RobbinⅠ-帝王の花嫁- 第三章(1)
このところ自分はついてない、と松本好則は思っていた。
世間体はトリム電子産業の本社勤務なのでよく皆から羨まれるが、実際
の仕事内容はかなりのハードワークで、自分の身体が人並み以上に丈夫
なことを親に感謝したいくらいだった。
『トリムは大きくなり過ぎたんだ』
最近、松本には特にそう思えてならなかった。今でもそうだが「世界のトリ
ム」というコピー文句は、一種の魔法のようだった。就職活動をする学生達
にとって、絶対的とも言える魅力があるのだ。皆が皆、寄らば大樹の陰とい
う考え方の人間ばかりでは無いにしても、その就労条件から福利厚生に至
るまで、全ての面で他社とは比較にならないくらいに飛び抜けているのだ。
だから結局は誰しもが一度は、駄目元で必ず会社訪問していた。その異常
人気は常に、毎年テレビのニュースに登場するほどである。
当時は松本もその他大勢のうちの一人だった。だからまさか本当に合格
するとは夢にも思わなかったし、内定通知を貰った時はまさしく飛び上がっ
て狂喜したのである。しかし希望に胸膨らませて入社した松本を待っていた
のは、子会社「トリム・サービス株式会社」への出向命令だった。商品企画
かデザイン設計を希望していた彼にとって、これはショックだった。
彼が出向させられた三百六十五日体制のアフターサービスの現場は、ま
さしく息つく暇もない戦場と言ってよかった。初めて修理の現場に案内され
た時、その職場の汚さと共に修理品の多さに我が目を疑ったことを、彼は今
でも覚えていた。これまでのトリム製品の累計販売台数が莫大な数字であ
る以上、故障率が僅かコンマ数パーセント以下でも、台数にすれば途方もな
い数になる。そのことが頭の中で判ってはいても、実際に目の当たりにする
と皆、必ず最初は「こんなにこわれるのか」とビックリする。松本もその例に
漏れなかったうちの一人である。
トリムサービスで働く松本にやがて判ったのは、直接対ユーザー相手に仕
事をする人間の苦労を本社は理解してくれてない、と感じている現場の人間
が多いことだった。本社にとって一つのデータに過ぎない数字が、雲の下の
現場にとっては全てなのだ。中には辛辣に批判する人間も当然いる。本社か
ら出向している身分とは言え、悪口を耳にするのは余り気分のいいものでは
なく、松本達が肩身の狭い思いをしたことも何度かあった。
またアフターサービスという仕事は、その性質上『直って当たり前』である。
そのため実際の仕事内容はかなりハードで、さながら厳しい時間制約のある
間違い探しパズルの感がある。サービスに対する一般ユーザーの文句が「高
い・遅い・直ってない」の三つに集約されている事からも、この一端が伺えよう。
修理品が全てユーザーの財産である以上、一刻も早く修理して返さねばとい
う責任感から、松本達は毎日の新規分をこなしながら、それと平行して必死に
なって夜遅くまで回路図とにらめっこする羽目になる。だが原因が特定出来な
いまま、苦悩する時間だけがあっという間に過ぎていく。やがて地道な努力が
実り、技術者としての使命感と達成感が報われる時がやって来るが、ユーザ
ーにそんな裏の事情は決して理解してもらえることはない。遅いと文句を言わ
れ、あげくは修理代が高いと言われるのがオチである。
その一方で、クレーム処理の業務も常に付いて回った。ユーザーはメーカー
を選べても、メーカーはユーザーを選べない。行ってみたら「その筋」の人間が
出て来て監禁され、とんでもない目に遭いかけた経験を持つ者も何人かいた。
また当時はトリムサービスが大々的に修理技術者を募集した時期でもあり、歩
合給で働く委託の技術者が多かった。そのためか、効率が悪い手間のかかる
仕事や難しい仕事を、出向者に意図的に回される事も一度や二度ではなかっ
た。要は体のいい何でも屋であり、ヘルパーであり、早い話が雑務係であった。
このあらかじめ抱いていた甘い期待と厳しい現実とのギャップに耐えきれず、
何人かの同期の人間が辞めていったが、松本は残った。無論、彼とて出来る
ことなら辞めてしまいたかったが、他に転職しようにもやはり最終的には、金銭
的条件と勤労条件が物を言うのが現実である。そうなるとトリム以上の条件と
いうのは皆無だった。

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