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2007年11月28日 (水)

RobbinⅠ-帝王の花嫁- 第五章(4)

「何だと。黒田専務が現われて、現金入りのトランクを桑田社長の車から移
し替えてるだと!奴ら一体、何を考えてるんだ」
 八王子インターを通過中だった村上警部補は、連絡を受けて唖然とした。
急いで中央高速のパーキングエリアの案内図を膝元に広げる。
「……今のところ、犯人らしき人物からの接触は無いようですが、どうしまし
ょうか」
「先行の車はどの辺を走ってるんだ。間に合いそうなら、彼らと合流させろ」
「今、上野原インターを通過中です。談合坂サービスエリアまでは、七キロ
ほど距離があります。時間にすれば二、三分ですが、間に合いません」
「よし、現金が黒田専務の車に移動したことは、間違いないんだな」
「……はい。二人で移し替えてましたから」
「じゃあ、仕方がない。現金が載ってる方を追うしかない。黒田専務と桑田
社長はどうしてるんだ」
「……二人とも車の中でじっとしてます。動き出す様子はありません。あ、
黒田専務の車が動き出しました。桑田社長の方はいいですか。何だった
ら我々のうち、片方が残りますが」
「わかった。じゃあすまんが片方が残って、桑田社長を見張っててくれ。我
々も大至急そちらに向かうが、我々の先行車が先程、そこの一つ手前の
上野原インターを通過してる。そこに居残った人間をピックアップして、そち
らに追い付いて合流するよう指示しておく」
「……わかりました。では沼尾刑事に残ってもらいます」

 黒田専務のレパードは、カーブの多い雨の中央高速を凄いスピードで飛
ばして行った。
『何て運転しやがるんだ。危なくて仕方がないな』
 ともすれば振り切られそうなほどで、八木刑事は前方のレパードを見失
わないように付いて行くだけで必死だった。やがてそのレパードが『初狩
パーキングエリア』の表示に従うように、ウインカーを左に出した。
『何だ?まさか今度も誰かが待ってる、とでも言うんじゃないだろうな』
 彼の嫌な予感は見事に的中した。佐々木が先程の黒田同様に、休憩所
に到着したレパードを傘をさして出迎えている姿を見た時、八木刑事は再び
無線を握り締めていた。

「何だと。今度は佐々木常務が待ってただと!」
「……また現金の移し替えをやってるようです。ただし二つだけです。一つは
黒田専務のレパードに残されています」
 村上警部補は、犯人一味に右往左往させられている自分達を感じて、嫌
な予感がした。
「何で、そう何度も現金を移し替えなきゃならんのだ、我々を混乱させるため
なのか。二台に分けてどうしようって言うんだ。おい、黒田専務と佐々木常務
を見張ってた班の連中は、もう引き上げちまったのか。一人くらいは念のため
に残しとくのが、漏れのない捜査の基本中の基本だぞ。くそったれめが!ど
うして奴らがここにいるんだ」
 その時、別の無線が入ってきた。
「……沼尾刑事からの緊急連絡です。桑田社長の車が先程、先行車が沼尾
刑事をピックアップする前に動き出したそうです」
「何だとう」
「……八木です。二人は別々に発進しました。仕方ありませんので、トランク
二つを載せて先に動き始めた佐々木常務の方に絞りますがいいですか。佐
々木常務の方は凄いスピードで飛ばしていますが、それに比べれば黒田専
務の方はゆっくりです」
「わかった、そうしてくれ。今、沼尾の方から緊急連絡があって、桑田社長の
車が動き出したそうだ。まさかとは思いたいがその先の休憩所で、今度は佐
々木常務と桑田社長が落ち合うかも知れん。充分注意してくれ……釈迦堂
か境川か、或いはもっと先かもしれん。こうなったら犯人が双葉サービスエリ
アと言ったのも疑ってかかった方がいい」
「村上警部補、まさかとは思いますが、犯人の狙いは元々、三つに現金を分
散させることだったのではないでしょうか」

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2007年11月27日 (火)

RobbinⅠ-帝王の花嫁- 第五章(3)

 桑田社長の運転する白のマークⅡが、ほぼ二百メートル先を走っている。
後続の覆面パトカーに乗り込んでいるのは、八木刑事と沼尾刑事のコンビ
だった。
「ユーミンの中央フリーウェイの世界だな」
「え、どうしたんです。いきなり柄にもなく」
 八木の口からユーミンなどという言葉が出てくるとは、沼尾は思いもしな
かった。
「ふ、まあそう茶化すなよ。しかし本格的に降り始めちまったなあ」
「そうですねえ。でも桑田社長の車がそんなに飛ばしてないんで、追跡も楽
だから助かりますよ」
「なあ、今回の事件は一体何だったんだろうなあ」
「さあ、双葉サービスエリアで待ってる犯人に聞いて下さいよ。しかし意外と
ドジな犯人ですね、大人しく待ってるとすれば。この調子なら、犯人逮捕ま
であと一時間位ってとこですかね」
「現実の犯人なんてそんなもんさ。推理小説に登場するような、重い過去を
背負ってる奴とか、狡猾な奴とかはそうそう居るもんじゃない。今回だって、
世間体を気にして桑田社長が我々に通報してないと思ってるんだから、平
和なもんさ。トリムの事件が起こった時は、正直言ってとんでもない事件が
起きたと思って冷や汗が出たが、こんな風に展開するとは思わなかったな。
拍子抜けだが、これで良かったのさ。我々は他にも、幾つか事件を抱えて
るんだ。幾らマスコミが大々的に取り上げても、こっちだっていつまでもそれ
に付き合える程、暇じゃないからな。そう言えばこの前の府中の女子大生
殺しは、犯人の目星は付いたのか」
「ええ。重要参考人として、被害者の元恋人だった会社員を取調中です。
あれっ?」
「どうした」
「桑田社長の車が……」
 そのマークⅡがウインカーを左に点滅させながらゆっくりと、トイレと軽食と
ガソリンスタンドの表示がされている、緑に白抜きの『談合坂サービスエリ
ア』と書かれた看板に導かれるように、休憩所の方に向かって行くのが見
えた。
「トイレへでも行くんだろう」
「我々も一応入りますか」
「そうしないと、どうしようも無いな」
 彼らは、そのマークⅡから少し離れた所に駐車した。桑田社長が雨の中を
トイレの方に走って行くのが見えた。やがて傘をさした男が一人、そのマーク
Ⅱに近付いて、じっと立ったまま誰かを待っている姿が彼らの目に入った。
彼らの位置からは、傘に隠れ見え隠れしているその男の顔がはっきり識別
出来ない。
「あれは?犯人の一味なのかな」
「さあ……お、桑田社長が帰って来ましたよ」
 しばらく立ち話をした後、男が立ち去り、桑田社長はマークⅡのトランクを
開けた。
「何をするつもりだ」
 一台の紺とグレーのツートンカラーのレパードが静かにそこにやって来ると、
先程の男が運転席から降りて来た。
「あれは、黒田専務じゃないか」
 彼らが重そうなトランクを二人がかりで、マークⅡからレパードに移し替える
のが見えた。
「おい、こんなことは筋書きには無かったぞ。至急連絡だ!」

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2007年11月26日 (月)

RobbinⅠ-帝王の花嫁- 第五章(2)

「おそらく昨日の電話で、我々が介入しているかどうかを確かめたかったん
じゃないのかな。この周辺で警察と思える動きがあるのかどうかを確認する
ためにも、わざと陽動のつもりでああ言ったんだろう。幸い彼らには感づかれ
なかったようだから、警察には通報されてないと判断して身代金受け渡しの
連絡をして来たと思うんだが、念のため佐々木常務と黒田専務を張ってる連
中に連絡してみろ。彼らにすでに犯人から電話が入って、何らかの行動を起
こしているとなると、話は別だ」
 本郷は早速、彼ら二人の自宅周辺に張り込んでいる班にも連絡を取ってみ
た。佐々木常務は八時少し前に車で外出し、少し自宅から離れたファミリーレ
ストランにいた。黒田専務も九時数分前に、車で喫茶店に出かけていた。私
服警官は当然、そのレストランや喫茶店の内部にも客を装って潜入し、念の
ため彼らの一挙一動を注意深く見守っている筈であった。もしも不審な動きが
あれば、当然ながら村上警部補達に緊急連絡をよこす手筈になっている。
『この時間になっても、彼ら二人に犯人が接触した様子がないってことは、桑
田社長のみに電話をよこしてきたと見て間違いなかろう。犯人が複数だから、
何か我々を混乱させることを企んでるかもしれんと思ったんだが、俺の思い過
ごしだったか…』
 桑田邸の居間にいる村上警部補達の耳に、ガレージのシャッターを開ける
音が聞こえた。
「尾行には充分距離を置いてな。多分途中での妨害工作らしきものは何もな
いとは思うが、万が一もあるからな。犯人が監視してる可能性もあるから充分
気を付けてくれ。あとは現在位置を適時連絡してくれ」
 裏口からあたりの様子を伺いながら、八木刑事と沼尾刑事は覆面パトカーに
乗り込むと、桑田社長の車の尾行を開始した。
「奥さん。我々はこれで失礼しますが、ご主人がお帰りになるまで彼を待機さ
せて万が一の場合に備えておきたいのですが、よろしいですか」
 村上警部補はそう言うと大橋刑事を紹介した。桑田美奈子は緊張した面持ち
で、無言で頷いた。
「恐れ入ります。ご主人は遅くても十二時頃にはお帰りになられると思いますの
で」
 桑田夫人に裏の勝手口で深々と礼をした後、村上警部補は待機させておい
た覆面パトカーに本郷刑事と共に乗り込んだ。
「その後、黒田専務と佐々木常務の二人に何か変わった動きはないか。まさか
とは思うが、念には念を入れといた方がいいからな。それに山梨県警の方にも、
もう一度状況を説明しておいた方がいいだろう。本郷、すまんが連絡を頼む」

 静かに発進する車のフロントガラスに、小粒の雨が時折まばらに降り立ち始め
た。それと同じ頃、桑田美奈子は窓越しに表の街灯を眺めていた。その脇の応
接間のソファーには、借りてきた猫のように、大人しく腰掛けている大橋刑事が
いる。手持ち無沙汰に煙草を黙々と吸い続ける彼に、美奈子が恐る恐る声をか
けてきた。
「あの、刑事さん。すみませんが、ガレージの入り口を閉めて来ていいでしょうか、
主人が慌てて、閉め忘れているようですの。物騒ですので」
「あ、いや、奥さん。それには及びません。私が閉めて来てあげましょう」
 立ち上がりかけた大橋刑事を制して、美奈子は慌てて言った。
「いえ、そんな。滅相もない。刑事さんにうちのガレージを閉めさせたなんて知れ
たら、それこそ主人に叱られますわ。それに犯人の仲間がもしこの周辺をうろつ
いていて見られたりするとまずいでしょう。すぐ戻って来ますので、ここにいらして
下さいますか」
「ああ、構いませんか。遠慮なさらなくてもいいですよ」
「いえ、本当にお気持ちだけで充分です。じゃ、ちょっと失礼します」
 そう言うとそそくさと美奈子は、玄関から出て車庫の方に向かった。
『今どき社長夫人って言えば、プライドが高くてお手伝いに何もかもやらせてる人
種だと思ってたが。あれほど腰が低くて自分で何もかも家事をやってる人も珍し
いな。まぁ、元々がいいとこ出のお嬢さんなんだろうが』
 煙草の煙に目を細めながら、大橋刑事はそう思った。やがてしばらくすると美奈
子は少し息を荒げて戻って来たが、その髪と両肩は少しだけ濡れていた。
「すみません、お待たせしてしまって。雨が降り始めてるようですわ…」
 そう言われて初めて大橋刑事は、窓越しの街灯の光の下をよくよく目をこらして
見た。かすかに雨らしきものが、時折小さく光るのが確認出来た。
『いやな雨だな。うまく犯人が逮捕出来ればいいんだが』

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2007年11月25日 (日)

RobbinⅠ-帝王の花嫁- 第五章(1)

 そして火曜日の夜はやってきた。
 桑田社長宅の電話が、夜の静けさを引き裂くようにやや感高い音で鳴り
響いたのは、約束の日の夜の十時を少しまわった頃だった。桑田は不安
気に村上警部補の方を見た。彼は大きく頷くと八木刑事に目配せし、桑田
に低い声で短く言った。
「どうぞ。なるべく会話は引き伸ばして下さい」
 桑田は頷くと、おもむろに受話器を取った。すでに電話機は居間の方に
移動してあり、それを中心として数人が取り囲む状態にある。当然ながら
会話の内容は録音されている。
「もしもし、桑田ですが」
「よう、社長さん。俺だよ。どうなったね、身代金は用意出来たかね」
「何とか……。しかし余りに法外な金額じゃないか」
「ふん。まあいいじゃないか。じゃ、伝える。一度しか言わんぜ。いいか、あ
したの夜八時ちょうどに、お宅の車に現金を入れたトランクを詰め込んで、
スタンバイしてろ。大きさの同じトランク三つに分けて現金は入れておけ。
その方が運び易いだろ。あとのことは明日の夜追って指示する。くれぐれも
車の中には社長さん、あんたと現金入りのトランクだけにしといてくれよ。我
々もチェックくらいはさせてもらうかも知れんよ。じゃ、また明日」
「もしもし!君、待ちたまえ。話はまだ……」
 電話はそこまでだった。溜息をつき桑田は、受話器を下ろすと不安げな表
情で村上警部補の方を見た。
「勝負は明日、ということですな」

 翌日は覆面パトカーが総出で、桑田社長宅周辺を朝から秘かに巡回した
が、努力の甲斐もなく、特にこれと言って不審な車両や人物を発見したとい
う通報もないまま、彼らは夜の八時を迎える羽目になった。だが約束の時間
になっても、電話はかかって来なかった。じりじりしながら待つ彼らを尻目に、
九時ちょうどに電話のベルが鳴り響いた。
「社長さん、ドライブに出発の時間だ。中央高速に乗って甲府方面に向かって
もらおう。双葉サービスエリアにある喫茶店で、我々の仲間があんたの到着
を首を長くして待ってる。そいつにトランクごと中身を渡せば、あんたは自宅に
お帰りいただいて結構だ。あんたの顔は知ってるから心配は要らん。こちらの
方から接触するよ。じゃ、事故に気を付けて安全運転で頼むよ。間に合えば
俺も是非ご挨拶にお伺いするよ。じゃあまた、その時にな」
「双葉サービスエリアだ!」
 村上警部補は叫ぶように言った。
「そこに奴の仲間がスタンバイしてる。大至急、現場に覆面パトカーを急行さ
せろ。私服警官を総動員して張り込ませるんだ。山梨県警にも応援を要請し
ろ。絶対に逃がすんじゃないぞ」
 八木刑事が慌ただしく電話に向かった。
「社長さん、安心して下さい。犯人は意外と単純な奴だったようです。貴方が
警察には通報していないと思っているみたいですから、あっさりと片が付くで
しょう。ちょっと遠いですがドライブして頂けますか」
「わかりました。よろしくお願いします」
 そう言うと桑田は、彼の妻の方を見て少しうなづくと車庫の方に向かった。
やがてエンジンの音が聞こえた時、本郷は気になっていたことを村上警部補
に小声で尋ねた。
「村上警部。犯人の行動が、あまりにも単純すぎやしませんか」

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2007年11月24日 (土)

作者の簡単レビュー 【その7】

トリム本社のエレベーター設定はやたら面倒で、資料に絵を描いて残した
ぐらいでした。また物語の中ではあまり具体的に語られることはないです
が、喫茶アルファ内部や津田の部屋の見取り図なども、資料で残してあり
ます。
次の第5章のサブタイトルは、「完全犯罪-消えた身代金」になります。
何となく物語の全体像が見えてきました?いえいえ、そんなに単純では
ないですよ (^.^)

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RobbinⅠ-帝王の花嫁- 第四章(11)

「わかりました。いずれは判ってしまうだろうと覚悟はしてました…悪いこと
は出来ないものですね。ご推察の通りです。あの時暴漢に襲われた私が
それこそ半死半生でいた時、偶然に彼女が友人の所からの帰り道に私を
発見したらしいのです。最初は私だとは知らずに、泥酔者か何かだと思っ
て声をかけてきたようでしたが、私と判ってそれこそびっくりしていました。
 顔見知りであったこともあったのでしょうが、彼女は嫌な顔一つせずに手
当てをしてくれました。それまでは彼女をただの仕事の延長上の対象でし
か見ていませんでしたが、そういう姿を見るうちにどちらから言い出したわ
けでもなく、自然に関係が出来てしまったんです。
 何度か密会を重ねるうちには、確かに会社内の人間関係を愚痴程度に
こぼしたことはあります。しかし、だからと言って彼女が、今回の殺人事件
に関与しているなんて信じられません。確かに仕事が仕事かも知れません
が、彼女はそんな風な人間じゃありません」
「お気持ちは判りますがね。じゃあ彼女以外の第三者の誰が、トリム内部
の人間関係の情報を知りえるのですか。貴方の口から漏れたので無いと
するならば」
「そ、それは………私には何とも」
「ところであんた、この事件の犯人に何か心当りがあるんじゃないの。彼女
の周辺の人間でそれらしい不審な人物を知ってるだろう。例えば実は彼女
には内縁の夫がいたとか、ヤクザがらみの人間がうろちょろしてたとかさ。
隠したって調べればすぐに判ることだ。下手に嘘はつかない方が身の為だ
よ、佐々木さん」
 いきなり横から、沼尾刑事がぶっきらぼうに言った。
「私が彼女とのことを脅されていたのではないか、ということですか」
「まあ早い話が、そう言う類のことだわな」
「残念ながら、そう言う事実は全く有りません。もっとも……」
「もっとも?もっとも、何だね」
「彼女の勤務しているクラブ『セラヴィ』のトラブル解決には、大島興業という
その筋の人間が出張ってくるようですが、それが貴方の言うことに該当する
かどうかは判りません。私は彼らのお世話になったことは有りませんし、彼
女にしてもその筈です。彼女からそう言う話を聞いたことがあります、たしか
大島興業と言ったと思いましたが。彼女の周辺でその類の人物というと、私
が聞き及んで知っている範囲ではそのくらいで」
「なるほど。ところで、八木光江という女性に心当りはないかね」
「!……恐れ入りました。会長の四人の愛人のうちの、一人です」
「ふむ。他の三人の愛人の名前は」
「南涼子、春日由佳里、そして鎌田芳子です」
「彼女らの職業は何か?」
「南涼子はアイドル歌手で、春日由佳里は女優です。鎌田芳子は国際線の
スチュワーデスをしています」
「ほう、そうそうたる顔ぶれだな」
 そう言うと村上警部補は、沼尾刑事に目配せをした。彼は大きく頷くと、三
人の名前と職業を走り書きしたメモを持って、その部屋から出て行った。
「ところで桑田社長は、今回の巽明代の件に関して何か言っておられたんで
すか。我々の調査によれば、会長の勇退勧告を近々取締役会で提出するこ
とを考えておられたようだが」
「ど、どうしてそれを。確かに今回にしてもかなり我慢の限界に来ておられた
ようで、私も温厚な社長があそこまで感情をあらわにされるのを見たのは初
めてでした。仏の顔は三度までとはよく言ったものだ、と思いました」
「正木会長の引退を画策されておられるようだが、正直なところ、どうなんで
すか」
「私個人の考えでは、五分と五分だと思っています。確かに会長の挙げられ
た実績が凄いものであることは何人も否定出来ません。公私混同されてい
ることがどのくらい皆の反感を買っているかで決まるでしょうし、社長の経営
手腕の評価もね」
「なるほど……今はその裏工作の真っ最中というわけですか。今回の殺人
事件は、どちら側にとって有利に働くんでしょうかね」
「さあ、その辺は何とも…お答えしようがありません」
 佐々木への訊問はそれから小一時間程で終了し、佐々木は帰宅が許され
た。
「さっきの話、信用できると思われますか」
 本郷が佐々木と同行して取調室を出て行った後で、沼尾が小声で尋ねた。
「佐々木が巽明代との関係を、素直に認めたのが気にくわんのだろう」
「ええ、その通りです。ことがことだけに、私にはちょっと不自然に感じられま
したが」
「かも知れんな。だがいつまでも隠し通せるものでもないだろう。いつかばれ
るのであれば、今のうちに自分から素直に認めた方が、我々の心証の点で
何かと有利だと計算してだとは思うがな。だが当面奴から目は放せんな」
 村上警部補はそう言うと、沼尾刑事から先程受け取った四人の愛人の顔
写真を、じっと見詰めながら何事か思案していた。

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2007年11月23日 (金)

RobbinⅠ-帝王の花嫁- 第四章(10)

 その週の後半には、新たに得られたかずかずの証言を元に、被害者と推
定される八木光江と会長の愛人候補、巽明代をめぐる様々な推測が議論
された。その結果、佐々木が暴漢に襲われた夜、巽明代らしき女性に助け
られるように、佐々木が自分のマンションに入るのを目撃した者が現われた
ため、どうやら巽明代と佐々木は関係があるらしいことが判明した。
 佐々木は過去に妻と子供をほぼ同時期に亡くしており、その後ずっと一人
身を通して来ていることも判った。巽明代が犯人一味であるという仮説の上
に立てば、犯人が巽明代を通じて佐々木からトリム内の情報を入手するき
っかけで暴漢を差し向け、佐々木に巽明代を自然な形で接近させた可能性
が出て来る。
 巽明代が犯人一味でないとも充分考えられるが、その場合は暴行事件が
偶然だったのか、あるいいは誰かの差し金だったのかが争点になってくる。
その捜査結果の如何によっては、桑田と佐々木が主張したように、黒田が
犯人一味に加担している可能性もあながち否定出来なくなるのだ。
 穿った見方をすれば、黒田と巽明代が共犯で、敵対している佐々木や桑
田を会長の愛人問題の失策をネタに、今の立場から追い落とそうと画策し
ている可能性もある。そうであれば黒田が桑田社長側の情報欲しさに、巽
明代を佐々木に接近させたとも充分考えられる。ただしその場合には、黒田
専務と巽明代との接点が問題である。

 だがそれらが今回の殺人事件とどう結び付くのか、となると微妙であった。
所詮は民事の範疇である以上、警察側としても迂闊に介入することは出来
ない。会長派と社長派の対立はトリム電子産業内では有名で、社員の誰も
が一度は小耳に挟んだことのある噂であることもわかった。だが山下と名乗
る男の口調からして、通り一遍ではなくかなり詳しくこれまでの経緯を熟知
していることはほぼ間違いなかった。
 なおかつ、最近から現在に至る桑田社長が置かれている状況を知り尽く
していると思われ、その情報の出所は厳重な箝口令が敷かれているだろう
ことを想像すれば、桑田社長の側近から漏れた可能性が高いと推測された。
 そうなってくると結局、佐々木が一番確率的に高い為、先の巽明代の共犯
説が再び浮上してくるわけである。それ故どちらにしても、巽明代は何らかの
形でこの事件に関与しているのではないかと言う疑惑は否定出来ない。
 犯人が桑田社長に電話をかけてくるまでには、まだ日数的に余裕があった。
特に不審な人物が桑田邸周辺で発見されたという報告も未だ発生しておらず、
表面上は平穏無事な日々が続いているかのようだったが、問題はマスコミ関
係者だった。何とかスクープをものにしようとする執拗なまでの連日の取材攻
勢で、すでに一部の関係者は捜査情報をリークし始めているらしかった。やむ
なく捜査本部ではマスコミ各社を一斉に集め、今後の身代金受け渡しに絡む
報道協定を依頼したのである。
 トリム関係者の事情聴取を行なうべきかどうかは、捜査本部内でも意見が
別れた。だが何もしない方が不自然であるとの意見が結局は主流を占め、佐
々木常務に任意出頭を求めて極秘に事情聴取することが決定された。

 佐々木が任意出頭したのは、その週の土曜日の午後だった。一応トリム電
子産業内の彼の立場も考慮し、会社が休みの日を指定したのである。彼は
素直に応じた。取り調べには本郷刑事と村上警部補、それに沼尾刑事が同
席した。
「申し訳ありませんね、佐々木さん。ご足労願って。どうしても会社ではお聞き
しにくいことがありましたもので、こういう形を取らせていただきました」
 村上警部補は、さも申し訳なさそうに言った。
「いえ、それは構わないんですが……。しかし一体何でしょうか」
 佐々木は別に不愉快さをあらわにするわけでもなく、平静に村上警部補に言
った。しばらくの間あたりさわりのないことを尋ねていた村上警部補だったが、
やがて頃合いを見計らい、本題に入った。
「実は貴方と巽明代さんに関することなんですがね、佐々木さん。正直におっし
ゃっていただきたいのですが、貴方は彼女と個人的な関係があるのではありま
せんか。我々の調べでは貴方と彼女との関係は、貴方が暴漢に自宅付近で襲
われた日から始まった、ということが判明しているんですよ。目撃者の証言もあ
りますしね。そして親しくなるにつれ、貴方は彼女に会社内の人間関係をつい
喋ってしまった……違いますか」
 いきなりの単刀直入に核心を突いた質問に、佐々木は一瞬唖然として黙り込
んだ。誰も一言も発せず、その部屋の時間が全て停止したようだった。それから
五分以上も佐々木はずっと黙ったままで、少し震える指で煙草を取り出しただけ
だった。やがてしばらくして佐々木は、観念したかのように小さく無言で頷いた。
「やはり、そうでしたか。そのあたりの事情を、詳しく話して頂けませんかね」

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2007年11月22日 (木)

RobbinⅠ-帝王の花嫁- 第四章(9)

「山下と名乗る男からの電話を素直に解釈すれば、そういうことになります。
自分達が本気であることを証明したわけですから」
「当然トリムの内部に、その山下と名乗る男と通じている人間がいるとも考
えられますが、目星は付いてるんですか」
「今のところは何とも。桑田社長や佐々木常務に言わせれば、黒田専務だ
ろうということになるようですが、確証はありません」
 本郷は昼間の会話の内容を、皆にかい摘んで話した。
「当然、佐々木常務のこの暴行事件についても、調べてみる必要がありま
すね」
「犯人側がアメリカ・ドルで身代金を要求しているのは、海外逃亡を目論ん
でいるということでしょうか」
「その可能性もあります。ですがアメリカ・ドルの百ドルの方が、十億円揃え
た場合に日本円に比べて量が少なくて済むという狙いで、受け取りや隠匿
する場合のことを計算して要求しているだけなのかも知れません。トリム側
は準備する用意があり、後は犯人側の出方待ちです。当然ナンバーは全て
控えておくよう、銀行側に指示してあります」
「犯人の唯一の遺留品でもある、使用されたロープですが。その後、何か進
展はありましたか」
「それ自体は特殊な物ではありませんが新しい物でしたので、購売元の各
有名及び大手の登山用品店等に的を絞って調べました。何人かはリストで
出て来ましたが、皆それらの店の顔馴染み連中で裏も取れました。今のと
ころ彼ら以外で該当するのは一人だけで、一週間ほど前に御茶ノ水の大手
専門店で購入しています。一元の客で当然のことながら、住所も名前も判っ
ていません。応対した店員の印象としては、三十過ぎの体格の良い客だっ
たというくらいしか記憶にないようです」
「トリムで検出された指紋の照会結果は、その後どうだったんですか」
「過去の膨大なデータとのコンピューター照合の結果は、該当者無しです。
工事点検業者の方も照合を行ないましたが、一ヶ月前にエレベーターと貯水
タンクの点検にやって来たベテラン社員二名のものと一致しています。彼ら
の犯行当日のアリバイも念の為チェックしましたが、問題ありません」
「本社ビルの十二階以上に部外者が侵入することはまず不可能でしょうが、
一般社員なり関係者は?」 
「十二階以上のフロア掃除とトイレ清掃は毎日行われていますが、担当が
決まっていて、その人間も必ず総務部長から当日のみ有効のIDキーを毎朝
受け取ってから作業をしているようです。その人間の身元調査も行いました
が、特に不審な人間関係や挙動は見つけられませんでした。
 それ以外で、ここ半年間で十二階以上に部外者が入ったのは、最近では
一ヶ月前に専属の清掃会社が清掃作業で入ったくらいです。今回の事件に
関係あるかどうかは何とも言えませんが、一応念のため聞き込みに出向き
ましたが、こちらも特にこれと言って不審な事実はありませんでした。それ以
外に部外者が入った記録は一切ありません。
 一般社員については、部課長会議が四半期に一回行なわれますが、場
所は十一階の会議室で開催されます。これは先月の十六日の午後二時か
ら三時半まで行われています」
「十二階や十三階の人間と共犯なら、あらかじめ時間を示し合わせて内部
から手引きすれば、痕跡は残さずに侵入できることになると思うんですが。
エレベーターに乗るのがいつも指定された人間ばかりとは限らんでしょう」
「その場合には時間が問題ですね。この前ご説明しましたように秘書はID
カードを持っていませんので、エレベーターでの昇り降りは自分の直属上司
と常に行動を共にしなくてはなりません。そういう状況では、自分だけが相手
を迎えに行くことは出来ますが、秘書の目を盗んで第三者を秘かに招き入れ
るのはまず不可能でしょう。先に帰っていい、とは秘書に言えないわけです
からね」
「逆に秘書が上司の目を盗んで、屋内階段のドアを開けることは」
「トイレにでも立つふりをすれば、もちろん可能でしょうね。ですが時間帯を考
えますと、外来客でない可能性が高い。ではそもそも、わざわざ十二階以上
に犯人が潜む必然性があるのかということになります」
「屋上には結局、最終的に非常階段を使わないとたどり着けない、か」
「そういうことです。特にこれと言って、メリットがないように思えます」
「犯人が死体を担いで夜間トリムに、外部から侵入したことは間違いないん
でしょうか」
「それ以外には今のところ、考えられる手段がありません。もちろんそう断定
するのが早計なのは百も承知ですが」
 ひとしきり質疑応答が繰り返され、一段落した頃を見計らって、村上警部
補が皆に言った。
「これまでのところをまとめれば、桑田社長宅に会長の身代金要求の電話
をかけて来た山下と名乗る男及びその仲間が、今回のトリム殺人事件の犯
人であることは多分間違いない。当面我々の主力は、次回の電話及び身代
金受け渡しに的を絞っても問題ないと思う。被害者と推定される八木光江が
行方不明になった時の状況を、もっと詳しく調べる必要もある。トリムの関係
者、特に正木会長の周辺や佐々木常務、桑田社長、黒田専務、松岡常務も
対象だ。巽明代および銀座のクラブ『セラヴィ』もな。
 諸君がこの事件ばかりを追っていられるほど、暇でないことは充分承知の
上だが、ひとつよろしくお願いしたい。世間やマスコミの目もこの事件に集中
しており、大変な状況であることを理解して最優先処理してもらいたい。何と
か今週中に目星が付けばと思っているので、疲れているところ本当に申し訳
ないが、諸君の健闘を大いに期待している。以上だ」

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2007年11月19日 (月)

RobbinⅠ-帝王の花嫁- 第四章(8)

 その後、あらかたの打ち合わせを行なった結果、来週の火曜日に桑田社
長宅には、昼頃から数名の刑事をスタンバイさせ、犯人との会話録音と逆
探知の用意をすることで、その場はいったん打ち合わせを終わった。もちろ
ん当日は言うに及ばず、今夜からでもさっそく、桑田社長宅周辺の警備を
始める予定でいることは言うまでもない。こちらの手の内を彼ら二人に知ら
せる義務は、村上警部補には無いのだ。
「しかし意外と、敵対意識を持ってるんですねえ」
 帰りの車の中で、本郷が村上警部補に言った。
「ああ。だがどうやら、これで目星らしきものは掴めそうだな」
「はい。セラヴィの方にも探りを入れましょうか」
「いや、それはちょっと待て。店の方に乗り込むのは簡単だが、どういう人間
関係で繋がってるかが判らん以上、今は迂闊な動きはしたくない。下手に警
戒されても困るしな。それよりもどうやって山下と名乗る男が社長の置かれ
ている状況を知ったかが問題だ。黒田専務の方も調べ直す必要が出てきた
ことは確かだが、社長の苦境を一体誰が敵対している立場の彼に教えたか、
どうも気になる。桑田社長と佐々木常務の周辺も洗い直した方がいいだろう。
この事件はセラヴィのホステス、巽明代が鍵を握ってるようだが、とりあえず
は泳がせといて、先に彼女の周辺を見張った方がいいな」
「結局、被害者の身元に関する新しい情報は、何もありませんでしたね」
「ああ。だが、これだけ材料が揃えば、多少は目鼻が付くかもな」
 その日の夕方から、再び『トリム殺人事件捜査本部』で会議が行なわれ、
各班からのその後の状況報告が行なわれた。
「被害者の女性の右手の中指にあった指輪の跡らしき日焼けの跡は、皮膚
の色素分析を専門機関に分析依頼しました結果、最近付いたものであるこ
とが確定しました。特に限定は出来ませんが、ほぼこの一、二週間内に付い
た可能性が高いようです」
「被害者の特定作業は難航しておりますが、六本木の芸能プロダクションか
ら昨日、専属モデルがこの一週間行方不明だとして捜索願いが出されてい
ます。ひっかかったのはその女性が年齢、身長、体重等が被害者の女性と
ほぼ一致している点と、先週海外にスチール撮影でロケに行っており、その
際に右手の中指に指輪をはめていたことが今の大泉主任の報告から、状況
的に被害者の女性と直接結び付けられる点、髪の長いこと、および髪のパー
マ具合等が酷似している点です。
 その他の身体的特徴を、そのプロダクションの担当者に直接会って問い合
わせました。その女性の名前は八木光江、本名です。職業はまあ早い話が、
モデルです。左の胸元、乳房の付け根あたりにほくろが三つ、三角形の位置
にあるのが肉体的特徴だそうで、その他には歯が奇麗で一度だけしか歯医
者にかかったことが無い、ってのが自慢だったようです。すでに両親の元にも
捜査員が向かっており、彼女の細かな身体的特徴などを聴取中です。
 彼女のマンションの方へは、管理人とプロダクションの担当者立会いの下で
行きました。その際に彼女の貯金通帳を調べましたら、今年の二月から毎月
定期的に『ユハラ・ケンイチロウ』なる人物から、三十万円が振り込まれており
ました。不審に思いマネージャーにその人物を尋ねましたら、どうも様子がお
かしいので問いただしましたところ……」
 そこで一息つき、大橋刑事は次の言葉をゆっくりとかみ締めるように言った。
「この八木光江は、トリムと関係している、という事実が判明しました」
 会議室全体が一瞬どよめいたが、大橋刑事は構わず続けた。
「実はこの八木光江なる女性は、トリム電子産業会長の正木英嗣氏の愛人で
あり、彼の秘書の名前で毎月定額の手当てが、彼女の銀行口座に振り込まれ
ている事実が判明したのです。つまり被害者が八木光江だということになれば、
今回のトリム殺人事件は、会長の愛人問題を巡る犯行の可能性が出て来ます。
現在彼女が行方不明になった時の状況を調査中です」
 その後に説明に立った本郷刑事の口からは、さらに皆の驚く事実が発表され
た。
「再度の事情聴取から、桑田社長宅に山下と名乗る人物から、会長の身代金
要求の脅迫電話が二度にわたってかかって来ていることが判明しました。犯人
は先のトリム殺人事件の犯行を認めた上で、身代金、この場合は正しくは保証
金とでも言うべきなのかも知れませんが、十億円を支払わなければ、今度は正
木会長を同様にトリムの屋上から吊すと予告しているようです。この山下と名乗
る男がどうして、トリム内部の社長派と会長派の対立の事実や、社長が会長の
愛人問題で無理難題を強いられていることを知ったのかは不明です。
 実は現在、佐々木常務が桑田社長の命を受け、会長の新たな愛人候補の銀
座のクラブ『セラヴィ』のホステス、巽明代なる女性と折衝している事実が判明し
ています。また二ヶ月程前に彼は、偶然なのかも知れませんが、自宅付近で数
人の暴漢に襲われている模様です。なお身代金はアメリカ・ドルの百ドル札で用
意せよとの要求で、次回の犯人からの電話は、来週火曜日の夜です」
 会議室の中は蜂の巣をつっ突いたような騒ぎで、詳細を求める質問がわれ先
に飛び交う白熱した雰囲気になった。
「被害者を八木光江と断定する手掛かりは何か」
「身体的特徴が左胸元の三角形の位置にある三つのほくろなのですが、被害者
の身体の該当部は例の火傷がありますので断定は困難です。特徴的なのでそれ
を消す為にあの火傷の跡を付けた、とも解釈出来ます。一応八木光江の指紋は、
早速今日彼女のマンションに急行して採取しましたが、被害者が指先を切断され
ていますので照合が不可能なのが現状です。なお八木光江の顔写真を入手しま
したので、今から皆さんにお配りします」
「犯人は山下と名乗る男一人なんですか」
「俺達、という複数犯を示唆する表現をしたそうです。それしか判っていません」
「では今回のトリム殺人事件は、会長の身代金要求の前座的役割で実行された
犯罪に過ぎない、ということですか」

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2007年11月18日 (日)

RobbinⅠ-帝王の花嫁- 第四章(7)

 トリム殺人事件の捜査は、意外な進展を見せ始めていた。桑田社長と佐
々木常務が、是非とも会って相談したいことがある、と村上警部補のところ
へ電話をかけて来たのである。さっそく村上警部補と本郷刑事は、トリム電
子産業の本社ビルに急行した。それが水曜日の午後だった。挨拶もそこそ
こに彼らは用件に入った。
「実は、社長宅に脅迫電話がかかってきまして。どうすれば良いものかと」
「ほう」
 村上警部補は内心のはやる気持ちをおくびにも出さず、あくまでも平静を
装って受け答えた。
「どういう内容だったんですか。詳しく最初から聞かせてください」
「はい、実は……」
 桑田は事件の前日の夜かかってきた、山下と名乗る男の電話の内容から、
さらに事件当夜に再びかかってきた電話のことを二人に包み隠さず話した。
佐々木常務と相談した結果、何もかも警察に正直に話して指示を仰いだ方
が良い、という結論に達したのだ。もちろん、自分達が会長追い落としを画策
していることは、当然ふせてある。ひと通り聞き終わった後、村上警部補は大
きく一つ頷くと、静かに言った。
「もっと早く、この前お会いした時にでも、お話しいただきたかったですなあ。
するとこの事件は、その山下と名乗る男の仕業だということになりますね、ま
あ偽名でしょうが…。しかし会長さんの生命の保証金が十億円とはね。で、
今度は来週の火曜日の夜に、確認の電話がかかってくるんですな」
「その通りです。どう返事すればよろしいでしょうか」
「ご安心ください。社長さん、良く話していただけました。感謝します。なにせ
日本の警察は、世界一の検挙率を誇っていますからな。大船に乗った気で、
我々に任せていただいて結構ですよ。残忍な犯人だがどうやら頭の方はそ
れ程でもないようだ。当然十億円を支払う方向で、犯人と話していただいて
結構です。何もご心配は要りません。犯人が身代金を受け取りに受け渡し
現場にのこのこ姿を現わしたところを捕まえるだけで、万事終わりですよ。
ですから犯人を油断させるためにも、素直に言うことを聞くふりをして欲しい
んです。もっとも現実に十億円用意しておかないと、万が一犯人のチェック
が入った時にまずいんですが、可能ですか」
「ええ、何とか……経理部長とも相談して、取引銀行の承諾を得られそうな
ので、一応何とかなりそうな目処は立っています。黒田専務と松岡常務にも、
了解してもらってますし」
「ほう、そうですか。それはちょっとまずかったですね」
「え?何かまずい事をしたんでしょうか」
「ええ。出来ればこのことは内密にしておいた方が良かったんですが、もう話
してしまっているのなら仕方ないでしょうな。何処からこの話が漏れないとも
限りませんからね。このことを知っている人間の数は、少ないに越したことは
ないんです。当然ですが」
「ああ、でも心配は無用かと思いますが」
「そうとは限らんですよ。例えば貴方がたを、内心余り良く思っていない人間
だっているでしょうしね。もしもの話ですが、その人間がその山下と名乗る男
とグルで無いという保証は、何処にもありませんよ」
 これにはさすがに、桑田も佐々木もびっくりした様子だった。
「え?ということは警察では、社内に共犯者が居るとお考えなんですか!そ
んな、一体、何を証拠に」
「いやいや、もしもの可能性の話ですよ。でもそのような見方だって、当然出
来ますからね。お二人は我々が、社長派と会長派の社内の対立の事実を知
らない、とでも思ってるんですか。甘く見ないでもらいたいもんですな」
「と言うことは、黒田専務が?しかし幾ら何でも、まさか」
「誰もまだ具体的に個人名は出してませんよ。それとも、そういう心当りが何
かお有りなんですか」
「いや。その……」
 佐々木と桑田は互いに顔を見合わせ、どうしたものかと困惑していた。
「何か有るんでしたら、どんな些細な事でもいいですから、正直に言ってもら
いたいですな。隠しごとをされて捜査に影響する場合だってありますからね。
それがこの事件に関係あるかどうかは、こちらで判断しますから」
「実は……いや、しかし、このことは本当にここだけの話にしておいていただ
かないと困るんですが、お約束頂けますか」
「勿論です、守秘義務は守ります」
「実は、会長の愛人問題のことでちょっとありまして。お恥ずかしい話なので
すが。この佐々木君が折衝に当たっておりまして」
「ほう。それで」
 桑田社長は約二ヶ月程前の、佐々木が銀座の高級クラブ『セラヴィ』のホス
テス・巽明代に、会長の愛人になってもらえないかと折衝した帰りに、自宅付
近で暴漢に襲われて大怪我をしたことを話した。
「もちろん、黒田専務の差し金だったのか、それとも彼女の関係なのかは判り
ません。ですが事前の身辺調査で、彼女にはそのような暴力団まがいの後ろ
盾は無いことが判っていました。ですから黒田専務の差し金だった可能性が
強いと思うんです。ただし証拠はありませんから、あくまで私達の推測の域を
出ていませんが」
「偶然、暴漢に襲われた、という可能性だって残ってるわけですよね」
「ええ。しかし穿った見方をすれば、彼がそのような行動を起こす動機らしきも
のは、ないことはないんです」 
「ほう、動機はある、とお考えなんですか」
「はい。彼はたしかに会長派のリーダーと言える人物です。しかし最近では会
長としっくりいってない様子で、一時の発言力はなくなりつつあります。会長は
以前は何でも桑田社長を飛び越えて、黒田専務に特命事項を指示されており
ました。ですがこのところそれはなくなり、全て社長を通しておっしゃるようにな
りました。どうしてそうなったのかは判りませんが…。
 我が社の原子力発電プラント、保険会社、レストラン・チェーン設立等は全て、
黒田専務が一手に陣頭指揮をとり成功しているものです。彼に落ち度は全く無
かったように思えるのですが、何か会長のお気に召さなかったことが有ったんで
しょう。本当のところは判りませんが」
「その黒田専務が、貴方がたに最近会長の指示が行き始めたので不安になっ
た、というわけですか。そこで貴方がたが今行なっている、会長の愛人候補の
その女性との交渉を何処からか聞き及んで、邪魔しようと画策しているというこ
とですか。そうすればまた会長が、やはり黒田でなければ駄目だ、と思い直し
てくれると?」
「はい。そんなところではないかと」
「しかしそれくらいの事で、今回のような殺人までわざわざ犯す必要が彼にある
んですかね。もちろん実行犯はその山下と名乗る男だったとしても、黒田専務は
そこまで追い詰められているということですか。ちょっと無理のある強引な推理で
すなあ。共犯となる必然性が感じられませんし」
「そうですか…」

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2007年11月17日 (土)

RobbinⅠ-帝王の花嫁- 第四章(6)

「あれっ、珍しいねえ。洋ちゃん、いないの?」
 翌水曜日の夕方、喫茶アルファを訪れた津田はドアを開けると開口一番
にそう言った。珍しい風景でも見るかのような表情で、彼は木島に話しか
けながら、いつもの定位置にではなくカウンターに腰掛けた。心なしか、木
島の元気がないように津田には見えた。嫌な予感がする。
「そうなんだよ。夏休み明けの大学の前期試験はもう終わった筈だしね。
急な用事で休む時には、事前に必ず連絡して来る真面目な娘なんだが。
急病にでもなったのかなァ。それにしても連絡ぐらいして来てもいいと思う
んだが、ちょっと気にはなってるんだよ。津田ちゃん、どう思う?」
 木島はコーヒーを用意しながら、カウンター越しに津田に話かけてきた。
「洋ちゃんとこは、電話、あるの」
「あるけど……そうだなあ。こっちから電話かけてみようか」
「その方がいいと思うけどねェ。何もないに越した事はないんだし」
「そうだな、うん、そうするか。えーっと、ちょっと待ってよ」    
 木島はカウンターの下のあたりから一冊のノートを出すと、しばらくペー
ジを繰っていたが、やがてその手が止まった。
「確か彼女の電話番号は……と。あ、あった、これだ」
 思わずつられたような自然な動作で、津田もカウンター越しにそれを覗
き込んだ。几帳面な、いかにも木島らしい字が並んでいるノートだった。
洋子がこの喫茶店のウエイトレス募集の時に持参したと思われる、彼女
の少し若かりし頃の正面を向いた堅い表情の写真付きの履歴書が一枚、
その中に挟まっていた。
『ほう、0四二五……立川周辺か。しかし何で人間、こうも真面目な顔で
しか履歴書の写真撮れんのかな。俺なんか今の事務所に、笑ってる写
真持ってったがなあ』
 そうは思いながらもちゃっかりと津田は、彼女の住所を一瞥して記憶に
とどめた。木島が電話に向かって番号を回している隙に、カウンターの上
の紙ナフキンに素早く彼女の住所を走り書きすると、そっとポケットにそれ
をしまい込む。職業柄、手慣れた動作だった。
「やっぱり、出ないな。留守みたいだ」
 二度ほどかけ直し、かなり長いこと呼びだしていたが、やがて木島は諦
めて受話器を置いた。不安気な表情は相変わらずで、彼は津田の方を振
り返った。
「急な病気か何かで入院したとか?」
「ああ、かもしれんなあ。何も無きゃいいが」
 心配そうな木島に津田は笑顔で、目の前に出されたコーヒーを旨そうに
すすりながら言った。
「まさか、考え過ぎだよ。鬼の霍乱って奴じゃないのかい。明日あたり意外
とケロッとしていつもの笑顔で、おはようございまーすって大声でやって来
るんじゃないの。俺はそう思うけどね」
「そうだといいんだが………。何しろこんな事は初めてだからなあ」
 津田も気軽な返事をしてみたものの、洋子の事が少々気がかりだった。
『まさかな………』
 一瞬脳裏に不安がよぎったが、それを打ち消すように一気にコーヒーを
飲み干すと津田は、この前のツケになっていた分の勘定も一緒に支払い
を済ませ、そそくさとアルファを後にした。いつも暇を持て余すようにしてい
る彼が、そんな短時間でアルファを出るのも珍しいことだった。

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2007年11月16日 (金)

RobbinⅠ-帝王の花嫁- 第四章(5)

 ロビンはしばらくの間、じっと考えてみた。死体を担ぐなどと簡単に言うが、
その重さは半端ではない。人間が一個の物体になった時の重さは、それこ
そまるで石のようである。それを担いで非常階段を十五階まで登り、屋上の
金網を乗り越えて死体をロープで吊した後、再び誰にも見つからぬように脱
出するのは、決して利口な方法とは言えない。ましてや死体が吊された時
間は早朝なのだ。
『下手をすれば発見されるような、そんな手間がかかるだけの危険な方法し
か無かったのか。発見される心配が全くない自信が有ったのなら、話は別
だが。一体コブラはどうやって、トリム本社から人目に触れずに脱出したとい
うんだ』
 数々のミッションをこなして来た、まさしく百戦練磨の傭兵コブラであったか
ら可能だった、と言えなくもない。しかしロビンは符に落ちなかった。いきあた
りばったりの犯行でないと知っているせいか、自分が何か重大な事を見落と
しているように思えるのだ。しかし今は、それどころではなくなってしまった。
下手をすれば何の関係もない白鳥洋子が、この犯罪に巻き込まれてしまう
可能性が出て来たのだ。
『俺の生活環境を充分調べ尽くしてるな。コブラって奴は、やると言ったら絶
対に実行する男だ。ちょっと厄介になってきたな。昼間の仕事がある以上、
彼女を四六時中ガードすることも出来ない。しかし、かと言って……』
 かと言って、昼間の仕事を放っぽり出すわけにもいかないのが現実である。
せっかく地道に築き上げた自分のカバーを、彼とてそうもたやすく放棄するわ
けにはいかない。
『一週間後とは言っても、それまでがタイムリミットだとは言えんな。この一週
間を無事に乗り切れば、彼女が巻き込まれずに済む、という保証は何処にも
ないし。さて、どうしたものか……』
 ロビンは途方に暮れてしまった。どう考えても、自分一人で彼女を守ることは
不可能である。かと言って誰かに助けを求めるわけにはいかないし、何もせず
にただじっと手をこまねいて傍観しているわけにもいかない。白鳥洋子がもしも
何らかの事件に巻き込まれるようなことになれば、それは自分が原因なのだ。
『参ったな……』

 当面、仕事が終わってから秘かに毎日、彼女をガードするしか方法はないよ
うに思えた。もっともそれは富田が夜、彼女を拉致しに現われることが前提とな
っている。それに今の時点で、ロビンは彼女が何処に住んでいるかを知らない。
まずそこから調べなくてはいけなかったが、出来るだけ第三者には秘密にして
おくべきことである以上、木島に洋子の住所を迂闊に聞くわけにはいかない。
考えたくはないことだが、万が一彼女が拉致されてしまったら、その直前に彼女
の住所を聞いた彼自身が真っ先に疑われてしまう可能性がある。この先どうな
るか判らない以上、出来るだけ余計なリスクは背負わない方が賢明である。
 すでに時刻は夜十一時を少し回っていた。アルファの閉店時間は十時半であ
るから、とうに彼女は帰路についているはずだった。
『勝負は明日からになりそうだな。しかし、いつまで俺の身体がもつかな』
 おそらく殊勝に定職に就いているとは思えぬ富田と、昼間の時間を定職で拘
束されているロビンとでは、状況は比べるまでもなく圧倒的に不利だった。しか
し何としても、彼女が拉致されることは未然に防がなくてはならなかった。

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2007年11月15日 (木)

RobbinⅠ-帝王の花嫁- 第四章(4)

「よう……」
 もう二度と聞きたくもない声が、受話器から彼の耳に飛び込んで来た。
「何だ、俺の気が変わったとでも思ったのかコブラ。もう切るぜ」
「ふん、相変わらずだな。ところで、今日の事件知ってるか」
「今日の?」
 そう言いかけてロビンは、ハッと思い当たった。
「……!まさかとは思うが、あのトリムの事件のことか」
 小さな含み笑いが受話器を通して、彼の耳元に届いた。
『そうか。こいつ、トリム電子産業を相手に何か企んでるな』 
「お、知ってるじゃないか。さすがはロビンだ。そこでお前の出番だ。お前に
は身代金の受け取りと運搬をやってもらう」
「ちょっと待て。俺は断ったはずだ。今さらそんなことを言われたって、誰が
お前の言うことをはいそうですかと素直に聞くものか。警察にたれ込んでや
ろうか、コブラ。悪いことは言わんから止めとけ、これは俺からの忠告だ」 
「ふ、ご忠告有難うよ、と言いたいところだがそうはいかん。嫌でもお前には
手伝ってもらう。もしお前が断れば……」
「面白い。俺が断ったらどうなるって言うんだ。聞こうじゃないか」
「白鳥洋子を、殺す」
「何だと、白鳥洋子だと?」
 ロビンにはどうして彼女の名前が突然、コブラの口から出てくるのか判ら
なかった。
「コブラ。お前、何か勘違いしてるんじゃないのか。彼女は別に俺とは何の
関係もない人間なんだぞ。そんなことで俺が、素直に言うことを聞くとでも思
ってるのか」
「ふん、ごまかすなよ。全然面識がないわけじゃあるまい」
「顔は知ってる。だがそれだけだ。特別な感情を持ち合わせてるわけじゃな
い」
「まあ、それでもいいさ。お前が拒否すれば今度は、彼女がトリムの屋上か
ら吊し柿になるだけだからな」
「お前、本気でそれを言ってるのか」
「俺は冗談は苦手な方なんでな。どっちを選ぶんだ、ロビン」
「ふん。脅したって俺の気は変わらんよ」
「そうか、結構いい女なんだが仕方ないなあ。じゃあ可愛そうだが、お前の
犠牲になってもらうか。ま、お前にも考える時間をやろう。一週間後にもう一
度だけ電話をかける。それをお前の最終回答だとしよう……だがな、俺達
を甘く見るととんでもない事になるぞ。それだけは忠告しておいてやる」
 そこで電話は切れてしまった。
『無関係な白鳥洋子を巻き込んでまでも、俺を仲間に引きずり込もうっての
か。何故そこまでして、俺を必要とするんだ。身代金の受取りと運搬だと?
一番割りの合わない仕事じゃないか。俺に体のいい囮の役をやらせて、罪
をおっかぶせようとしてるのか。それとも他に何か意図する事があるのか。
一体何を考えてやがるんだ、コブラは。第一、彼女を誘拐してまで俺を巻き
込むなんて、完全に犯罪者のやることじゃないか。ブラック・ローズは一体
いつから犯罪者集団になり下がっちまったんだ。シャークも落ちたもんだ、
見損なったぜ』

 ロビンはやがて夕刊を手に取って、社会面トップの扱いで大きく報じられて
いるトリムの事件の記事をじっくり読んだ。手元のリモコンでテレビをつける
とちょうど、彼が時々見ている夜のニュース番組が、この事件の特集を放送
しているところだった。その解説や想像を聞きながら、彼はあらためて大まか
なこの事件の粗筋を頭に入れることが出来た。
『テレビの番組もたまには役に立つな』
 全く謎だらけの事件と報じられていたが、最後にその解説者はこう結んだ。
「もちろん、この被害者の髪の長い女性の身元も未だ判明していません。あ
るいは私の考え過ぎかも知れませんが、ひょっとしたらこの女性は、トリム
電子産業の人間と関係がある人物で、何かの見せしめのために殺されてし
まったのではないかという気もします。どちらにしても、犯人の一刻も早い逮
捕を願って止みません。ではお知らせの後、スポーツ情報をお送りします」
『トリムと何らかの関係のある女か、そう考えるのは当然だろうなァ。しかし
本当にコブラは死体を担いで、屋上まで非常階段を登って行ったんだろうか』
 コブラにしては余りに素直すぎる行動だと思ったが、それ以外の方法は確
かに考えられない。屋上のポールの所へ行き着くのが非常に困難であると
報じられていたが、別に彼にはそうは思えなかった。高さを恐怖として感じる
か感じないかが生死の分かれ目になったことが、かつてのミッションでも何度
か有ったのだ。自分の技量を信じている人間には、恐怖感など湧き上がって
は来ないものである。
『俺ならどうするだろう……』

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2007年11月14日 (水)

RobbinⅠ-帝王の花嫁- 第四章(3)

「社長さん、どうだったね。俺達の贈り物は」
「やはりお前達の仕業だったのか。何て事をしてくれたんだ。おかげでこっ
ちはとんでもない羽目になったんだぞ」
「俺達が本気だってことが判ってくれりゃあ、それでいいのさ。ちょっとは話
を聞いてくれる気になったかね」
「何の話だ。昨日言ってた、会長の身代金の話の事を言ってるのか」
「それ以外は話してなかった筈だがね」
「馬鹿げてる。会長を誘拐した後で身代金を要求して来たのなら話はわか
るが、そんな虫の良い要求を一体誰が、はいそうですかと素直に聞くと思
うんだ」
「ほう……そうかい。何ならあと三人でも四人でも、同じようにトリムの屋上
から吊してやろうか。我々を甘く見てもらっちゃ困るなあ。そうなればあんた
の責任問題どころの騒ぎじゃなくなると思うんだが、それでもいいってことな
んだな」
「ちょ、ちょっと待て!誰もそんな事は」
「同じ事だろうが。こちらの要求はアメリカ・ドルの百ドル札で十億円だ。安
い買い物だとは思わんかね。まあそうは言っても、いきなりそれだけの金を
用意しろと言っても無理だろうから、一週間の猶予をやる。優しいだろう?
まァ精々頑張って金を工面してくれよ。言っとくが、警察に通報するのもしな
いのもあんたの自由だが、取引はこの一回だけだ。後腐れはないから心配
はいらん。拒否すれば今度トリムの屋上からぶら下がるのは、おたくの会長
さんになるだけの話さ。まあ爺さんの死体など俺達としてもあんまり見たくも
ないが、社長のあんたがそれを望むのであれば仕方ないな」
「誰も会長を殺してくれ、などと頼んだ覚えはない」
「結果的にはそう言うことさ。あんただって会長のわがままには、これまでさ
んざん泣かされて来たんじゃないのかね。その辺もよく考えてみるんだねえ。
俺達は別にどっちでもいいが……じゃあ来週の火曜日の夜の今頃、また電
話するよ。いい返事を待ってるよ、社長さん」
 そこで電話はこの前と同様、一方的に切られてしまった。桑田は大きく溜
息をつくと受話器を置いた。どうしたものか彼自身では判断出来なかった。
今朝の事件の事を考えれば、相手の脅迫内容が冗談でないことだけは明
白だが、かと言って素直に要求を受け入れられる筈もなかった。
『やはり警察に通報すべきだろうが』
 会長の勇退勧告を秘かに画策している桑田にとっては、複雑に現実が絡
み合っている。自分が幾ら頑張ってみたところで、会長の追い出しが果たし
て出来るのかどうかも判らない。失敗は許されないが、かといって成功する
保証もない。犯人達の要求を拒めば、上手くすれば会長は自分が何もしな
くてもいなくなってくれるのだ。犯人達に対する期待感がない、と言えば嘘
になる。しかしそれが判ってしまえば、自分の立場はなくなる。人道上、決
して許されるべきことではないが、これ以上のチャンスもないのだ。しばらく
迷った挙げ句、彼は佐々木常務に相談してから最終結論を出そうと思った。
このような事を本音で相談出来るのは、佐々木をおいて他にはない。
『彼がいなければ、私もどうなっていたか……』
 佐々木の賢明な判断で、桑田はこれまで何度か窮地を脱出してきたのだ。
最近の会長の愛人問題の折衝も、佐々木が骨を折ってくれているからこそ、
彼は助かっている。
『ま、佐々木君だって多分、警察に通報すべきだと即決するだろうが』
 自分の心の迷いを、佐々木の明快な論理で払拭して欲しい、と彼は願って
いた。
『これじゃ、どっちが社長かわからんなあ』
 佐々木を頼り切っている自分に気付き、ふっと桑田は苦笑した。

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2007年11月13日 (火)

RobbinⅠ-帝王の花嫁- 第四章(2)

 やがて一通りの捜査報告が終わった後、各自が各個に質問した。
「たとえば先ほどの大橋刑事の話では、外部からのトリム内部への侵入は
困難だということでしたが、現実に犯人は被害者を屋上からロープで吊した
後に、再び脱出しているわけですよね。たしかに死体を担いで外側の非常
階段を登って行った、とどうしても考えざるを得ないが、それはあくまでも重
役連中の専用エレベーターの話でしょう。
 犯人が一階内部に侵入さえ出来れば、少なくとも十一階までは一般社員
用のエレベーターを使って死体が運べるし、危険がともなうとは言え、その
方がずっと楽な手段だと思うんですよ。トリムの夜間警備というのは、そん
なに手薄なんですか。状況的に守衛が十一階までは定期巡回していた筈
だし、建物の周囲には防犯カメラもあちこちに設置されているのは当たり前
の話ですが、その辺は一体どうなんでしょうか」
「トリム内部に設置されている防犯カメラは、インターバル記録されるビデオ
と繋がっていまして、そのビデオテープも昨晩の分は全部見ましたが、特に
異常は発見できませんでした。まあ外部からの建物内部への侵入がほぼ
不可能と言ってもいいような状況なので、おっしゃる通り警備が手薄だと言
えなくもありません。
 東口と西口に二名ずつの警備員じゃあ、四六時中警備しているとは言っ
ても、定期巡回の時間さえわかれば、守衛の目を盗んで忍び込むことは確
かに可能です。ただし監視カメラは西と東の出入り口にそれぞれ、建物から
外側を向いて一台、内側にニ台が設置されてるんです。守衛が定期巡回す
る時は必ず一階の出入り口に、内側から鍵をかけてから巡回を開始すると
のことです。この様子はビデオにも記録されてますので、間違いありません。
 昨夜は日曜日だった事もありまして、最終退出者はデザイン設計部の人
間で、午後七時三十二分と記録されています。守衛の定期巡回は約二時
間毎に行なわれていまして、昨夜はその最後の定期巡回が午前五時四十
分に終了しています。それから第一発見者の松本課長が出社した午前七
時三十五分までの間に、死体が吊されたということになります。
 状況的には確かに一階から潜り込めさえすれば、エレベーターと屋内階
段を使って屋上に行けるわけですが、足跡の痕跡はありませんでしたし、
ビデオには守衛の姿しか映っていませんでした。防犯カメラは一定周期で
左右に動いていますから、犯人が死角を突くことは可能でしょう。ですから
方法論としては非常階段を屋上まで死体を担いで登り、それをまた降りて
きたと見るのが一番妥当じゃないかと思うんです」
「でも本当に犯人は非常階段を使ったんでしょうか、万に一つの可能性と
してですが。早朝とは言え、守衛が二人とも居眠りでもしてない限り、階段
を降りて来る不審者を発見していてもいいじはずだ。痕跡すら一切無い、っ
てのは……どうも符に落ちない。犯人が消えてなくなるわけでもあるまいに。
守衛が犯人と共謀してた、っていう可能性の方が高いんじゃないですか」
「そうですね。ただし可能性の問題であってどれも推測の域を出ません。当
日の守衛達も対象として捜査は進めています」
「被害者の女性の身元に関して、何かもっと詳しく判ったことはないですか」
「まったく何一つ身元の照合に役立つ物はありませんでした。そう言う意味
では、犯人は非常に狡猾で、見事に被害者の身元隠しをやってのけてます
な。着衣の状態であれば、何かしらの手掛かりが得られたんでしょうが、唯
一の特徴が髪が長い事だけではね。なお家出人等の捜索願いとの照合も、
現在手分けして調査中です」
「先程のトリムの正木会長の、桑田社長に対するプライベートな事までの強
要、と言うのは例えば、具体的に挙げるとすればどういうことですか」
「現時点では詳細までは判っていません。もっとも噂であり、会長に関する
情報の一つの域を出ていません。その会長自身が現在アメリカに出張中で
すので、信憑性の裏は現在も捜査中です。まだ確認が取れていませんの
で、誤解のなきようお願いします。今後その点についても必要であると判断
されれば、会長の帰国を待ってでも本人から聞き込みを行なう予定です」
 どのくらい議論が繰り返され、どのくらい時間が経ったのかも定かではな
かった。本郷がふと気が付くと、すでに時刻は夜の十一時を回っていた。
最終結論としては、犯行現場の特定が困難な現状では、再度トリム関係者
の人間関係を中心として聞き込みを行ない、犯人像の割り出しを急ぐ一方、
被害者の女性の身元割り出しに関係すると思われる、最近の行方不明者
等の照会、犯人の侵入経路および脱出経路の特定、に的を絞って捜査を
継続することで全員の賛同を得た。皆はこれまで発生した事件との掛け持
ちであるためか、疲労の色が隠せなかった。
『こういう時は、アルファのコーヒーが飲みたくなるなあ……』 
 本郷はそう思った。いちおう彼もアルファの常連の一人なのだ。もっとも
最近はとんと御無沙汰なのだが、そのうち折りを見て久し振りに行こうと、
その時彼は決心した。

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2007年11月12日 (月)

RobbinⅠ-帝王の花嫁- 第四章(1)

 その事件のあった日の午後には、『トリム殺人事件捜査本部』が早々と
設置されていた。事件自体の猟奇性や話題性から言っても、これだけす
でに衆目を集めてしまっている以上、警察側としてもそう対応せざるを得
なかった事情もあった。
 現場周辺の聞き込みやトリム関係者の身辺調査等、班分けされた刑事
達が全員揃ったのは夜の八時半過ぎだった。それを待ちかねたようにさっ
そく捜査会議が開かれた。陣頭指揮を取る村上警部補が最初に事件の
概要に触れた後、まず鑑識の大泉主任からの被害者の検死報告が始ま
った。
「被害者の女性の年齢は二十一、二で、身長は百六十センチ、体重は四
十八キロ。死亡推定時刻は、昨夜の午後九時から十時の間と判明しまし
た。直接の死因は絞殺による窒息死です。犯人は被害者の死亡直後に、
両手の指を鋭利な刃物で切断。鈍器で顔面を潰した後に、ロープで被害
者を屋上から吊したと思われます。また死斑やうっ血状態から判断して、
被害者は死後最低でも数時間は、仰向け状態のまま横たわっていたと見
られます。
 被害者の身体には左胸から斜めに長く焼け焦げた跡がありますが、これ
は死後に付けられた物です。皮膚の焦げ具合からして比較的低温のもの、
つまりガスバーナー等ではなく例えばライターの類を、長時間当てながら
作った火傷です。首の骨の折れ具合は、ほぼ垂直に落下した衝撃のせい
と見ていいでしょう。実際に吊された時間の特定は推測の域を出ませんが、
今朝の六時から七時の間と思われます。
 それと被害者を吊していたロープですが、こちらは一般に販売されている
平凡な登山用のザイールで、特にこれといった特徴らしきものは有りません。
ロープの結び方自体には若干の知識が必要ですが、特殊とは言えません。
また被害者の胃の内容物はほとんど無く、かなりの長時間にわたり食べ物
を口にしていません。加えて解剖の結果、被害者は妊娠三ヶ月で、死亡直
前に性交渉を持った跡があり、体内の精液残滓から相手の血液型はB型で
ある事が判明しました。また被害者は右手の中指に、指輪をはめていたと
思われる日焼けの跡がありましたが、指にはそれらしき物は残されていま
せんでした」
「被害者の身元さえ割り出せれば、犯人逮捕は時間の問題だよな」
 本郷の横で沼尾刑事が彼に小声で囁きかけたが、本郷は黙って頷いた
だけだった。
「またルミノール反応は、残念ながら何処からも検出されませんでした。非
常階段の指紋検出の結果は、かなり時間が経っている物ばかりでした。
一応幾つかは採取できましたので、工事関係者や出入りの業者まで範囲
を広げて、現在照合を急いでいます」
 その後を受け継いで、現場周辺の聞き込み班からの報告がなされたが、
特に昨夜および早朝に現場付近で不審な人物の目撃者はいないという事
であった。次にトリム関係者からの事情聴取報告が大橋刑事からなされた
後、話はトリム内部の状況に移った。

「まず、犯人がどのようにしてあの屋上のポールにたどり着けたのかが問
題ですが、非常階段を使って登って行った可能性が一番高いと思われま
す。と言うのは……」
 彼は黒板に簡単に図を書いて、トリム内部のエレベーターの仕組みの複
雑さと、警備方法や屋上の状態などを説明した。本郷の脳裏にあのゾッと
するような高所の恐怖が甦り、思わず彼は身震いした。どう考えても犯人
は、正常な神経の持ち主では無いように思えてならなかった。
「……と言う事です。しかし現実には鑑識結果を見るまでもなく、犯人は屋
上のその場所へ行き、ロープを実際に括り付けています。非常階段を使っ
て屋上の金網を乗り越えれば確かに屋上には行けますが、その前に二メ
ートル程の金網のフェンスを乗り越えなくてはなりません。夜であった事を
差し引いても、犯人はかなり運動神経の優れた、高所に慣れた身軽な人
間と思われます。
 ロープの括り方はいわゆる西部劇の絞首刑の際に、吊される人間の首に
かける括り方です。十五階の展望室の屋根には、犯人の足跡は残されて
おらず、何かを擦った跡しか残っていませんでした。つまり犯人は手間をか
けて、中央のポールの根元にロープを渡した事になります。何故そこまで
する必要があったのかが問題となって来ますが、発作的な殺人なら、わざ
わざ身の危険を冒してまで屋上までは登らないでしょう。
 結局のところ、トリム電子産業自体に尋常でない恨みを持つ者の犯行説
が有力と考えられます。先程ご説明しましたように、エレベーターが使えな
いわけですから、トリムの屋上まで死体を担いで登るのは容易ではありま
せん。ロープの長さにしても、ちょうど正面玄関の高さに死体がぶら下がる
ように計算したと推測出来ます。これは計画的犯行と断定して良いでしょう。
 会社関係者としては、桑田社長、黒田専務、佐々木常務、松岡常務、そ
れに各部の部課長始め社員にも色々と聞いて見ました。特にこれは、とい
う犯人に関する有力な情報は得られていないのですが、どうも内部の派閥
対立があるようで、私にはちょっと気になりました。現在のトリム会長の正
木英嗣氏は、かなりプライベートな部分まで社長の桑田氏に強要している
ようで、社内でもかなり社長に同情的な声も聞かれます。会長派とでも言
いましょうか、黒田専務を筆頭とした一派と、社長派の佐々木常務を筆頭
とする一派とが、対立しているのが現状のようです。
 それ以外の業務の面では、ご存知のようにトリムは相変わらず順調に業
績を延ばしておりまして、他社から嫉まれる要素はあります。もっともそれ
が今回の殺人事件にまで発展するかどうかは、今後の捜査の結果を待た
ないと何とも言えません。それ以外には特にめぼしい情報は、今のところ
得られておりません」

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2007年11月11日 (日)

作者の簡単レビュー 【その6】

 もともとは、思いついて書き残してあった各章のメモがばらばらに存在
していて、それらをつなぎ合わせながら、この作品を全体を通して書き始
めたのは1990年の春、私がイスタンブールに赴任している頃でした。

 初めてワープロを購入して使い始めた頃だったので、やたら変換で漢字
が多用されており、今になって読み返すと、一つの文自体も長めになって
いて、結構疲れる文章だなあと反省する事しきりです… (^_^;)

 事件もやっと核心部分に入ってくる、次の第4章のサブタイトルは「帝王
の身代金」です。ご期待下さい。

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RobbinⅠ-帝王の花嫁- 第三章(9)

「ああ……私もそれは真っ先に考えた。一見鉄壁のシステムに見えるが、
実は落とし穴があるんじゃないかと思ってね。犯人の経路を割り出す参考
にもなるし」
「結果は?」
「秘書達は自分の上司が出社しない日は、一階の秘書室にいる。必ず自
分の上司と一緒にエレベーターに乗ることが義務付けられてるようだ。一
階の秘書室を出た後は、ノンストップで、十二階以上に行くんだとさ。重役
秘書って言えば聞こえはいいが、実際の彼女達は自由に単独でトリム内
部を動き回ることが出来ない。哀れな篭の中の鳥みたいなもんさ。昼食だ
って社員食堂に降りて取るわけじゃなくて、専用の小型リフトで上がって
来るんだと。
 早退する場合は、事前に総務部長に届け出て、総務のIDコードの入った
その日のみ有効のカードを作成してもらうんだ。それを使用してA4からA6
エレベーターを使って、十一階まで降りて来る。十一階の総務にカードを返
した後は、一般社員と同じ方法で退社するんだ。勿論その時のエレベータ
ーの稼働記録は、当然残るよ。ただしそのカードは重役連中の奴とは違っ
て、指定された日付け以外の日に使おうとしても、エラーが出てエレベータ
ーは動かせないらしい」
「でも……実際に仕事をしてれば、彼女達が単独で十一階より下に行く必
要もあるんじゃないんですか?逆に部長や課長連中が専務や常務に呼ば
れて、十二階以上に行く事もあるでしょう」
「私も同意見だったんだが、どうもトリムはちょっと違うみたいだな。資料は
さっき言ったリフトで全て上がってくるし、部課長連中にしても十一階に会
議室が幾つかあってな、そこで会議や打ち合わせが行なわれるらしいん
だ。つまり十二階以上は何て言うか、一種の聖域みたいなもんだな」
「例外はない、ってわけですか」
「そう。念のため、秘書のお嬢さん達の周辺も今、洗わせてるがね」
「先程の総務が発行するっていう、その日だけ有効のカードの件なんです
が…」
「考える事は同じだな。その作成はどこでどうやるのか、簡単に誰でも作成
できるのか、ってことだろう」
「そうです。重役連中のIDカードだって、所詮は磁気記録でしょう。おかしく
なる事だって有るはずです。その書き換え機能を、その機械は当然持って
るわけでしょう」
「結論から言うとだな、その業務は総務部長しか担当しない。これまでのエ
レベーター稼働記録も全部マイクロフィルムに入ってたよ。先週の分からを
チェックしたさ」
「不審な稼働はなかったってわけですか」
「ああ、残念ながらな。ついでに言うとその機械が置かれてる場所は、総務
部長の横のガラス張りの部屋の中だ。部屋の鍵は総務部長しか持ってない
し、彼以外の人間が部屋に入ってれば嫌でも目に付く、ときてる」
「じゃあその線からの可能性は……」
「ゼロとは言わんが、かなり少ないって事だ。少なくても今のところは、な」
「あの死体、吊す時はどうしたんでしょうね」
「本社ビルの建物の外観には、特に死体がぶつかった様な跡はない。ガラス
張りに近い建物だから、汚れがあれば嫌でも目に付く。屋上から真下に放り
投げた可能性が高いな」
「正面玄関周辺のガラスに、人型に脂の跡が付いてるのが、それですか」
「風が強いから、左右に振られてぶつかったんだろうがな。少なくても非常階
段の方から投げられたわけじゃないようだ。それなら振り子の原理で、もっと
死体が損傷してるはずだし、建物の外壁のあちこちに接触の跡が残る」
「じゃあ犯人が死体を担いで屋上に行った事は、まず間違いないんですね」
「屋上でロープを結んだ後に、死体の首にロープを括って放り投げた事になる
だろうな」
 本郷の脳裏に、犯人が屋上から死体を放り投げる瞬間が浮かんだ。夜の闇
の中でそいつは口許に笑みを浮かべながら、落下して行く女を見下ろしていた。
『犯人は男、だろうな。だが……』
 ここまで衆目を集める事件を起こした犯人の意図が、本郷にはわからない。
『トリム電子産業、と言えば正木会長だが。裏が何かあるのか?』
 先程の社内の聞き込みの中で、正木会長と桑田社長はそりが合わない風な
ニュアンスの発言をした社員もいた。どうやら対立する派閥間で、水面下の静
かな争いが繰り広げられているようだった。だがそれが殺人事件に発展すると
は、現実にはとても思えない。
『意外とこの事件、奥が深いかも知れんな』
 我が社を中傷する目的か嫌がらせにしてもほどがある、と生真面目そうな白
髪まじりの面長な顔立ちで怒りをあらわにしていた、先ほどの桑田社長との会
話を思い出しながらも、本郷刑事は漠然とそんな風に感じながら、車の後部座
席に背もたれて目を閉じた。

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2007年11月10日 (土)

RobbinⅠ-帝王の花嫁- 第三章(8)

「実はこの階の上は階段も手すりも全くありませんし、レインジャー部隊でも
ない限り、ポールの所まで行くのは通常の人間には不可能です。ご覧の通
り天井も高く設計されていますし、このフロアと同じ高さに給水槽や点検出
来るものは全て設置されているんです。三本のポールに旗を掲揚するのだ
って、大騒ぎだったんですから。それこそ登ろうとすれば風も結構きついです
し、命懸けですよ。第一足場になるものが全くありませんから。ま、百聞は一
見にしかずですから、ご覧になって下さい。そうすればご納得いただけると思
います」
 黒田に案内されて、彼らは非常ドアから屋上に出た。屋上全体は約六十セ
ンチ程の金属製の手すりに囲まれている。そして東西の非常階段側だけは
侵入防止のために、高さ二メートル程の金網のフェンスが張り巡らされていた。
出入りのドアのようになっている部分には、鍵がきちんとかかっている。非常
階段のステップ部分に、かがみ込んで仕事に熱中する鑑識の人間が見えた。

 黒田専務は先程の展望室から持ち出した合鍵を手にすると、屋上の左右の
非常階段のドアの鍵を外した。本郷が覗き込んだ非常階段は、足元の隙間か
ら見え隠れする地上が想像していた以上に小さく見えた。安全とは判っていて
も、つい手すりを持つ手に力が入る。振り返ると目の前に高さ五メートル弱の、
まるで東京ドームの天井を思わせる物体があった。ゆるやかに丸味を帯びた
屋根の、先程の展望室だった。その上に三本のポールが建てられ、その中央
の根元には登山用と思しきザイールが結び付けられていた。
 まさしく黒田専務の言う通り、ポールのある展望室の上には、少なくても彼ら
にはとても登れそうにないように見えた。その日がよりにもよって強風が時折
吹き付ける、荒れ模様気味の日であった事も手伝っていた。今にも風にさらわ
れてしまいそうでつい足がすくみ、足を曲げ自然と上半身がかがみ込む姿勢
になる。しかし犯人がそのポールにロープを括り付けているのは、目の前に厳
然たる事実として横たわっている。ヘリコプターででも飛んで来ない限りは、ど
う考えても犯人は実際にそのポールの所へ登って行った筈である。
『犯人は少なくとも、高所恐怖症じゃなかったみたいだな。だがこの現場検証
をするって言ったって、かなり大掛かりになるぞ……』
 他人事ながら本郷は少し気になった。こうなってくると鑑識も命懸けである。
本郷はそれまで自分達がいた方とは反対側の、西側の屋上の出入り口付近
を丹念に見てみた。だが別に鍵の部分が破壊されていたわけでもなく、特に
これといった異常は発見出来なかった。先程の東側にしても同様である。だが
ロープをどういう形で括り付けているかが今のところ見えないので何とも言えな
いが、縛り方によってはわざわざそのドームの上に直接登らなくても可能なの
だ。
 やがて、あまり桑田社長を待たせるのも悪いと言う村上警部補の声に促され、
彼らは社長室に向かった。胸に『高橋』と書かれた名札をした社長秘書が、彼
らを出迎えた。そして黒田専務は彼らを簡単に紹介すると、用があるのでと言っ
て、自室の方に帰って行った。

 ひとしきりトリム関係者の事情聴取と鑑識の調査が終わった頃は、すでに昼
を少し回っていた。前日と前々日のエレベーター稼働リストから、十二階以上の
階へ行くエレベーターは一切稼働していない事が判明。十一階までのトリム内
部と屋上周辺、さらには屋内階段や非常階段、敷地の隅々に至るまでを鑑識
が徹底して念入りに調べたが、これと言った手掛かりは一切残されていなかっ
た。
 屋上に張り巡らされている金網の上の金属パイプ部分には、東側の方に何か
を擦ったような新しい跡が検出され、犯人がそこを乗り越えて行った事は間違い
なさそうだった。だがそれが何かは特定出来なかった。さらに屋上のポール周辺
にも、何かで擦ったような跡が微かに付いている事は判明したが、ロープが擦れ
て付いた可能性が高いと推測されただけだった。ロープの結び方は丁度、西部
劇で絞首刑のロープが首に通されて巻かれているのと同じだった。わざわざ危
険を冒して展望室の屋根に登らなくても、屋上に到達出来れば誰でも手間をか
ければ何とかなるのだ。そして不審な痕跡の類は結局、それら以外には何も発
見出来ずに終わった。犯人の侵入経路や脱出経路も全く不明だった。
 マスコミのカメラが回る中を、レポーターのしつこいインタビューを無視しながら、
村上警部補を先頭に寡黙にめいめい車に乗り込み、彼らは一旦トリム本社を引
き上げた。今だに物凄い数の野次馬が、興味心を露骨に表わして群がっている。
あちこちでトリム本社を取り巻くように立ち話をしている姿が、幾つも彼らの車の
横を通り過ぎていた。それだけ衝撃的な事件だった事になる。
「この中に犯人がいるのかもしれんなあ……」
 腕組みをしながら、呟くように村上警部補が言った。
「は?」
「これだけ目立つ事件を起こした奴だ。してやったりと思ってるだろうし、野次馬
に紛れて我々の捜査をじっと伺ってても不思議じゃないさ」
「犯人は犯行現場に再び姿を現わす、ですか」
「まあ……な」
「ところで重役連中の秘書は、どうやってあの階に出入りしてるんですか」
 本郷は先程の疑問を、大橋刑事に尋ねた。