳がましく佐々木に言った。
「いやいや、何をおっしゃいます、津田さん。ご覧の通り、暇を持て余して仕
方がないんですよ。話し相手にもこと欠いてる毎日ですから、こちらの方こ
そ願ったり叶ったりですよ。本当に良くいらして下さいました。こっちの方が
お礼を言いたいくらいだ」
「いやあ、そう言っていただけると助かります」
 二人はしばらくの間、お互いの近況を話していたが、やがて佐々木の方が
先に津田に尋ねた。
「ところで津田さん、わざわざこんな辺鄙な所へ私を訪ねていらっしゃったの
は、何かわけでも?御仕事のついでで近くまで来られたから、ついでに立ち
寄ったと言われましたけど、本当にそれだけだったんですか」
「ええ、実は、ちょっと」
 津田はどう切り出して良いものか、少し思案した。

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2008年1月29日 (火)

RobbinⅠ-帝王の花嫁- 第十一章(3)

「まだわからんのか。つまり今回が四度目だ、と言うことさ。会長の愛人を
世話するようになって巽明代が四人目だ、ということだ。最近ずっとそうい
う役回りだったと言ってたろうが。つまり四人いた会長の愛人のうち、一番
古株の一人、つまり鎌田芳子に関しては、佐々木は関与してないと言うこ
とだ。だったら鎌田芳子が佐々木の声を判らなくても、不思議じゃない。違
うか?
 それに俺も迂闊だったんだが……もう一つ、もっと大事なことを見逃して
たんだ。俺が黒田専務をハメて自白させた時に、奴は富田から初めて連
絡を受けたのは八木光江が屋上から吊された日の夜だ、と言ったんだ。
その前日に、富田と彼女はトリムの十二階に居た。だから黒田にその手
引きが出来た筈がない。内部から手引きした十二階の人間ってのは必然
的に他の奴ってことになる。それに二人が潜入する時に使った筈のトリム
の制服だって、どこから手に入れたかも不明だし、物的証拠も一切挙がっ
てない。違うか」
「確かに。しかしだからと言って、お前の推理だと佐々木と巽明代が共犯
みたいじゃないか。ちょっと強引な推理だな」
「だからそれを確かめに、俺はこれから北海道にいる佐々木の所へ乗り込
むのさ。ちょいと仕事のついでに立ち寄った、ってことにしてな」
「何だと。お前、佐々木の所へ行ってどうしようって言うんだ。もしお前のそ
の推理が間違ってたら、ただじゃ済まんぞ。佐々木に名誉毀損で訴えられ
ても不思議じゃないんだ」
「俺だってそう思いたい。だが万が一、俺の推測が正しければ、今度は佐
々木の元に向かった巽明代が危ない。共犯であるのなら、本当の真相を
知ってるのは彼女だけだ。それにもし彼女が佐々木の所にいれば、それは
さっきお前がいみじくも言ったように、巽明代と佐々木安孝が共犯だった、
と言うことになる。その証明にもなる筈だ。そこで本郷さん、頼みがあるん
だがね」
「お前に『さん』付けで呼ばれるとゾッとするよ。どうせろくでもないことだろ
うが。一体、何だ」
「調べて欲しいことがあるんだ。俺にはもう、時間がない」
「まったく……いやしくも刑事の俺に、探偵の助手の仕事をさせようっての
か。まあいい。聞くだけ聞こうじゃないか」
「ふ、まあそう臍を曲げるなよ。調べて欲しいことは二つだ。一つは昨日の
北海道行きの飛行機の乗客名簿に彼女の名前が乗っているのかどうか、
もう一つは彼女が北海道の佐々木に電話してないかどうか、この二つだ。
造作もないことだろう。両方ともそんな事実がなけりゃあ、俺が今日北海道
の佐々木の元に向かったっていうことは忘れてくれ。俺の思い過ごしだとい
うことになる」
「ちょっと待てよ。乗客名簿を調べるったって、彼女が本名で搭乗したかど
うかも判らんじゃないか。もし偽名を使われてたら、お手上げだ。飛行機の
切符を買うのに、いちいち身分証明書は見せてないぜ」
「考えられる偽名が、一つだけある」
「何だ、それは。言ってみろ」
「佐々木、明代だ」
「!……」
 本郷刑事は、しばし考えあぐねていた。
「ま、お前が調べてくれるかどうかは俺にはわからん。期待するだけさ。とこ
ろで指名手配になってる富田隆夫は、その後、捕まったのか」
「いや、まだだ。行方が遥として知れなくてな。だが時間の問題だろう。そう
いつまでも逃げおおせるもんじゃない。海外に逃亡したような形跡も無いし
な。日本にいると判ってる以上、いつかは絶対に捕まるさ」
「そうか…」
「津田、一つ聞いていいか」
「ん?何だ」
 搭乗開始を告げるアナウンスを聞きながら、立ち上がりかけた津田に本郷
は言った。
「お前どうしてこの事件に、こうも執着してるというか、こだわるんだ」
 しばらく津田は言葉を探していたようだったが、やがて彼にしてはかつて一
度も見せたことの無いような表情を一瞬した後に、きっぱりと本郷に言った。
「友の、友達のためだ」
「友達?」
 本郷が意味が判らず戸惑っているのを見て、ニヤッと笑って津田は言葉を
続けた。
「まぁ、いいじゃないか、そんなこと。何しろこの事件は、世界のトリムを舞台
にして俺まで巻き込まれた脅迫事件だ。俺は犯人にはきっちり借りた借りは
返したい、単にそれだけさ。それじゃ理由にならんか。じゃ俺は行くぞ。何に
も無きゃ、ホワイトチョコレートでも土産に買ってきてやる」
「俺は甘いものは苦手だ」
「そうだったか。じゃあ札幌ラーメンのパックでいいか」
 笑いながら津田は「じゃあ」と軽く手を上げると、足早にその喫茶店から出
て行った。後に一人残された本郷刑事はしばらく考えていたが、やがて立ち
上がると、喫茶店を出て公衆電話を探した。

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2008年1月28日 (月)

RobbinⅠ-帝王の花嫁- 第十一章(2)

 時間ちょうどに現われた本郷に、津田は喫茶店の中から手を振って合図
を送った。
「すまんな、何しろ時間がなくてな。一方的に呼び出さざるを得なかったん
だ。ま、勘弁してくれ」
「巽明代がどうしたって」
「彼女は昨日、仮出所したんだ。知ってたか」
「いいや。しかしお前の方こそ、なぜそれを知ってるんだ。刑務所に知り合い
でも居るのか、お前のことだから」
 津田は苦笑いをしながら、いつもの両切りの煙草に火を付けて答えた。
「相変わらず口が悪いな。だが本当にその通りなんだ。以前に仕事で刑務
所の主管と知り合っててな、彼に調べてもらったんだ」
「ほう、知らなかったな。大した情報網だ」
「そんなことはこの際どうでもいい。俺は昨日の晩、彼女のマンションに行っ
てみたんだが、もぬけの空だった。彼女は午前中に釈放になったから、どう
考えても夜には帰って来てる筈だ。だがずっと見張ってても、一向に帰って
来る気配が無い。
 悪いことだとは思ったが、鍵を開けて中に入って見たんだ……おっと、住
居不法侵入だなんて堅いことは言いっこ無しだ。そしたら若干の衣類と身
の回りの品を持ちだした形跡があった。すでに出て行った後だったってわ
けさ。行き先は……多分、佐々木の所だろう」
「なぜ佐々木の所だろうと言い切れるんだ。なぜ彼女が佐々木の所へ行か
なきゃならんのだ。佐々木は彼女に利用された人間なんだぞ、そんな馬鹿
なことがあるか。自分が騙したことが原因で左遷された人間を頼って、わざ
わざ出かけて行ったとでも言うのか。佐々木は彼女のためにトリムの常務
という、これまで築き上げて来た地位を追われた人間なんだぞ」
「そうさ」
「馬鹿な!そんな筋の通らない話があるか。津田、お前何か勘違いしてる
んじゃないのか。まったくお前に付き合ってたら、こっちまでおかしくなっち
まう。俺はな、お前のわけのわからん話に付き合ってる暇は無いんだ」
「まあ、聞けよ。俺だってついこの間まではそう思ってた。ところが、だ」
「何が、ところが、だ」
「本郷。俺達はひょっとしたら、大切なことを見逃してたんじゃないのか」
「何だと。どういう意味だ。俺達が何を見逃してたって言うんだ」
「いいか、黒田の自白調書を良く思い出してみろ」
「黒田の自白調書?」
「そうだ。奴は鎌田芳子から巽明代のことを聞き、何故彼女がそのことを知
ってるのか不思議だったが、それは彼女が自分の持つ情報網から仕入れ
た情報だったと言った、と言ってたよな」
「それが、どうした」
「もしもだぞ、それを彼女に意図的に伝えた人物がいた、としたらどうする。
彼女に不安を募らせ、黒田に相談させようと目論んだ人間が居たとしたら。
全てはそこから始まったとも言えるんだぞ。彼女を暗に動かしたそいつこそ
が、この事件の真犯人と言えるんじゃないのか。実行犯では無いにしても
示唆犯だ。そっちの方が罪は重いぜ」
「ちょっと待て。会長の愛人の世話をさせられて来たのは、佐々木であり桑
田社長だったんだぞ。お前は真犯人が他にいるとでも言いたいようだが、も
しそうだとしても何で自分を世話してくれた人間からの情報があったのに、
わざわざ鎌田芳子は敵対する立場の黒田に相談する必要があるんだ。佐
々木とは何度か電話のやり取りくらいはあっただろうし、彼の声だとわかる
筈だ。彼女はそういう記憶力は人一倍良かった、と言う彼女を良く知ってい
る人間の証言もあったんだ。
 もしもお前の言うように、彼女が自分の情報網からではなく第三者の密告
電話からそのことを知ったと言うんなら、ことの真意を尋ねる時にそれを隠し
て話すことはありえる。だがそれなら佐々木本人に相談するのが自然だし、
普通だろう。彼女が佐々木を知らなかったとでも言うんなら話は別だがな」
「そう、てっきり俺も彼女は佐々木と面識があると思っていた。だが佐々木の
証言を思い返してその疑問は解けた。佐々木の証言を覚えてるか」
「今さら余り良くは覚えてないが、何かそれに関係することを言ったか……」
「社長が流石に会長に対して憤りをあらわにして、何で自分が社長のプライ
ベートなことまで面倒を見なきゃいかんのか、と言う姿は自分としては初め
て見たが、仏の顔は三度までだし仕方が無いなと思った、っていう件があっ
たろうが」
「それがどうした」

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2008年1月27日 (日)

RobbinⅠ-帝王の花嫁- 第十一章(1)

「巽明代が行方不明だと?どういうことなんだ、津田。詳しく説明しろ」 
 本郷は大声で受話器に食ってかかった。数名の捜査一課の人間がび
っくりしたように、彼の方を一斉に見た。村上警部補も目を丸くしてキョト
ンとしている。
「どうもこうもない。行方不明って意味ぐらい、知ってるだろうが」
 津田も本郷もお互いに、受話器相手に怒鳴りまくっていた。
「茶化すんじゃない。一体どうなったって言うんだ」
「俺にもわからん。兎に角、ちょっと出て来てくれんか。折り入って相談し
たいことがあるんだ」
「馬鹿言え。テレビの刑事みたいに一つの事件ばかり追ってられるほど、
こちとら暇じゃ無いんだ。たまたま捜査会議が終わって今ここに居たから
いいようなものの、これから聞き込みに出るところなんだぞ。第一、用事
が有るんなら、お前の方から出向いて来るのが礼儀だろうが」
「冗談じゃない。またいきなり不当拘束されるのは御免こうむるよ」
 チッと小さく舌打ちして本郷は暫く考えた。
「わかった。……で、今何処に居る」
「最初から素直にそう言って欲しいもんだな。だが悪いがこっちも余り時間
が無いんだ。これから北海道まで飛ばにゃならん」
「北海道だと。巽明代がそこにいるってのか」
 そう言いながら本郷は、村上警部補の方を見た。
「その相談なんだ。俺のフライトは羽田を十一時丁度に出る奴だ。一時間
前に二階の喫茶店でどうだ。二階には喫茶店は一つしかないから、お前
にもすぐ判る。間違って三階の方へ行くなよ、話はその時にな」
「おい待て、津田。話はまだ……ちぇっ、切っちまいやがった。相変わらず
気の早い奴だ」
「本郷、津田ってあの津田か。何で今頃、巽明代の名前が出てくるんだ。
トリムの事件はまだ片が付いてないとでも言うつもりなのか、あの男」
 苦々しげに村上警部補が言った。トリム事件については、彼らの中にも
未だにしこりが残っていた。一方的な上層部の真相発表と捜査の強制打
ち切りに、彼とて憤慨したクチなのだ。
「そう言いたげですね、奴は。兎に角、ちょっと行ってきます。津田にしては
結構口調が焦ってましたから、何かあるのかも」
「仕方ないな。例の主婦殺しの現場周辺の聞き込みを、坂上と一緒に行っ
てもらおうと思ってたんだが。かと言って、無視するわけにはいかんか」
「ま、変なことにならないように祈ってて下さい。じゃ」
 本郷は急いで羽田空港に向かった。今からだと約束の時間ぎりぎりであ
る。
『まったく……相変わらず、人使いが荒い奴だ』

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2008年1月26日 (土)

作者の簡単レビュー 【その13】

 実は、このRobbinⅠ-帝王の花嫁-は、93年冬に当時の、サントリーミス
テリー大賞に応募した同名作品(もちろん結果は、ご想像の通りです)を、
一部加筆修正したものです。
 その冒頭では、巽明代がベッドルームで佐々木と会話する場面があっ
たりしたのですが、あまりにも説明しすぎて話の先がわかってしまうのも
興ざめだろうなと思ったので、そのシーンは今回の掲載にあたっては削除
しました。ただしそれ以外は、細部を若干加筆修正した程度で、物語全体
の流れまでは変えていませんので、ご安心を。

 次の第十一章のサブタイトルは「行方不明の女」です。
 『え、もう話は終わりじゃないの?』と思われましたか。いちおう推理小説
のつもりなので、そんなに単純な物語で終わらせるつもりはありませんし、
だいいち謎は全て解けていませんよね。話はこれからが佳境です… (^.^)

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RobbinⅠ-帝王の花嫁- 第十章(10)

 淡々とマスコミ説明用の文章を読みあげる警視庁広報部の人間の姿が、
テレビ画面越しに大写しになっていた。
「……大島興業の数人は清掃会社の人間になりすまし、犯行前の金曜日
にトリムに侵入。秘書が休みの日に黒田専務が招き入れ、自室の休眠室
にかくまっていた彼女を睡眠薬で眠らせた後、十二階の屋内非常階段用
ドアから彼女を拉致することに成功した。だがやり過ぎを後悔した黒田は、
富田にその彼女の救出を依頼。再度トリムの自室で保護することとなった。
富田は以前に新宿で、黒田が地回りのチンピラにからまれた時に助けた
ことがあり、黒田とは面識があり、連絡先も伝えてあった。
 ところが富田は、専務室で彼女を暴行しようとしたことから二人は口論と
なり、カッとなった富田が彼女を殺害。そのままにしておくわけにいかず、
富田は考えあぐねた末、トリムに恨みを持つ者の犯行狂言を思い立ち、屋
上から吊して逃亡。使用されたザイールは、登山経験のある富田が最近
御茶ノ水の登山用具専門店で購入した物である。問題のトリム十二階へ
の侵入は、事前に黒田が屋内階段のドアの鍵の部分に、プラスチック製
のカードを内側から差し込み、外側から簡単に開けられるように細工して
おいたものである」
 呆れるほどに嘘と胡麻化しだらけの発表であることは、誰よりも津田が
一番良く知っていた。
「富田は辻褄を合わせるため、およびあわよくばと思い立ち、その場から
桑田社長宅に脅迫電話を入れる。その後、現金が黒田と富田の共謀で
搾取されたのは御存知の通り。現金受け取りに現われた津田氏は、それ
までにも私的に調査等の代行業を副業として行なっており、どこからかそ
れを知った富田にたまたま利用されたものと思われる。富田は事件後、
黒田専務の長野にある別荘に隠れていたが、ある日突然姿を消し、現在
も消息不明である」
 富田の消息が不明なことを利用して、体裁だけ整ったそれらしい話が捏
造され、見かけ上の辻褄だけが合っていた。正木会長の絶大な影響力を
考えれば、出来るだけ事を平穏に済ませたいという圧力がかかった可能
性が高かった。そういう筋書きで合意があったとしても、決して不思議では
ないが、ことの真相は不明であった。高度な政治的判断とやらを津田達が
知ることは、決してありえないのが現実なのだ。
 結局のところは、巽明代のマンション屋上から足を滑らせて死亡した男に
ついても、サバイバルゲームマニアだったとしてそれらしい理由が作られ、
トリム事件とは無関係であったとされた。しばらくの間マスコミ各紙がトリム
会長の女関係や、会社内と政財界での勝手放題を取り沙汰したが、それ
もある期間で別の芸能人離婚記事に取って代わられてしまったのである。

「警察側としてはそのまま強引に控訴したようですが、スピード判決された
一審有罪を不服として、黒田専務側は上告する方針のようですね。彼女に
ついては、富田と共犯だとしてやはり同じく有罪の判決が下されましたが、
上告はせずにすでに刑に服しているようです。肝心の富田は今もって行方
をくらませていますが、ま、逮捕は時間の問題でしょう。私とて共犯だと言
われても仕方ない立場だと覚悟はしてたんですが、情状酌量で執行猶予
にしていただけました。村上警部さんは貴方に感謝した方がいい、って話
されてましたよ」
 津田にはあの村上警部が、自分のことをそんな風に佐々木に喋っていた
ことの方が意外だった。
「へえ、珍しいこともあるもんですねえ。…ところで、桑田社長の方は」
「ええ、犯罪幇助だったんですが、情状酌量で私と同じく執行猶予で済み
ました。でも当然のことですが社長の座は追われました。それと同時に正
木会長も引退を余儀なくされました。結局彼らは相打ちだったんですねえ。
でもまさかこんな風な結果で、二人の確執が終わろうとは思っても見ませ
んでしたよ。しかし、ま、トリムもこれで変わるでしょう。しばらくは大変だろ
うけど、結果的にはこれで良かったのかも知れませんね。そう言えばあの
事件を教訓にして、トリムでは制服に名札を付けるのは廃止になりまして
ね。大き目の顔写真入りの社員証を、新たに胸の所に付けるように変更に
なりましたよ」
 寂しそうな笑みを浮かべながら、佐々木は弱々しくそう呟いた。やがて約
束通り、佐々木は津田とそれからしばらく話した後、飛行機の時間がある
からと言って先に去って行った。人の落ちぶれた姿を見る時ほど、辛いもの
はない。ましてや相手が自分が知っている人間であればなおさらである。
彼は煙草を取り出すと一服したが、その時ほど煙草がまずいと思ったことは
無かった。彼は先程の名刺を取り出し、じっと見詰め、そして小さな溜息を
こぼした。
『佐々木さんは、この名刺をどんな気持ちで眺めていたんだろう』
 津田はふと後ろを振り返り、先ほどの佐々木の後ろ姿を探そうとしたが、
もう彼は人込みに紛れて判らなくなっていた。津田は名刺をポケットにしま
い込むと、大きく溜息をつき再び歩き出した。行き交う恋人達が楽しそうに
肩を並べて歩いているのが、彼には羨ましく思えた。自分にとっては、大
都会の冷たさが身にしみるようなクリスマス・イヴだな、と津田は思った。
『セラヴィ……人生なんてそんなものさ、か』
 ふと彼は洋子の笑顔が、この上もなく暖かく思えた。こんな時に洋子のこ
とを思い出した自分に気付くと、彼は苦笑いをして煙草を投げ捨てた。そん
な感傷は昔、「傭兵ロビン」と共に捨ててしまった筈だったことを思い出した
からだった。

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2008年1月25日 (金)

RobbinⅠ-帝王の花嫁- 第十章(9)

 街中を、騒がしいほどのジングルベルが、鳴り響いていた。
『まったく……一体いつから日本人は、全員がキリスト教徒になっちまっ
たんだ』
 アスファルトの道を津田はそう思いながら、皆と同じようにうつ向き加減
で歩いていた。一人身には、浮かれた師走の風はこたえる。
「やあ、津田さん」
 不意に、今しがた横を通り過ぎて行った男に背後からそう声をかけられ、
津田は思わず振り返った。大き目のボストンバッグを一つ片手に持って、
トレンチコートを着た男が、にこやかに彼の方に歩み寄って来た。佐々木
だった。
「いやあ、奇遇ですなあ。まさかまたこうしてお目にかかれるとは。貴方と
は最後に、是非ともお話ししたいと思ってたんですよ。私の運もまんざらじ
ゃありませんなァ。如何ですか、その辺でちょっとお茶でも。お時間は取ら
せませんから」
 津田は佐々木に促されて近くの喫茶店に入り、片隅の席に座った。津
田がいつもの習慣で煙草を取り出すと、佐々木は手慣れた自然な動作
で彼の煙草に火を付けた。その緑色の百円ライターで自分のにも火を付
けると、彼はにこやかな表情で喋り始めた。
「津田さんのお陰で、私も首の皮一枚で命拾いしましたよ。本当に、色々
と有難うございました。実はこれから新しい任地に赴任するところなんで
す。是非そのうち休暇でも利用して、恋人と気軽に遊びに来て下さいよ。
ああ、そうだ、今度の事務所の住所をお教えしとかないと」
 佐々木は真新しい名刺の入った青いプラスチックケースを、バッグの中
から取り出すと中から一枚抜き取り、津田に手渡した。津田は渡された
名刺をしばらく眺めていたが、どう言っていいものか迷った。北海道らしか
ったが、津田が聞いたこともない地名が擦り込まれていたからだった。事
実上の首切りに等しい左遷であることくらい、子供でもわかる。
 幸いに津田に協力していたことで、警察の処置も寛大なものであったの
に加えて、それまでの真面目な仕事振りのお陰で、トリム内でも社員の
同情の声が高かったらしい。彼の救済処置を訴えて、社員の半数以上が
嘆願書に署名して新社長に提出するという、トリムでは前代未聞の出来
事があったのだと言うことだった。
「また、一から出直すだけですよ。これも運命でしょうかねェ」
 佐々木はそう寂しく笑うと、テーブルの上の冷めたコーヒーを一気に飲み
干した。結局、彼は一人の女のために、それまで築いてきた全てを失った
ことになる。巽明代を恨んでも恨みきれないだろうが、佐々木はそんなこと
は臆面にも出さず、笑顔で淡々とまるで他人事のように、今回の事件の結
末を津田に語り始めた。
「黒田専務は、鎌田芳子殺害を自供したようです。富田との共犯説につい
ては、本人は脅迫されて仕方なく従っただけだと否認していますが、状況
的には言い逃れしようがないですからね。十二階の彼の部屋から、八木
光江のものと思われる髪の毛が一本発見されたことが決定打になったよ
うです。本人は金曜日に彼女を秘かに自室に呼び入れた際に残されたの
だと言い張っていますが、彼女が殺された時に残されたものじゃないとは
言い切れませんしね」
 その後の捜査の結果、黒田専務は当時会長の愛人の一人であった八木
光江が妊娠したことで、彼女の始末を大島興業に依頼した事実が、セラヴ
ィ支配人の植松の証言から判明していた。

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2008年1月24日 (木)

RobbinⅠ-帝王の花嫁- 第十章(8)

「それは……私が彼女と強引に関係を持った後で、彼女が会長に言い付
けてやる、と私を脅したからだ。自分は今の会長の愛人の座にいられるな
ら何でもする、と私に言っておきながら。巽明代をどうにか出来なくても、光
江が居なくなれば同じことだ。そうだろう?
 光江が死んでしまった以上、私は何としても会長との絆は今、切られたく
なかったんだ。だから彼女を強引に取り込もうとした。抱いてしまえば、あと
はこっちのもんだと思ってた。それを挙げ句の果ては、終わった後で急に、
警察に私のことを密告してやるとまでヒステリックに叫ばれて、思わずカッ
となってネクタイで首を締めて……気が付いたら彼女はもう死んでた。怖く
なって、多摩川まで彼女の死体を車で運んで投げ捨てて、後も見ずに一目
散に逃げたよ。誰かに目撃されやしないかと、冷や冷やしながらな」
「今さら、これ以上引くに引けなくなったってわけかい。そもそも富田があん
たに接触したのは、いつ頃だったんだ」
「光江が殺された日の夜だった。彼は私が植松を通して、大島興業に依頼
したことを知っていたんだ。私が彼に電話で依頼した時間までも。そして光
江とのことを警察や会長に密告されたくなければ、取引に応じろと言ってき
た。
 弱みを握られていることを知った以上、私は仕方なく従わざるを得なかっ
たんだ。どっちにしても暴露されれば、私の社会人生命は終わる。その後
彼から、例の高速道路上の現金輸送のことを持ち掛けられた。警察には車
内電話で犯人から指示を受けて、言われるままに行動したということになっ
ているが、あとの二人のことまでは良く知らないが、少なくとも私は事前の
打ち合わせ通りに動いただけだったんだ。その後は結局、私の所に彼を匿
う羽目になってしまった。富田が自分が光江を殺害した犯人だと得意げに
言った時の、私が受けた衝撃はショックなんてもんじゃなかった。だが私は
すでに共犯になってしまっている。もう後戻り出来ないと諦めるしかなかっ
たんだ。
 張り込みの刑事が居ることも、彼が見付けていた。そして今日は、私は
張り込みの刑事の目を引き付ける役を彼に言い渡されたんだ。レストラン
で食事した後、ぶらぶら歩いてわざと遠くまで刑事を引き連れて散歩する
ように言われた。
 その間、富田は私の車を使って何かをするつもりでいたようだが、詳しい
ことは言ってくれなかった。用事が終わったら、何食わぬ顔で車を元の所
に戻しておく手筈だった。私が帰って来た時、車が無いからおかしいとは
思ったんだが。一応、盗まれたと言うことで、辻褄を合わせたがね。まさか
富田が逃げ出した、とは思わなかったよ。で、あんたは今度は富田の代わ
りに、私をどうしようと言うんだね。私が警察に捕まるのは時間の問題のよ
うだから、もうどうでもいいが」
「富田は他にも、何か言ってたのか」
「特には、何も。ただ、いつもロビンって男のことを気にしてたよ。奴はいつ
か必ず俺を見付け出して、ここに来るだろうってね。俺も貧乏くじを引いた
もんだ、とよく嘆いてた。どういう意味かは教えてくれなかったがね。多分
他にも、私の知らない共犯者がいたんだろう。仲間割れしてたのかも知れ
んがね」
「ふうん……」
「ところで、いい加減にその物騒な物を引っ込めてくれないか。気になって
仕方が無いんだ。それにその男の死体は、どう始末するつもりなんだ。も
うこれ以上、ごたごたに巻き込まれるのは御免だ。頼むから警察に見つか
らないように何とかしてくれ。さもないと私に嫌疑がかかる羽目になってし
まう」
 ロビンはにやりと笑うと、ナイフをしまいながら言った。
「黒田さん、俺の望みはな、あんたに警察へ行ってもらうことさ。もう、いい
んじゃないですか、沼尾さん」
 ロビンは、死体でうつ伏せになって転がっている筈の男に声をかけた。
男はいきなりムックリ起き上がった。これには黒田専務の方がびっくりした。
「あ、あんた。この男に刺し殺されたんじゃなかったのか」
 津田は、にやりと不敵に笑いながら言った。
「専務さん、騙して悪かったね。人を刺したナイフが、こんなに光ってるわけ
ないだろう。冷静に考えれば判ることなんだが。目の前で人が殺されるの
を見て動転してたあんたには、あいにく見抜けなかったようだねェ」
 ばつが悪そうに起き上がったその男の顔に、黒田専務は見覚えがあった。
「あんたは確か、私を尾行してた刑事…」
 遠くの方からパトカーのサイレンが聞こえてくる。
『終わったよ、鮫島さん』
 津田は心の中でそう呟いた。黒田専務はがっくりと両肩を落とし、放心状
態でその場にしゃがみ込んだ。

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2008年1月23日 (水)

RobbinⅠ-帝王の花嫁- 第十章(7)

「ほう、なかなか豪華な別荘ですねえ……」
 その男は、呼び鈴に促されて玄関口まで出た黒田があっけにとられてい
るのを尻目に、いきなりズカズカと上がり込んだ。
「君、いきなり人の断りも無く上がり込むなんて、失礼じゃないのかね。君
は一体誰なんだ。住居不法侵入で警察に通報するぞ」
 お世辞にも小奇麗とは言えない格好のその男を睨みながら、黒田は言っ
た。
「ああ、いいですよ。でも貴方も一貫の終わりになりますよ、黒田専務さん。
それでもいいんならどうぞ」
 男はふてぶてしく言うと、居間のソファーに腰を下ろし、煙草を取り出した。
黒田が男の真意を計りかねていると、男は旨そうに一服した後に言った。
「まあ、立ってないでお座りなさいな。慰謝料の話もありますしね」
「慰謝料だと。何のことだ」
「困るんですよね、富田にそう簡単に車を貸してもらっちゃあ。お陰でこっち
は、危うく轢き殺されるところだったよ」
「何だって!」
 男の笑顔が黒田専務には不気味だった。あらためて彼は、目の前のその
男を観察した。しかしどう見ても、何処にでも居る平凡な優男にしか見えな
い。確かに体格は長身の割にはがっちりしているようだが、彼の別荘の中
を物珍しそうに見回している様子や態度、顔つき等から判断すると、とても
あの冷酷非情な富田が、あれほど神経質なくらいに気にしていた男とは思
えなかった。男は両切りの煙草を灰皿で荒っぽくもみ消すと、真ん中で分け
ている髪の毛を無雑作に両手で掻き上げ、彼に向かって言った。
「専務さん、取り引きしませんか」
「取り引き、だって?私がどうして、見ず知らずの君と取引しなきゃいかんの
かね。第一、君は何者なんだ」
「ああ、これは失礼。でも私を御存知じゃないですか。私はまんまとはめられ
て、トリムの現金受け渡し現場にのこのこ現われた津田という者ですよ。私
のことは聞かれてないですか。ちょっとは有名だと思ってたんだが」
「君が……。だが富田という人物は何者なんだね。私の知り合いにそんな
名前の人物は居ないよ。脅迫する相手を間違えてるとしか思えんが」
「ほう。あくまでもシラを切り通そう、と言うわけですか。八木光江とのことや
鎌田芳子のことを、私が知らないとでも思ってるんですか。富田から一部始
終を聞き出してるんですがねえ。何だったら、警察に連絡してあげましょうか」
「!……な、何のことかさっぱり私には見当もつかんよ」
「ふざけるんじゃねえ!遊びでやってんじゃ無いんだよ、専務さん」
 男は懐から大型のナイフを取り出すと、右手で持ったまま立ち上がった。そ
の目には有無を言わせぬ不気味な光が宿っている。思わず黒田専務はたじ
ろぎ後退した。その時、突然玄関のドアが開き、一人の男が飛び込んで来た。
「おい、お前。何してる!」 
 その男は、ナイフを持った男に果敢に飛びかかって行った。二人の男はちょ
うど黒田の目の前でもつれるように倒れ込んだ。しばらく揉み合っていたが、
やがて馬乗りになった一方の男は、大きく右手を上げた。その振りかぶった
右手のナイフがきらりと光ると、後から入って来た男の腹部辺りにそのナイフ
が消え、同時に男の大きな呻き声が上がった。
 男は腹部に手を当て、苦悶の表情で腹ばいの格好になり、しばらく呻き声
を上げて全身が痙攣していたが、やがて静かになって動かなくなった。ナイフ
を持った男は、右手に震えるようにナイフを握り締めたまま、黒田の方を向き
直った。そのナイフが異常な輝きをもって、黒田の目に飛び込んで来る。黒田
は動転し、慌てて叫ぶように言った。
「な、何をする。待て、待ってくれ。落ち着いて話し合おうじゃないか。な、津田
君。幾らだ、幾ら欲しいんだ」
 思わず黒田は、そう叫んだ。
「最初からそう正直に言って欲しいねえ、専務さん。まあ、今回の一連の事件
で、あんたにも同情の余地はあるが、しかし幾ら何でも二人も人を殺しちまえ
ば、もうどうしようも無いなあ。残念ながら富田の奴はとっくにあんたを見放して、
一人でさっさと逃げちまってるんだぜ。知ってたか」
「ご、誤解だ。わ、私は光江は殺してない!あれは」
「知ってるさ。最初にあんたが大島興業に依頼して、トリムから連れ出した挙げ
句、会長の愛人の座からも遠ざけようとした八木光江を、富田がさらって、結局
犯した上に殺して、屋上から吊しちまったってこともな。下手に隠し立てしない
方が身のためだぜ、専務さん」
「まさかそんな事になるなんて思っても見なかったんだ。本当だ、信じてくれ!」
「鎌田芳子をなぜ殺したんだ。それさえしなけりゃ、罪は軽かったろうに」
 津田はカマをかけてそう言った。

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2008年1月22日 (火)

RobbinⅠ-帝王の花嫁- 第十章(6)

「何だと!津田が全身打撲でお前の所に転がり込んで来ただと!一体どう
いうことだ。どうしてお前の張り込み場所を、奴が知ってたんだ」
 村上警部は沼尾刑事からの連絡を受けて、大声でがなり立てた。
「こっちが聞きたいくらいですよ。それと津田は、黒田専務の別荘に殴り込
みをかけるから協力してくれないか、と言ってるんです。それで電話を」
「何ィ、殴り込みだと?馬鹿モン、どうして止めないんだ。今、奴に迂闊に動
かれたら、それこそ元も子も無くなっちまうぞ。それくらい判断出来んのか」
「そ、それが。奴は今、目の前に居るんですが、ナイフを持ってまして。村上
警部に連絡を取れと」
「お前、津田に脅されて、はいそうですかと、素直に電話をかけて来たって
言うのか!何考えてるんだ、ガキじゃあるまいに。それぐらい自分で何とか
出来んのか。情けない奴だ。…津田は、津田を出せ」
「もしもし、津田です。かなりお怒りのようですねえ」
「津田!貴様、捜査の邪魔をするつもりか。公務執行妨害で逮捕してやる
ぞ。それに、どうしてお前はそこに居るんだ。なぜ張り込み場所を知ってる」
「まあまあ、冷静に」
「何が、冷静に、だ。お前、一体どういうつもりだ。自分のやってることがどう
言うことか、判ってるのか。それはこっちの台詞だぞ」
「申し訳ない、とは思ってますよ」
「申し訳ないで済めば、警察は要らん!」
「ごもっともですな。ところで警部さん、私が全身打撲なのはどうしてだと思
いますか」
「ん?」
「それはね、私が富田って奴に、車で轢き殺されそうになったからですよ」
「何い、富田だと。おい津田、それは本当か」
「嘘言ったって、始まらんでしょう」
「それで、どうしたんだ」
「そいつの乗ってた車を運転して、私は沼尾刑事の所にやって来てるんで
すよ。指紋が残されてる筈だから、確認出来るでしょう。それと、車は紺と
グレーのツートンのレパードでして、ナンバープレートはひょっとしたら黒田
専務の奴と一緒じゃないか、と私は思うんですがねェ」
「黒田専務と富田が共犯だ、ということか」
「だからそれを確かめに、私が乗り込もうって言うんですよ」
「おい津田、その富田は一体どうなったんだ。どうしてお前がその車を手に
入れた。まさかお前」
「冗談じゃない。私は黒田専務が怪しいと思ってね、今朝張り込みにやっ
て来たところなんですよ。そして道を歩いて黒田専務の別荘に行こうとして
る途中だった私の所に、前方不注意の車がいきなり突っ込んで来て、危う
く殺されそうになったんですよ。間一髪のところで即死だけは免れましたけ
どね。運転してた男が慌てて降りて来たのを見て、私はびっくりしたんです
よ。
 偶然だったのか運が良かったのか悪かったのか知らないが、そいつはト
リム事件の犯人として全国指名手配されてる、あの富田って奴に瓜二つ
だったんですよ。私が思わず『お前、富田じゃないのか』と叫んだら、奴は
慌てて車を放ったらかしたまま逃げちまいましてね。こっちはとても追いか
けられるような状態じゃありませんでしたよ。自分でも、よく生命があったも
んだと思いますよ。不幸にも、事故の目撃者は誰一人いませんでしたから
ね。
 それに、お言葉を返すようですが、これでも一応探偵を稼業にしてる関係
上、黒田専務を見張るなら彼の別荘の近くで、彼の家の方を見張れる場所
を誰でも選びますからね。たまたま、私が入ったペンションに沼尾刑事が張
り込んでた、って言うだけのことですよ。フロントで『警察の者だが』と言った
ら、彼の部屋を教えてくれましたんでね」
「貴様、詐欺罪も犯したわけか」
「まあ、そう言う見方もありますねェ。でも、まさか本当にいるとは思いませ
んでしたよ。こうもラッキーが続くって言うのは、やはり日頃の行ないが…」
「やかましい。全身打撲の男がべらべらと、良くそれだけ喋れるもんだな」
「ま、兎に角、これから私は黒田専務の別荘に乗り込みますんで、後のこと
はよろしくお願いしますよ。じゃ……」
「おい待て。何が後のことはよろしく、だ。お前……ちっ、切っちまいやがっ
た。おい大崎、黒田の別荘に手の空いてる人間を二、三人連れて急行して
もらうよう、長野県警に連絡取ってくれ。大至急だ!例の津田がまた何かや
らかそうとしてる」
「津田を逮捕すればいいんですか」
「ことと次第によっちゃあな。くそっ、黒田専務の逮捕令状はまだ降りんのか。
いい加減に令状が発行されてもいい頃だが」
 村上警部補は苛立ちを隠し切れず、あたり構わず怒鳴り散らしていた。

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2008年1月21日 (月)

RobbinⅠ-帝王の花嫁- 第十章(5)

 ニヤニヤと相変わらず富田は笑っていた。まるで半死半生のロビンとの会
話を楽しんでいる風であった。ロビンは少しずつだが、息が続くようになって
きた。だが相変わらず、両肩で息をしないと喋るのは苦しい。彼の額を脂汗
が流れて行く。
「ほう流石だな、いい感してるじゃないか。だてに探偵の真似事はしてない
ようだな。じゃあロビン、大体の所は察しがついてるだろう。俺を指図してた
黒幕が誰かってことをな」
「証拠は……まだ、ないが」
「誰だ」
「黒田専務……しかいないと……思ってる」
「ほう、理由は」
「結果的に……命拾いするのが……彼だからだ」
「成程なあ。じゃあ鎌田芳子を殺したのは」
「わからん……それも……お前なのか……」
「俺じゃないぜ。信じるかどうかは知らんがな」
『鎌田芳子殺害の犯人は、富田じゃない?』
「まあ、それくらいにしとけよ。あの世で鮫島がお前を待ってるからな」
「待ってくれ……どうしても……判らないことが…もう…ひとつ、有るんだ」
「何だ?」
 ロビンはウッと小さく呻くと、小声で弱々しく何かを言ったようだった。
「何だ。聞こえねえぜ、ロビンよ。死にかかってるのは判るがよォ、もっと」
 その瞬間、全身の力を込めて、ロビンの左足が車のドアを思いっきり蹴っ
た。富田は不意を食らってドアに跳ね飛ばされる形で、後ろに大きくよろめ
いた。彼とてロビンにこれ程の力が残っていようとは、思っても見なかった
のだ。そこに彼の油断があった。そして富田にとって運が悪かったのは、
そこにガードレールが有ったことだった。バランスを崩し、後ろ向きにひっく
り返るように反り返った富田の身体が、ロビンの視界から消えるのと同時
に、「わーっ」と言う叫び声が起こったが、その声も段々小さくなっていった。

 ロビンは車から転がり出ると地面を這うようにして、ゆっくりとガードレール
の方に向かった。やっとのことでガードレールの所にたどり着くと、彼は下
を見た。切り立つ断崖の遥か下の方の岩の上に、微動だにしない人影らし
き物が微かに見える。頭の部分から赤いものが岩を伝わって派手に流れ
出ている。おそらく即死のように思われた。やがてその岩の影に、その物
体はずり落ちるようにゆっくりと姿を消した。余りにあっけない幕切れだった。
『何てこった。まさかこんな、岩場だらけの断崖とは思わなかったな』
 ともすれば全身を襲う激しい痛みに、気が遠くなりそうなのを必死にこらえ、
ロビンはガードレールを背にして、寄りかかるように暫くの間じっとしていた。
幸いなことに車の運転席側はガードレールに面しているので、よしんば他の
車が通りかかったとしても、取り敢えずとして気付かれることは無いと思え
た。
『シャーク、すみません。俺はまだ貴方の所へは行けないようです……』
 彼はやがてよろよろと立ち上がると、その車の前に回った。その車はナン
バープレートが「わ」ナンバーではない、紺とグレーのツートンのレパードだ
った。
『さて……兎に角、この場から離れなきゃな。自力でやらなきゃいかんのは
少々キツイが、身体がはたしてもってくれるかどうか』
 半ば途方に暮れながら、あちこち痛む身体を引きずるように、彼はレパー
ドに乗り込んだ。時々、頭がぼうっとしてくる。
「なむさん……」
 ロビンは大きく溜息を一つつくと、対向車の無いのを確認して、左にウイン
カーを出した。

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2008年1月20日 (日)

RobbinⅠ-帝王の花嫁- 第十章(4)

「そうーだ、判ってるじゃないか。順番からいくと一番の古株の鎌田芳子
が、会長の愛人の席を追い出されることになるのさ。巽明代の存在を知
った鎌田芳子は、そこで黒田に相談を持ちかけた。ところが専務さんも、
八木光江との関係が会長にばれると今の地位を追い出されちまう、って
悩みを抱えてたわけだ。
 そこで黒田は、大島興業に八木光江の処理を、セラヴィの支配人の植
松って奴を通して依頼した。一石二鳥だと思ったんだろうな。別に鎌田芳
子は、巽明代個人に恨みがあったわけじゃ無いし、自分が会長の愛人
の一人であり続けさえすれば、文句は無い筈だからな。自分だって所詮
は同じ道をたどって、今の会長の愛人の席に居座ったことも忘れやがっ
て。女ってえのは勝手なもんだなあ。そうは思わんか、ロビン」
 ロビンはただ黙って頷くだけだった。下手に喋ると体力が消耗するので、
なるべくなら最小限に留めておく必要がある。今の自分の体力では、チャ
ンスは富田が油断したほんの一瞬しかない。左手がサイドブレーキのレ
バーに微かに触れた。
「八木光江は海外にグラビア写真の撮影に行ってたが、帰って来てから
大胆にも黒田の所へ土産を持って行ったのさ。もちろんその日は秘書が
休みだってことはあらかじめ判ってたから、トリムの奴の部屋にな。十一
階まで黒田が降りて行くのは別に不自然には見えないから、十一階の
エレベーター前で待ち合わせたんだ。あそこは一般社員は元々うろつい
てないから、死角になる。奴は部屋に入れた彼女を油断させといて、隙
を見てあらかじめ用意してあった睡眠薬入りのコーヒーを飲ませて眠らせ
たのさ。そして社内清掃の人間に紛して予め紛れ込ませてた大島興業
の奴らに連絡して、十二階の屋内非常階段のドアから彼女を大型のダ
スト・カートと一緒にまんまと連れ出したわけさ。
 こっちはそんなことはお見通しだったからな、後をつけて奴らの事務所
を突き止めた。まあ幸いだったのは、彼女が監禁されたのが奴らの倉庫
だった、ってことだな。まさか彼女がまた誘拐されるなんて思っても見な
かったろうから、警備なんて無いようなものだったさ。俺が夜侵入した時
も、下っ端の男が二人彼女とお楽しみの最中だったが、そいつらを始末
するのは赤子の手を捻るより簡単だったぜ。
 彼女は俺に救い出されたことで、俺を味方と思ったらしくてな、ぺらぺら
良く喋ってくれたよ。だから俺は彼女に言ったのさ、お前の始末を依頼し
た黒田に復讐したくないかとな。彼女は一も二も無く承知した。そこで日
曜の昼間に、時間は前後したが、彼女と俺はトリム内に制服を守衛に見
せながら堂々と侵入したわけさ。彼女は黒田の部屋の合鍵を持ってたか
ら、黒田専務の部屋で落ち合うことになってた。だがそのためには、彼女
を十二階に侵入させなきゃならん。
 トリムの重役専用エレベーターは、お前も知ってると思うが、稼働させる
とコンピューター記録されちまう。黒田か誰かのIDカードを複製してもよか
ったんだが、そうなると稼働記録に証拠が残っちまって、磁気カードを持っ
てる人間の周辺に捜査が集中することになる。身代金受け渡しが無事に
終了するまでは、安全圏で俺達とは無関係だという立場をとっといてもら
わないと困るんでな。そんな余りにも安易な方法は取れるはずがない。
 そうなると方法はただ一つ、彼女が十二階のドアからフロアーに入れる
ようにしとけばいい。俺はその後のことがあるから、残念ながら一緒に行く
わけにはいかん。それに俺が警察なら、まず順番として屋外の非常階段
を疑う。屋内階段を使うにしてもいったんトリム内部に侵入する手間がかか
る。階段を登るのが同じなら、危険を冒して屋内に入る必要は何もない。
最初から屋外を使うと誰でも思うさ。
 要は十二階の屋内階段のドアが、外側から開くようになってればいいわ
けだ。細工する方法なら幾らでもあるが、どうしても痕跡は残る。だが警察
に見つかるようなヘマは出来ない。守衛が十一階までしか見回りしてない
のは、とっくに調査済みだったがな。ふ……まあ、そう不思議そうな顔をす
るな。要は十二階のドアが外側から開けられる状態になってればいいんだ
ろう。俺はじっと屋上で待機してただけさ。ドアロックの部分に内側からキャ
ッシュカードの類が挟まってりゃいいんだろうが。
 守衛の中には誰も十二階のそんな所まで、毎日念入りにチェックするよう
な奴がいないことは、事前に試させて判ってたんだ。トリムの守衛のうちの
一人がな、実は息子が去年トリムの工場内で不注意から業務上災害で死
亡したんだ、それを会社のせいだと逆恨みしててな。それを利用したまでさ。
別れた女房やその息子とは姓が違うから、警察だってそこまでの人間関係
なんてすぐにはわからんはずさ。
 辺りが暗くなってから、俺は屋上のポールにロープを引っ掛けて、そのまま
十二階の部屋に窓から侵入した。もちろんそれより前に、黒田専務の部屋
の中で、彼女が合鍵を手に待ってたわけだ。彼女にはそれで用は済んだ。
流石に話が違うことに気付いて最初は抵抗したが、そのうち必死になって俺
に媚びを売ろうとした。当たり前だわな、自分が殺されることが判っちまった
んだからな。彼女は何とかして俺に気に入られようと、俺を挑発しようと必死
だったよ。いやあ、今思い出してもなかなかのもんだったぜ。まあ最後には
首を締めて楽にさせてやったがな」
 ロビンはいつも富田が人を殺した時に、嬉しそうな顔をして自慢気に言うの
が我慢ならなかった。今もそうだ。そして今、彼の左手はしっかりとサイドブレ
ーキのレバーを握り締めていた。
「殺してから俺も気付いたんだが、あの女の左胸に黒子が三つ、三角形の形
にあった。モデルをやってるって話だったから、これはまずいと思った。そんな
特徴をそのまま放っておくわけにはいかんからな。流石の俺もしばらく考えて、
猟奇色を強めてやった方が警察も混乱するんじゃないかと思い付いた。何か
無いかと探してたら、テーブルの上の卓上ライターが目に付いてな。それであ
あいう風に火傷の跡を作ったってわけさ。まさかその黒子だけを消す為にあん
な大きな火傷の跡を付けたとは、誰も思わんだろうしなァ。それについつい欲
が出てな、ついでに指先も切り落としたってわけだ。本来なら歯も全部叩き割
るんだが……死体の身元割り出しのヒントくらいは残してやらんとな」
「切り落とした……指先は……何処へ……」
「ふん、今頃はとっくに魚の餌だろうな。多摩川へ捨てちまったよ」
「俺は……お前が……月曜に……トリムから……脱出したと……思ってるん
だが……それは……どうなんだ………」

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2008年1月19日 (土)

RobbinⅠ-帝王の花嫁- 第十章(3)

「まさか、こっちに向かって来るとは思わなかったぜ、ロビン。ま、あの場
合はそうするのが正解だったろうなあ。だが流石にお前も、鮫島と一緒で
身体が鈍ってたなァ。動きが今一つだったぜ」
「………」
 ロビンはただ黙って、富田の顔を見上げていた。喋ろうにも、息をするの
がやっとという感じで、全身を走る痛みを我慢するのが精一杯だった。額
に油汗がにじむ。
「相変わらず我慢強いじゃないか、ロビン」
 そう言うのと同時に、富田は不意にロビンのわき腹辺りを、思いっきり
靴で蹴り上げた。
「ぐお!」
 叫びとも何ともつかぬ声を、ロビンは発した。しばらくはうめき声すらあげ
られなかった。苦痛にロビンの顔が歪み、のたうちまわる。富田は半ば物
体化しているロビンを車の所へ引っ張って行き、運転席へ無雑作に投げ
入れた。ロビンはしたたかにサイドブレーキのレバーとギアのレバーで、
顔面から首筋にかけてを打たれ、思わず呻き声をあげた。
「おっと、ドアをちゃんと閉めなきゃな」
 そう言うと富田は、重く大きいドアを閉めようとした。閉まるわけが無かっ
た。ロビンの右足がドアからはみ出して地面に投げ出されているのを承知
の上で、富田がわざとドアを閉めようとしたのだ。ロビンの右足に激痛が走
り、苦痛に声も出ない。いかにも富田のやりそうなことだった。
「おいロビン、どうしたんだ。顔をしかめてよォ。どっか痛いのかよ」
 相変わらずニヤニヤしながら、富田は全体重をそのドアにかけたまま、
全開にしてあった運転席の窓から車内に顔を入れ、にこやかにロビンに話
しかけた。
「おい、黙ってちゃあ判らんぜェ。ロビンさんよ」
「貴様……」
 まさしく拷問であり、今のロビンはそれだけ言うのが精一杯だった。
「おーおー、やっと口をきいてくれる気になったかい。そりゃあ良かった」
「俺を……殺せば……それで……済むと思っ……てるのか」
「ああ、俺を付け狙う人間に今生きてられちゃあ困るからな。それに第一、
お前は深入りし過ぎた。はなっから俺の言う通りに黙って動いてりゃあ、今
頃は分け前をたんとやったものをよ。馬鹿なんだよ、お前は」
「やっぱり……犯人は……」
 額に脂汗を浮かべながら、ロビンは必死に薄れゆく意識と戦っていた。
頭が朦朧としてきているが何としても活路を見い出さなくては、このままで
は嬲り殺されるのをじっと待つだけである。
「ふん、そんなことをこれから死のうっていう人間が知って、どうなるんだい。
ええ、ロビンさんよう」
「本当の……ことを……知らずに……死ぬ…のは、……俺には……耐えら
れ…ないんだ」
 青息吐息でロビンは話していた。まだ彼は希望を捨てたわけでは無い。
気のせいかも知れないし感覚が段々麻痺しているせいかも知れないのだ
が、富田がドアにかけている力が、話しているうちにわずかだが少し弱く
なったように感じられたからだ。頭の中だけは相変わらずめまぐるしく回転
している。
「冥土の土産って奴か。だがなあ、知らん方が幸せってこともあるんだぜ」
「頼む……」
 富田を油断させる為に、わざと必要以上に弱々しく、ロビンは言った。
「ふん、いつもの元気は何処へやら、って感じだな。いいだろう、どうせあ
と僅かの生命なんだ。俺に答えられることだったら教えてやる。何なりと
言ってみな」
「八木光江を……どうして……殺したんだ」
「八木光江っていうのは、トリムの屋上から吊したあの女のことだな」
 ロビンは頷いた。彼は富田に気付かれないように、自分の頭の下にあ
る左手でサイドブレーキのレバーをゆっくりまさぐっていた。
「ほう、まだ判ってないのか。そうか、まあ無理もないかも知れんなあ、
こっちもついでに利用させてもらったわけだからな。いやあ、しかしあの
女は実に良かったぜ。顔といい身体といい。お前にも抱かせてやりたか
ったくらいだぜ、ロビン。そうか、世界一と言われる日本の警察の力をも
ってしても、俺の手口をまだ解明出来てないってことか。まんざらでもな
いな、俺も」
 富田は自分の犯行の手口がまだ解明されていないことが意外なようだ
ったが、同時にそれに対して至極満足気な、してやったりという表情をし
ていた。
「じゃあ、説明してやろう。そもそもの発端は、トリムの会長が新しい女を
囲おうとした時から始まったと言ってもいい。それぐらいは、お前にだって
調べはついてるだろう」
「巽……明代……のこと」
 ロビンは大きく肩で息をしながらも、起死回生のチャンスを狙っていた。
真相を聞き出したいという気持ちも勿論あるが、それ以上に今は、自分
が生き延びたかった。それには少しでも体力を回復させて体勢を整える
ために、この富田との会話を引き伸ばす必要があった。勝負は一瞬で決
まる。失敗は決して許されないのだ。

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2008年1月18日 (金)

RobbinⅠ-帝王の花嫁- 第十章(2)

 次の瞬間、ロビンはつい思わず我を忘れ、無意識のうちにその方向に
駆け出していた。ここで逃がしてなるものか、という焦りの気持ちがあっ
た。しかし彼がその場所にたどり着いた時には最早、今の今まで有った
ような気がした傭兵コブラの姿は影も形も無かった。まだ遠くまでは行っ
ていないはずだと思い、焦って辺りを探しては見るのだが、冷静さを欠い
たその時のロビンにコブラを見つけられる筈もなかった。
『くそっ、何処へ行ったんだ』
 やがてロビンは、その丘の黒田専務の別荘とは反対側の方に、注意
深く周囲の気配に気を配りながら降りて行った。降りていく途中では、木
々の間から反対側の山並が見え隠れし、降りきった所には目の前に舗
装された二車線道路が一本通っている。ちょっとした崖沿いに道が走っ
ているようで、格好の見晴らしだった。
 その道は、今降りて来た丘を隔てた主要道路の一本裏通りにあたる
ためか、人っ子一人いる様子がなく、安閑としていた。ちょうど降りた所
のすぐ近くに、緊急避難用のスペースらしきものがあった。ロビンは道
の反対側の、その少しせり出した場所へとゆっくり歩いた。正面の山間
に木々の紅葉が美しく映えており、その眺めに思わずロビンも、今の状
況すら忘れてしばらくの間、見とれてしまう程だった。

 ときおり風が肌寒く感じられ、思わず彼は革ジャンの襟を立てた。彼方
から車の音が近付いて来るのを微かに聞きながら、彼は愛用の煙草を
取り出そうとした。先ほど聞こえた車の音に、何となく本能的に嫌な感じ
がして、彼は何の気なしに少し首を右にひねり、視界の端にその車を捕
えた。車線を斜めに横切りながら、車がロビンのいる方に向かって来て
いるように見える。ハッと気付いて振り返った時には、車は猛スピードで
寸前まで迫って来ていた。異常に気付くのが一瞬遅れてしまったため、
ロビンはすでに逃げられるタイミングを逃していた。
『だめだ!』
 運転席の富田の笑顔が目の前までやって来ているのが、スローモー
ションのように見える。アドレナリンが派手に分泌しているらしく、頭の中
だけが異常に速く回転しているのだが、身体がそれに付いていかない。
『殺される!』
 そう思ったと同時に彼は、反射的に車のフロントガラス目掛けて、ちょう
ど走り高跳びをするように、身体を横にして回転させながら、逆に車の方
に向かって行った。右肘が車のボンネットにかすった瞬間、彼は身体を
浮かせて上方に逃れようと、思いっきり右手でボンネットを突き放すよう
に叩いた。
 空の青さが目に飛び込み、一瞬の間があったように感じられた。だが
それも次の瞬間、彼は脇腹から背中にかけてのあたりと右足の太股の
付近を、車のフロントガラスの上部付近で、嫌という程したたかに打ち付
けられた。
 車の上を転がり、次に彼は排気ガスの臭いを嗅ぎながら、地面に背中
から叩き付けられた。同時に自分の身体から鈍い音がしたのが、ロビン
の耳にはっきりと聞こえた。
「ぐ……」
 息が詰まり、本当に死んでしまうとロビンは覚悟した。辛うじて即死だ
けは免れたようだが、全身打撲の重症であることに変わりはない。間違
いなく肋骨の三、四本は折れているようだった。心臓の鼓動がやけに大
きく聞こえ、それと同期して徐々に激痛が全身を襲ってくる。身体の右半
分が言うことを聞かず身動きがとれない。アスファルトの臭いが鼻に付く。
流石に車は急ブレーキをかけ停止した。すぐバックにギアが入ったようだ
った。
『これまでか…』
 そのままバックで戻って来れば、ほとんど動けない今のロビンにはどう
しようもない。そして富田なら表情一つ変えずに、いともたやすくそれぐら
いのことはやってのけるだろう。そういう場面を何度か、ロビンは過去に
実際に見て来た。こと人を殺すことに関して、富田がこれまで仕損じたこ
となど、少なくともロビンの知っている限りでは皆無だった。

 車はぐんぐんロビンの方に近付いて来るが、右手は勿論のこと、脇腹か
ら背中の辺りもしたたかに車のボディーで打たれているから、力も入らな
い上に避けようが無い。辛うじて左手と左足は何とか動きそうだったが、
それだけでは窮地に立たされている今の状況からは逃れようがない。観
念して彼は目を閉じた。
 エンジン音が寸前まで迫って来ている。洋子の笑顔が一瞬目の前をち
らついたような気がした。しかし車は彼の意に反して寸前で停止したよう
だった。ゆっくり目を開けると、運転席のドアが開き、富田が降りてこちら
に向かって笑顔でゆっくり歩いて来るのが判った。富田の両足がロビン
の目の前で止まり、ロビンは自然と富田の顔を見上げる形になった。
「よう……」
 富田はにやにや笑いながら彼を見下ろしていた。ロビンの嫌いな「傭兵
コブラ」の顔が、そこにあった。

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2008年1月17日 (木)

RobbinⅠ-帝王の花嫁- 第十章(1)

 翌朝ロビンは車の中で、朝の気配を感じて目を覚ました。通常の人間で
あれば睡眠不足の毎日の筈なのだが、傭兵時代の訓練に明け暮れた毎
日のことを思えば、別に苦ではなかった。身体が決して忘れない傭兵時代
の経験のお陰で、寝ている時でも自然と神経は周囲に気を配るようになっ
ている。その時に比べれば、多少は身体の敏捷さが鈍くなってしまってい
るとは言え、この程度であればまだまだ充分役に立つ。
『シャークのセシウム・ガスの洗礼は、強烈だったものなあ』
 セシウム・ガスは、俗に言う催涙ガスより遥かに強力で破壊力も強い。
これを顔にかけられると猛烈な熱さと痛みで前後不覚の状態に陥り、大の
男でも簡単に気絶してしまうくらいの威力がある。それを夜うっかり眠って
いる時にやられ、朝気がつくと木の上から逆さに吊されているのだ。いくら
鈍い人間でも何度もこれをやられれば、自然と身体の方が周囲の気配に
反応するようになって来るというわけである。
 彼方に黒田専務の別荘が双眼鏡で捕えられた。紺とグレーのツートンの
レパードが見えるから、多分彼は別荘で眠りについているのだろう。少なく
ともこの辺りを行動するのに、車は欠かせない物なのだ。
 ロビンの今居る場所は、ちょうど少し小高い丘の窪地のようになっており、
周囲からは余り目立たぬ見張りには絶好の場所と言えた。彼は最小限の
物音で枯れ葉の積もった林の中を動き、辺りに気を配りながら黒田専務の
別荘の方に近付いて行った。裏の小高い丘の上に立った彼は、再び双眼
鏡で辺りの様子を観察し始めた。黒田専務の別荘の道向かいの、斜め前
にある三階建てのペンションの一室から、窓越しにカーテンの影から別荘
の方を覗いている、一人の男の姿が捕えられた。だが部屋が暗いこともあ
り少々遠すぎて、顔まではハッキリと識別できない。
『あれか』
 こんな朝早い時間から、じっと黒田専務の別荘の方を覗いているような酔
狂な人間は、刑事くらいしか居ない筈である。正面の表通りには時間が早
いせいか、人っ子一人通っていない。昨夜出発前に深夜営業のコンビニエ
ンスストアで買っておいたパンをかじりながら、彼はひたすら待ち続けた。
持久戦になることは間違いないと覚悟していたロビンだったが、変化は意外
と早くやって来た。

 その日の昼頃、黒田専務が車庫の方に姿を現わしたのだ。彼はすぐさま
取って返して、自分の車の所へ戻った。やがて黒田専務のレパードは別荘
を出ると、ロビンの隠れている場所の前を通り過ぎ、道沿いに少し離れた所
にあるレストランの駐車場に入った。先程のペンションの方を見ると、特に刑
事が走り出して来る様子もないことから、黒田専務の日常行動の一つのよ
うだった。車から降りた黒田専務が、そのレストランの中に入って行くのが見
てとれた。
『昼食ってわけか』
 やがて先程のペンションから一台の車が、やはりそのレストランの駐車場
に入って来た。ロビンには、双眼鏡越しに見えるその運転している男に見覚
えがあった。
『ほう、沼尾の旦那か…』
 だが彼は車からは出ずに、その駐車場でじっと待機している。沼尾刑事が
ロビンの顔を知っている以上、車で迂闊に尾行するわけにはいかない。仕方
ないが車での尾行は今は沼尾刑事に任せて、止めておいた方がよさそうだ
った。
 ロビンが再び黒田専務の別荘の方に何気なく目をやった時、一人の男が
先ほど彼が居た小高い丘の方に、別荘の裏辺りから登って行くのが目視で
確認出来た。表の道沿いからは死角になっていて見えない位置だった。沼
尾刑事の方は黒田専務の動向に気を取られ、別荘の方までは注意が向い
ていなかった。思わず彼は双眼鏡を掴み、まさかと思いながらもその男に焦
点を合わせた。
「奴だ!」

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2008年1月16日 (水)

作者の簡単レビュー 【その12】

 ロビンを男優さんで例えると誰がイメージ的に近いだろうと、ずっと考え
ているのですが、なかなかピンとくる人がおらず、今に至っています。
 もともと芸能通ではないですし、あまり男優さんには興味がないので
-当たり前ですが-良く知らないというのもあるのでしょうね。近い線い
ってると思う人は何人かいますが、少なくともSMAPメンバーは違います。
(ファンの方がこれを見てたら、きっと怒られますね)
 脇を固めるメンバーの中では、兄貴分にあたる傭兵ゼブラが福山雅治
さん、個性的な傭兵コブラは松山ケンイチさん、といったところでしょうか。
年齢設定からいくと、お二人ともかなり若いので少し無理があるかも。
コブラの狂気のイメージはかの松田優作さんが一番ピッタリするのです
が年齢的なものも違いますし、他界されていますのでね…。
傭兵シャークもなかなか難しいですね。本郷刑事は佐藤浩一さん、喫茶
アルファのマスターは西村雅彦さんですかね…っていうか、そんな豪華
キャストじゃあ、映像化は無理ですねえ (^.^)
 次からの第十章のサブタイトルは「コブラふたたび」です。元原稿では、
本当は第九章から続いていたのですが、区切って分けました。

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2008年1月15日 (火)

RobbinⅠ-帝王の花嫁- 第九章(11)

 自分の推理に確信を持った津田は、佐々木の所へ戻って尋ねた。
「佐々木さん、貴方の部屋の鍵は貴方しか持っていませんか」
「ええ、もちろんですよ。もっともエレベーターのカードキーじゃなくて普通
の鍵ですから、私の知らない所で複製されてれば判りませんがね。厳密
に言えばスペアーキーは確かに有りますが、それは総務の保管金庫の
中で眠ってます。でもそれが何か?津田さんに信じていただけるかどうか
判りませんが、私は明代にだって合鍵は渡してませんよ」
「いや、ちょっと気になったんで尋ねてみただけです。誤解なさらないで下
さい。ところで貴方の美人秘書の名前、何て言いましたっけ」
「西森ですが、彼女が何か」
「例えば彼女の出勤状態は、どうすれば調べられるんですか」
「出勤状態って言うと、出勤時間とか休みをいつ取ったかってことですか。
それだったら総務のコンピューター管理課に尋ねれば、すぐに判ります
よ。もっとも彼女の社員番号が必要ですがね。希望する月の物を一覧リ
ストで、即座に打ち出してくれる筈です」
「それは貴方がその管理課に尋ねれば、何の問題もなくすぐ出て来るん
ですか」
「私が自分の秘書に直接尋ねた方が、手っ取り早いですね。他部署であ
る管理課に依頼する為には申請の書類が必要でして、それには正当な
理由と本人の同意が必要ですから。個人のプライベート問題が絡んでき
ますし、どうしても会社という組織である以上、正式に依頼すると大袈裟
になりますね」
「変な話ですが、貴方が誰か秘書に顔を見られたくない人物を、秘書に全
く気付かれずに部屋に招き入れたい時はどうしますか。秘書室を通らなけ
れば、貴方の部屋には入れないんでしょうし。誤解しないで下さい、例え
ばの話ですよ」
「そうですね、単純に考えるなら、秘書がその時に居なければいいわけで
すから、何か用事を作りますね。例えば……コピーを多少時間のかかりそ
うな量を頼むとか。コピー室は私達の部屋とは別の所にありますからね。
秘書を単独で私の居る階以外に行かせるのは出来ないことはないが、総
務へ事前の面倒な手続きがいりますから、自然ではないですね。過去に
そういう事例は発生していませんし。…待てよ、そうすると秘書が帰ってき
た時に、私にコピーを渡そうと部屋に入って来て、その人物を見てしまう可
能性があるわけですね。うーん、そうするとその人物を招き入れる時と帰
らせる時の両方、秘書を必然性のある用事で出さなくてはいけないことに
なってくるわけですか。難しいな、これは」
 津田は考え込む佐々木を見ながら、にっこり笑って言った。
「そんなに難しく考えないでくださいよ、佐々木さん。逆はどうですか」
「逆?はて、逆とはどういう意味ですか、津田さん」
「つまり貴方は今、秘書は絶対に居る、という前提に立ってるでしょう」
「秘書が居ない時を利用するというわけですか。しかしそうそう上手くは、
こちらの都合に合わせて彼女が居ないとは限らんでしょう」
「別に、こちらの都合に彼女を合わせる必要は無いでしょう。彼女の都合
にこちらが合わせればそれで済むことですから」
「津田さん。おっしゃってる意味が、よく判らないんですが」
「いや、単純に彼女が休みの日にその人物に来てもらえば良い、と言っ
てるだけですよ。あらかじめその日が判っているのならね」
「なるほど、そう言われればそうですな。こちらが依頼しない限りは、臨時
の秘書は付きませんからね。よしんば総務の方が気を利かせてそう言っ
てきても、特に急を要する仕事はないから構わないと断わればいいから」
「そこで佐々木さん、実に申し訳ないお願いばかりで恐縮なんですが、貴
方がたの秘書に、例の屋上から死体がぶら下がった日以前の、休日や
早退などの状態を尋ねて頂けませんか。特に事件の前の週の金曜日を
知りたいんです。完全週休二日制を実施してるトリムだから、土曜日は休
みだった筈ですからね」
「お安い御用です。じゃあ、私の部屋に戻ってからにしましょう」

 その日の夜、ロビンはひたすら愛車を走らせていた。秋風が肌寒いくら
いの、満月が煌々と照らす夜だった。佐々木に昼間尋ねてもらった結果、
黒田専務の秘書が金曜日に休んでいたことが判った。その日彼女は友
人の結婚式に出席しており、そのための休みの予定は、一ヶ月前にすで
に提出されており、黒田専務の了解も取っていたと言うことだった。
『俺が調べてここまで判るのに、どうして警察は黒田専務を逮捕しないん
だろう。それとも慎重に証拠固めに入ってるのか。どう考えても黒田専務
が、八木光江の一件の鍵を握ってるのは間違いないんだが』 
 黒田専務は体調不良を理由に、例の中央高速上の現金受け渡しで警
察に事情聴取されて以来、いったん入院した後、退院して現在も長野に
ある彼の別荘で静養中だという話だった。彼はもう一つ、伊豆にも別荘を
所持していた。
『それも解せない。何故この秋に伊豆じゃなくて、寒い長野の別荘なんだ。
不自然すぎる』
 おそらく刑事が彼の別荘を張り込んでいる可能性が高いが、そこに富田
が居るかどうかは判らない。彼がのうのうと別荘内に居るとは思えなかっ
たが、さりとて簡単に張り込みの刑事達に発見されてしまう程の、迂闊な
人間ではない筈だった。
『カモフラージュで奴らの目は胡麻化せても、俺の目は胡麻化せんぞ、コ
ブラ』
 助手席の上で、ケースに入って柄の部分に「R」と彫られたアーミーナイ
フが、差し込む月光の中で静かに出番を待っているようだった。

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2008年1月14日 (月)

RobbinⅠ-帝王の花嫁- 第九章(10)

「別荘、ですか」
 佐々木はいきなり突拍子もないことを津田に尋ねられ、面食らっていた。
「そう。別荘、あるいは別宅でもいいですがね」
「ちょっと待って下さい。彼の秘書に連絡して、聞き出してみましょう」
 佐々木が社内電話で聞いている間、津田はあらためてその部屋の中を
見渡した。床に敷き詰められた分厚い絨毯や、調度品の豪華さが目を引
く。最近内装を新しくしたようで、エアコンはフルにきいているのだが、まだ
微かに独特の臭いが鼻に付いた。曇り一つ無い窓ガラスから、外の景色
を何気なく見ていた津田は、ふと目を止めた。じっと見つめているうちに、
ある事に気付き、心臓の鼓動がやけに耳に付き始めた。
「津田さん、ここが住所ですが、これでよろしいですか」
 そう言って佐々木は、メモ用紙に走り書きした物を津田に手渡した。津田
はほとんど上の空でそれを一瞥するとポケットにしまい込み、さらに言った。
「申し訳ないけど、佐々木さん、最上階の展望室と屋上を見せて貰うことは
出来ますか」
「え?ああ、いいですよ。会長はまだ海外出張中ですから、大丈夫でしょう」
 頻繁なエレベーターの乗り換えに辟易しながら、津田は初めてその展望
室の中に入った。贅沢の限りを尽くした内装は、現実離れし過ぎていた。そ
してそれは彼の最も忌み嫌うものだった。
『豊かな生活が享受されるためには、何かが犠牲になって失われていくん
だな…』
 殺伐とした光景だと彼は思った。温かみのかけらすら、存在が否定され
ているように思えてならなかった。彼は佐々木にそこで待ってもらい、一人
で屋外に出た。
 屋上を時折吹き抜ける風の中で彼は、自分が富田だったらどうやってこ
の犯罪を実行するだろうかと先程から考えていた。八木光江をわざわざ担
いで、えんえんと非常階段を登ったりはしない筈である。
 津田は先程思い付いたことを確認する為、屋上の低い手すりから身を乗
り出すようにして、下を覗き込んだ。
「あそこと、あそこと、あそこ……か。なるほどな」

 津田は納得して微笑んだ。彼の推測が正しければ、八木光江は生きた
まま再び自分の意思で、トリム内に舞い戻っていたことになる。注意深く
観察すると、監視カメラは一階の出入り口や非常階段には向けられている
が、十一階以上の階には一切向けられていない。津田は屋上から非常階
段の状態と守衛所の様子を暫く見ていた。
『やっぱり間違いない。昼間に守衛所を通る時には、いちいち社員証を見
せなくても大丈夫だ。多分あの日俺と会った後にここへ奴はやって来て、
俺がこの前やったのと同じように制服姿でいかにも社員を装って堂々と入
ったんだ。朝の出勤時は社員証を見せるのが普通だが、制服のままで外
出することもある昼間なら話は別だからな。それに休日出勤して仕事する
奴は何十人も居るんだ。幾らコンピューター管理されてるとは言え、いちい
ち休日出勤の社員の名前と部署まで常時チェックしてるとは思えん。守衛
所で該当する本人かどうかまではチェックしない筈だから、判るわけがない
しな。
 そして社内に潜んで夜を待てば、屋上まで屋内階段と非常階段を使って
登ればいい。余程大きな物音を立てて注意を引かない限り、無事に誰の
目にも触れずにこの屋上まで来られる筈だ。それに辺りの暗闇が味方して
くれる。下から幾ら見上げたって、夜に非常階段を登ってる奴など見えるわ
けもない。第一そんな奴がいる筈ないと思ってるだろうから、見ようともしな
いだろうが。
 まあここまで来られれば、あの金網を乗り越えるのはたやすいな。それに
あのポールまでなら俺だってロープさえあれば辿り着けるさ。そして屋上か
ら奴はロープで降りて行った、そこまでは判る。そうなってくるとこの建物の
構造上、この縦の一直線上の何処かの部屋に彼女が居てくれさえすれば、
一番簡単なんだが……。守衛は十一階までは巡回してるから、それ以上
の階なら誰も来やしないわけだ。消防法とやらの赤い三角の印の付いた窓
は、内部からは開かないが外部からは開けられる。そこから内部へ再度侵
入しようと思えば、出来るわけだからな。位置的には真下が佐々木常務の
部屋になってるが、斜めの黒田専務の部屋へたどり着くことは、この角度
なら何とか可能だな』

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2008年1月13日 (日)

RobbinⅠ-帝王の花嫁- 第九章(9)

 アルファで本郷と別れた後、津田は簡単な食事を済ませてから、いったん
自分のアパートに帰って来た。
『新宿、プッシー・キャットの水野正美、か』
 富田の行方を追うためには、取り敢えずそのホステスをマークする必要が
あった。だが警察とてそのくらいは読んでいる筈であったし、当然ながら張り
込みの刑事達がいることになる。また彼女から富田の人相や背格好を聞い
ている筈だった。
『だが警察は、傭兵としての富田を知らない。奴が本当に身を隠してしまえ
ば、見つけ出すのは決して容易じゃない』
 どちらが早く富田に追い付けるかで勝負が決まるが、その道のりは遠い。
「また雨か……」
 降り出した雨の中を、遠くから一人の女が傘もささずによろよろと、危なっ
かしい足取りで歩いて来るのが判った。
「彼女じゃないか」
 かつて窓越しに顔見知りのその女は、一人で唇を噛みしめるように歩いて
来る。時々しゃくり上げるようにしているから、泣いているのは間違いない。
「そうか、あんたも独りぼっちになっちまったのか」
 なんとも言えぬ気持ちで、津田はじっとその女を見ていた。
「だがな、人間ってのは一人の時が強くなれる時なんだぜ、お嬢さん」
 津田は自分を励ます