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2007年9月30日 (日)

RobbinⅠ-帝王の花嫁- プロローグ(2)

 そのミッションの目的は、反政府ゲリラの一味に捕われている政府高官の
娘を無事に救い出し、なおかつその事実の隠蔽のために、犯人達を皆殺し
にすることだった。彼らが踏み込んだ時、その政府高官の娘はゲリラの男達
とのご乱交の真っ最中だったので、容易に身柄を確保できたし、ゲリラと言っ
ても本格的な軍事訓練を受けた連中ではなかったので制圧はたやすかった。
あらかじめの予行演習通りにスムーズに事が運び、無事に救出の任務を終
えた今、ブラック・ローズ部隊は犯人達の皆殺しにかかっていた。周囲から
包囲網を縮めながら、一人また一人と犯人達を射殺していた時、不意にロビ
ンの前にまだ年端もいかぬ少女が現われたのだ。
 その少女は胸に薄汚れたボロボロの人形を抱き、顔は恐怖と涙と泥でぐち
ゃぐちゃになっていた。しかしその包囲網の中にいるという事は、犯人一味の
子供であるということを意味する。
 もしそうなら、たとえ年端もいかぬ子供であったとしても例外なく、否応なし
に銃弾の洗礼を受ける羽目になる。だがロビンには、そうは断定出来なかっ
た。近くに民家が幾つかあった事を、事前の偵察で知っていたからだ。無関
係な民間人の子供がたまたま、紛れ込んでしまったのだと思いたかった。
 それにとても彼には、その少女は撃てなかった。余りにあどけなさすぎたの
だ。少女は泣きながら彼の方に少しずつ近付いて来る。彼は手であちらへ行
けという風に、追い払おうとした。今なら自分しか気付いていない。規律を犯
した事が仲間に知れようものならただでは済まないが、出来るものなら見逃
してやりたかった。何度か追い払おうとしたにもかかわらず、それでもその少
女は立ち去ろうとはせず、ただ泣きじゃくるだけだった。
 その姿はあまりに切なく、彼はその少女をどう扱ってよいものか躊躇してい
た。かと言って、自分達の存在が一般人に知られる事は非常にまずかった。
自分達が存在した証拠は、全て消さねばならない。彼は現実の非情な判断
に迫られた。結論は最初からわかりきっていた。だがその一線は、彼にはど
うしても越えられないものだった。
「何してる。ロビン、早く撃て!」
 ゼブラの非情な声が、近くで聞こえた。もう、どうしようもなかった。少女の
短い人生の幕は、もう少しで下りるのだ。涙でぬれたつぶらな瞳が、じっとロ
ビンを見つめている。
「し、しかし……」
 ロビンが少女を撃とうとしないのに業を煮やし、ゼブラがロビンの元に駆け
寄る。しばし言い争う二人。
 二人の銃口がついつい地面の方を向き、二人ともが前方への注意を怠っ
た時、まるでその時を狙っていたかの様に、不意に男が一人、少女の斜め
後ろの茂みから飛び出し、バヨネットを構えて二人の方に突進して来た。
 気付くのが一瞬遅れ、銃を構えられない二人。
 バヨネットの先のナイフが、ロビンの胸元あたりを狙う。
 思わずロビンを突き飛ばすゼブラ。
 その右腕を深くえぐりながら、ナイフがあたりにゼブラの血沫を飛ばす。
 苦痛に顔をゆがめるゼブラ。
 突進してきた男と、ゼブラの肉体がぶつかり合い、どっと地面にもつれる様
に倒れ込む。
 男がゼブラの上に馬乗りになる。
 地面に仰向けに倒れながら、必死になって銃を構えるロビン。
 男が口許に残虐な笑みを浮かべ、バヨネットを振りかぶる。
 反射的に男の上半身めがけ、自動小銃の引き金を引くロビン。
 至近距離からの射撃が、男の身体を衝撃と共に、ぼろぼろの肉片に変えて
いく。
 少女は相変わらず、そして一層激しく、泣き続けている……

 ほんの一瞬の出来事が、まるで映画か何かのスローモーションのシーンの
ように、ロビンの眼前で展開した。それはロビンにとっては悪夢のような一瞬
だった。自分に非情さが足りないばかりに、かけがえのない大切な仲間を危
うく死なせてしまうところだったこの出来事は、結局のところその後、彼が除隊
する引き金となったのである。

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2007年9月29日 (土)

RobbinⅠ-帝王の花嫁- プロローグ(1)

 早いもので、この街に住み始めて、もう丸一年が過ぎ去ろうとしていた。
 彼は左手にオン・ザ・ロックのグラスを持ち、右手にはもう短くなったショート
ピースを持って、窓に寄りかかるようにして外の夜景を見ていた。帰宅してす
ぐは何もする気になれず、そうしてぼんやりした時間を過ごす事が、いつの間
にか日課になっていた。とは言っても、新宿の高層ビルから見下ろしたような、
壮大なきらめく星屑の海のような夜景が、窓の外に展開されているわけでも
何でもない。そこにはただ裏びれた路地と、ぽつりぽつりと街灯がともっている
だけの景色があるだけで、帰宅を急ぐサラリーマンやOLが時折、足早に通り
過ぎて行くだけだった。
 やがて街灯の光の中に、小雨が降り始めたのがわかった。
 控え目にケニー・ランキンの「銀色の朝」のテープが、彼の六畳一間の部屋
に流れている。今はただ、何も考えずにボーッとしていられる貴重な時間であ
り、それは彼が唯一ホッとしていられる、ささやかな至福の時でもあった。
 やがて、右手のもう短くなってしまった煙草を灰皿でもみ消そうと、部屋の中
央に二、三歩歩いた時、彼は最近購入した留守番電話の「メッセージあり」を
示す小さな赤ランプが、珍しく点灯したままだった事に気付いた。急いで煙草
をもみ消すと、部屋の中央に置かれているガラステーブルの反対側に回りこ
んだ。スイッチを「在宅」側に切り替え、ガラステーブルの上に飲みかけのグラ
スを置くと、すぐ脇のベッドに腰を降ろした。
 そして蒼いショートピースの箱と、ジッポのオイルライターを無雑作につかみ、
新しく煙草を一本取り出して口にくわえた。ジッポを点火する時の微かなボッと
いう音が、静かな部屋の中に意外と大きな音で響く。煙草の先に大きく揺れる
炎を持っていった時、その留守録メッセージがタイミング良く始まった。
「……よう、ロビン。久し振りだな」
 留守番電話のメッセージは、それだけを伝えて止まった。
 同時に、彼の動作が凍りついた。信じられないという表情で、彼は留守番電
話の方をじっと見ていた。しばらくの間、彼には言葉がなかった。やがて心の
動揺を静めるかのように、彼は大きく煙草の煙を深呼吸するように胸いっぱい
吸い込むと、次に天井の方に向けフーッと長く、ゆっくりと煙を吐き出した。
「ロビン、か」
 ぽつりと彼はつぶやいた。自分を「ロビン」と呼ぶ人間、そして自分が「ロビン」
である事を知っている人間は、少なくとも彼の知っている範囲では、ごく数名に
限られている。
『一体どういう風の吹きまわしだ。用事もないのにのんきにご機嫌伺いの電話を
かけてくるほど、暇な連中じゃないはずだが…』
 もったいぶった喋り方が、彼には気にくわなかった。それにあの声…何となく
嫌な予感がした。 ロビン……それは彼の本名とは別の、もう一つの彼の名前
であり、約二年半前までの数年間における、彼の過去の通り名であった。
『今さら俺に接触して来て、どうしようって言うんだ。とっくに縁は切れてるし、俺
はお前らを裏切った覚えもないぞ』
 しかし彼の心の中を、ある種の懐かしさが去来したのも事実だった。
「ブラック・ローズ、か」
 『青い薔薇は作れないが、この世に存在する唯一の黒い薔薇は、不可能を可
能にする』とまで言われた、私設傭兵部隊「ブラック・ローズ」に、彼はニ年半前
まで所属していた。世界一般で俗に言われる「傭兵」であり、その時のコードネ
ームが「ロビン」だったのである。当時の部隊長だった鮫島省吾が、ロビンの除
隊を惜しみ、考え直して隊にとどまるよう説得し続けてくれた事を、彼はふと思
い出した。
『シャークか。今も相変わらず、世界を股にかけて走り回ってるんだろうか…』
 鮫島はその名前から、「シャーク」と呼ばれていた。ブラック・ローズに限ったこ
とではなく、有名なフランス外人部隊の例に習い、傭兵は決して本名を名乗らな
いのが通常である。彼はそのことを、入隊当時から本当の兄のように慕っていた、
「ゼブラ」こと巽良介から教わった。
「もっとも、正直に本名を名乗ろうもんなら、自分のカバーがスッ飛んで、傭兵だ
って事がバレちまう。敵の多い傭兵の世界じゃ命が幾らあっても足りやしない、
ってのが本当の理由だ。そんな迂闊な奴には、世界を股にかけて動きまわるな
んて、とても無理な話さ。用心深く臆病でなきゃ、この世界では決して生き残れ
ないぞ」
『巽さん……』
 ロビンはゼブラに、インドネシアでのミッションで大きな借りがあった。その時の
出来事がまるで昨日の事のように、鮮やかに脳裏に甦って来た。

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2007年9月23日 (日)

作者の簡単レビュー 【その2】

★イーグルからの帰還
 最初の海外赴任中に『乾燥人間』と平行して書き始め、数年後、再度の海
 外赴任中に完結した思い出深い作品です。次元スリップものですが、もうひ
 とつの地球の設定が結構難しかったです。考えてる途中でわけがわからな
 くなってきて…かなり悩んだ記憶があります。
 最初書き上げた時は、成田空港で二人が抱き合うシーンでハッピーエンド
 だったのですが、二度目の海外赴任時に改めて読み返してみて、素直す
 ぎるストーリーに何かひねりがほしくて、最後のもう一つの結末を追加しま
 した。
 スピーディーな展開を心がけて書いていたので、細部の表現などは荒削り
 でやや不足気味かもしれません。実際にはもっと色んな装飾を付けて話を
 膨らませていったら、さらに良い作品に生まれ変われるのでしょうけど、今
 はあの時の素直な自分の気持ちを尊重して、余計な文章は追加せずに当
 時のままで掲載しました。
 自分にしては珍しく、映像化を意識した視点を常に持って書き上げた作品
 です。

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2007年9月22日 (土)

作者の簡単レビュー 【その1】

★私だけのジュピター
 実はこの冒頭は、RobbinⅡの作品の中で、主人公Robbinと恋人が初デート
 の際に見る映画のシーンなのです。そこから話を展開させていって短編作
 品に仕上げたものです。本当はジュピターが燃えつきるところで終わってい
 たのですが、数年後にあらためて読み返し、一番最後の部分を追加しまし
 た。補足説明なのでどうしようか悩んだのですが、ないと内容的によくわか
 らないだろうなあと思って入れておきました。

★終わりなき戦い
 ゲームのプレイヤー自身が主人公の短編です。ゲームしながら、もしこの
 プレイヤーに自我があったらどうなるんだろうなあと思って書いたものです。

★乾燥人間
 これ、実は3日ほど連続で実際に見た夢が下地になってます。最後のカプ
 セル内の主人公(自分)が吸い込まれるところで目が醒めました、こわ~。
 大学4年の時に途中まで書いてあったのですが、卒業後に仕事の関係で
 二度海外赴任する機会があり、その際に残りを書き上げました。多分それ
 がなければこの作品は未完のままだったろうと思います。

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イーグルからの帰還 13

★もうひとつの結末(後編)★

 そして、もう一つ……。この私達の世界で、私の妻の亡き父親は、私達が
付き合うことにすら反対だった。その父親は彼女が高3の夏、通り魔に全身
メッタ突きされ、出血多量で死亡した。犯人は未だにわかっていない。すで
に36年も前の話だ……思えば私の人生は、すでに18の時から狂っていた
のかもしれない。

  そして今、私はここにいる。ここは決して、グランドキャニオンでも何でもな
い。私にとってここは、イーグル峡谷以外の何物でもないのだ。
 結局私は幸いにも、大手商社に就職することが出来た。そして私は今や、
押しも押されもせぬアメリカ支店長である。妻は、私のニューヨーク栄転を、
心から喜んでくれた。そして、その翌日、彼女は息を引き取った……。この私
が、そのような犯罪者だと、一体誰が思うだろうか?
 ニューヨークにいる時も、シカゴを飛び回っている時も、そしてロスに飛行機
で異動する時も、片時も私の頭の中から、この思い出の場所が消えたことは
ない。アメリカにいる間、私は意識して、この場所を避けてきた。何か、犯罪
者が再び現場に戻るような、そんな気がしていたからだ。
  しかし、三日後に、私は再び日本に戻る。アメリカでの成果が本社に認めら
れたのだ。もう、生きている間、二度と再び、この景色を見ることはないだろう。
そう思うと、私の足はいつのまにか、ここに向いていた。
 霧が出てきた……あの時と同じように………。
「支店長、そろそろ……」
 ドライバーが言う。彼女は私の秘書も兼ねている女性である。なかなか優秀
で、私は彼女を重宝している。
 車に乗り込む。
 シートを伝わる微かな振動が心地よい。彼女がルームミラー越しに話しかけ
てくる。
「支店長……何か、この地に思い出でも?」
「ん?」
「いえ、何かこう、淋しそうなお顔をなさっていらしたもので……。すみません。
失礼なことをお聞きしましたでしょうか」
「いや、いいんだよ……。遠い昔の思い出にひたっていただけのことさ」
「昔の思い出、ですか?」
「ああ……もう30年も前の話さ」
「そうですか……。きっと楽しい思い出だったんでしょうね」
  彼女はにっこり笑う。でもいつもの彼女にしては、気の利かないセリフだった。
こんな場所で谷底をじっと物思いにふけりながら見つめている男の思い出が、
決して楽しいもののはずがない。
「そうでもないさ。青春のほろ苦い思い出でね」
「そうですか……」
  私は備え付けの冷蔵庫から、冷えた赤ワインを取り出した。お気に入りのい
つものやつだ。多めにグラスに注いで口に運び、一息つく。……気のせいか、
いつもより少し苦味が強いような気がする。
「そういえば……」
  秘書のジャネット・スミスは、今日は彼女にしては珍しく、いつもよりよく喋る。
「私、この6月で、30才になりますのよ」
「ほう……」
 これまで彼女の年齢を特に気にしたことはなかったが、いきなりそんな事を言
い出すなんて、どういう心境の変化なのだろう。身の上話でもするつもりなのだ
ろうか。初対面の時から親しみやすさを覚えていたのは事実だが、彼女がどう思
っているか判らないし、うかつにそんな個人感情を表に出すことはしていなかった。
「何か、思い当たること……ありません?」
「何か、って?」
  それが私と、一体どんな関係があるというのだろう?思い当たることなんて、
全くあるはずがないのだから。
「さあ……思い当たるフシはないがなァ……」
  別に、彼女に手を付けた覚えもない。
「貴方の思い出に、よおく尋ねてみたら?!」
「?」
「そう……知らなかったの……。まァ、無理もないけど」
  突然、口調が変わった。こんな彼女は今まで見たことがない。
「何が言いたいんだね、ジャネット」
  私には、彼女が何故、こうも私にからんでくるのか、全く見当がつかない。
「貴方の思い出に欠けてる所を、教えてあげてるのよ」
「何だって。一体どういう意味なんだ?私には何のことか、さっぱりわからないよ」
 さすがに私も、少々カチンときた。
「じゃあ、言ってあげるわ。30年前、貴方は、アメリカフリーウェイバス54号車で、
デンバーからロスまでのロッキー山脈横断の旅をしたでしょう?」
  私は思わず、シートから身を乗り出した。きっとこわばった表情をしているに違
いない。
「き、君は、何でそんな事を知っているんだ!!」
「そんな事、どうだっていいじゃない。貴方達は途中から、違う世界に迷い込んで
しまった……違って?」
『どうしてジャネットは、そんな事まで知ってるんだ!』
「その世界で、貴方が何をしようとしたかも、私、知っててよ……」
  いきなり頭をハンマーで強く殴られた気がした。
「何を…何を言い出すかと思えば……。ジャネット、気は確かかね。そんな荒唐無
稽な話、誰が一体……」
「私の母よ……」
「母?君の……お母さん?」
「そう……ベティ・スミスが、私の母の名なの……」
「ベティ・スミス……ベティ!」
「そう……。どうやら、思い出したみたいね」
  私は自分の顔がこわばるのを感じた。ベティは、ひょっとしたら………。
「私の母は、貴方が好きだったわ。だから、貴方があの世界で企んでいた事も、感
づいていたし知っていたけど、黙っていたわ。私の母が貴方をかばって、嘘をついて
た事も、貴方は知らないんでしょうね、きっと……」
『ベティが私をかばって嘘をついてた、だって?』
「それに、母が貴方と共犯だった事も……」
『ベティが私と共犯?……一体何のことなんだ?』
「……ふふ、その様子じゃ、何も知らなかったみたいね。……いいわ、順を追って話
してあげるわ」
  私は、グラスの残りのワインを一気に飲み干すと、煙草に火をつけ、冷静に考え
ようとした。だが、ジャネットの意図がわからない……彼女は一体どういうつもりで、
こんな話をするのだろう。私を脅すつもりなのだろうか?
「そもそも私の母が貴方の行動に不信感を持ったのは、貴方がペニー中佐としきりに
連絡を取り合ってる事を知った時だったらしいわ。時々、貴方は夜中に王宮の貴方の
部屋から、彼に電話してたでしょう?
 ある夜、母は意を決して、貴方の部屋へ貴方を尋ねて行ったのよ。どういう事かは
わかるでしょう?貴方の部屋をノックしようとして、つい聞くとはなしに、会話を盗み聞
きしてしまったらしいわ。貴方の企みを知って、母はショックを受けて、かなり悩んだよ
うだったわ。でも結局、貴方がそれを望んでいるのだったら、自分はそれを影になって
出来るだけ助けてあげよう、と決心したらしいの。私には、母のような考えは理解でき
かねるけど……。それだけ貴方を本気で愛してた、って事になるのかしらね」
「……………」
「注意して観察してると、ベンガ少佐が貴方達を見張ってる事がわかったらしいわ。朝
早く、王宮の無線室の裏でベンガ少佐と出会った時、母はおかしいと直感して、物陰
でしばらく彼を見張ってたらしいわ。そして……母は目撃したのよ、貴方が彼を背後か
ら殴り付けて殺すのを……。その後、貴方の後を付けて、貴方が空軍司令室に入った
のも、目撃してるわ。何かが今日これから起ころうとしている、と彼女は感じたの」
『ベティに、見られてた?……まさか!』
「でも、母は、貴方にこれ以上、犯罪を重ねて欲しくはなかった。だから、わざと空軍司
令室に、貴方がいるのを承知の上で、お茶を運んで行ったのよ。中の貴方に聞こえる
ように大き目の声で、ベンガ少佐にお茶をお持ちしました、と言ったはずだわ。貴方に
は聞こえていたはずよ」
『!……あれが彼女の警告だった、だって?』
「おかしいとは思わなかったの?ベンガ少佐が空軍司令室にいるかどうかわからない
のに、母がお茶を持って行った事を。母は貴方に思い止まって欲しかったのよ。でも、
ああいう風にしか、彼女は表現できなかった。母はそれで、貴方に、自分が気付いて
いる事を知ってほしかったのよ。
  よしんば、貴方がそれに気付かなかったとしても、今は間一髪で私にバレるのをま
ぬがれてるけど、犯罪なんていつかはバレてしまうものだから、こんな危険な目をして
ひやひやしながらいて、貴方はそれでいいの?、って言いたかったんでしょうね、きっ
と……。これ以上罪を重ねると、もう引き返せなくなるわよ、……ってね」
『そう言えば……』
  気を利かせたとは言え、彼女がお茶を運んできた事は、たしかに不思議だった。
私の耳にも彼らの会話は聞こえていたが、ベンガ少佐は彼女に、自分がこれから空
軍司令室に行くとは言わなかった。それなのに彼女は、ベンガ少佐が空軍司令室に
いると確信したように、お茶を運んできたのだ。
 確かにベティにしてはおかしな行動だと思った事は覚えている。だがあの時は、
自分の強運に感謝し、ホッと胸をなでおろしたものだ……。
「それから後も、母は貴方を見張ってたの。そして、貴方が通信室に入ったのを確認
すると、パル王の所へお茶を持って行ったのよ」
『どういう事だ?……』
「わからないでしょう、母の行動の意味が……。母は貴方の行動で、これから何が起
ころうとしているかを悟ったのよ。そして母は、パル王を毒殺したの」
「何だって!!」
  私は自分の耳を疑った。今ジャネットが、毒殺、と言ったように聞こえたのだ。
「すべて、貴方のためにね……毒入りのお茶を、書斎にいたパル王に飲ませたの。
母は貴方のために、自ら犯罪者の道を選んだのよ。……その後、爆撃機が王宮に向
かってくるのを見た時、母は必死で王宮から逃げ出したわ。それも不思議に思わなか
ったの?なぜ、母が無事に貴方達と再会できたのか……」
 ルームミラー越しのジャネットの目は、涙であふれていた。……たしかに、そうだ。
王宮にいた人間は、ほとんど爆撃で死亡してしまっていた。ベティがほとんど無傷に
近い状態だったのを見て私は、運が良かったのだろう、くらいにしか思っていなかった
のだが……。
「その後、貴方達に母は、貴方に都合がよくなるように、ベンガ少佐が誤解されやす
いように、彼の事を話したはずよ。ベンガ少佐は母に、パル王が元気でいるか、何て
聞かなかったはずよ。それは貴方が一番良く知っているはずだわ。多分貴方は、母
がベンガ少佐に会った時、近くにいたはずでしょうし」
「……………」
  私は無言にならざるをえない。
「そして貴方は、私の母を抱いたわ。この世界で最後に別れる前の日に……。そして、
やがて私の母は、私を産んだの……」
「何だって!……」
  私には二の句が告げない。そんな馬鹿な事ってあるのだろうか。
「どう……実の娘にめぐり逢えた感想は、パパ」
「そ……そんなことが……」
 気のせいだろうか、目の前がかすんできたような気がする。
「それで、私にどうしろと言うんだね、ジャネット」
 私は気を取り直して、そう言った。誰も知っているわけがないのだ。確かに、ベティ
を抱いたのは事実だ。しかし、あの世界で私が企んだ事を、彼女が見抜けるはずが
ない。ハッタリに決まっている。
「別に……。ただ私は、貴方を私の母の元へ連れて行きたいだけよ」
  身体がしびれている。彼女の声も遠くの方で聞こえる。
「ジャネット、お前、ワインの中に……」
「そう、入れたわ。私ね、前からこの機会を待ってたの。今日を逃したら、貴方は日本
に帰ってしまう。もう、私の手は届かないもの」
  目の前を、星がチカチカ飛んでいる。懐かしい光景だった。
「行きましょ……パパ」
 不意に、目の前の景色が変わった。車はグルグル回転しながら、崖から谷底めが
けて転落していく。
『同じだ、イーグル峡谷のあの時と……』
  深い霧が、いつのまにか私達を包んでいた。唯一違うのは、これが私の人生の終
点だということだ。 明日の新聞の片隅に、多分こう載るだろう……

   日本人アメリカ支店長(54)、死亡。霧で視界が悪くなったグランドキャニオン
   にて、運転を誤り、車ごと崖から転落。同乗の運転手、ジャネット・スミス嬢(29)
   も全身打撲で即死。
   彼は2日後に帰国をひかえており、最後の休暇の最中に、不運にもこの事故
   に会った模様。

「不運にも……か」
  それが私の最後のつぶやきだった。
                                         fin

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2007年9月16日 (日)

イーグルからの帰還 12

★もうひとつの結末(前編)★

『ここだ……』
  私は、感慨深い何とも言えぬ気持ちで、じっと谷を見つめている。この場所
は、私にとっては、特別な思い出の場所だ。もうあれから30年にもなる。私も
もう54才だ。妻はすでに5年前、癌で死んだ。幸か不幸か、私達に子供はい
なかった。妻の死に顔は安らかだった。私を信じ切っていたし、幸せの毎日だ
ったろうと思う。しかし、妻を見るたび、アデニーの事を思い出すたび、私は心
が痛む。かつて、私の犯した罪を……。

  あの時……私は、ベンガ少佐を利用したのだ。アデニーを手に入れるため、
そして彼女の父親、パル王を殺害するために。
  ベンガ少佐は、別にイルペジュ連邦軍に無線連絡するために、わざわざ嘘
を付いてまで、王宮にやって来たのではない。彼は気付いていたのだ、私の
裏切りを……。そして、私に思いとどまらせるため、王宮に来たのだ。……と
言うよりも、彼を呼び出したのは、実は私なのだ。無線室の裏の路地へ。ペ
ニー中佐と共謀して、イルペジュ連邦共和国に情報を流していたのは、ベンガ
少佐ではなく、この私だったのだ。
 私はアデニーのお見合いの準備で、その2日前からシュー湖の方にいた。
すでに、現体制に不満を持っているペニー中佐をうまくおだてて、私はクーデタ
ーを起こすようたきつけてあり、準備は整っているはずだった。モラビア爆撃の
前夜、私は手筈を確認するため、ペニー中佐に電話を入れた。彼は、大筋を説
明した後、念のため当日、パル王が王宮にいる確認が欲しいと言ってきた。
 仕方なく、私は夜中に民家を抜け出し、国道でトラックをヒッチして、モラビア
に向かった。その前に、今後のことも考え、いい機会だから邪魔なベンガ少佐
をこの際始末しておこうと思い立ち、彼に連絡した。
  ベンガ少佐は、私達を常に監視していたのだ。とりわけ、この私を……。それ
は彼の第六感だったのかもしれない。秘かに私とペニー中佐の内偵をしている
らしい事を、私はペニー中佐から聞き及び、不安にかられていた。
  そこで私は、この絶好の機会を利用しようと考えた。誰にも見られないように、
王宮で二人だけで会って重要な話をしたい……と、私は誘いを向けた。彼は熱
血漢だった。だからこそ、話の内容を敏感に悟り、もし私が思いとどまってくれ
るなら、二人だけの秘密にしておく、約束する、と言って、会うことを承知した。し
かし当然ながら、その約束はいつまでも保証されるわけではない。私の裏切り
の事実を知っている唯一の人間を、絶対に生かしておくわけにはいかない。
  私は当日、早朝から待ち合わせの場所に行き、木陰の茂みの中に隠れ、ベ
ンガ少佐の到着を今や遅しと待っていた。いくら人気の少ない場所を選んだとは
言っても、誰かが通りかかる可能性もあった。事は早急に済まさなくてはならな
い。そこへ彼がやって来た……。そして私が行動を起こそうとした時、偶然、ベ
ティが通りかかったのだ。間一髪で、危うく彼女に見られるところだった。今思い
出しても、冷汗ものだ。
  あの道がベティのいつもの通り道だとは、まったく気がつかなかった。ベンガ
少佐は、ベティも私とグルだと思っていたはずだ。だから、彼がベティと出会った
時、大袈裟なくらいにビックリしたのも私にはわかる。
 彼女をやり過ごした後、ベンガ少佐が私の方に背を向けた時を見計らって、
私は無我夢中で手に持った大きめの石で、彼の後頭部を思いきり殴り付けた。
この手には、今も残っている、あの感触が……。
  それから私は、彼を近くの物置に引きずっていった。その時は、すでに彼は虫
の息だった。不思議と冷静でいられたのは、彼が黒人だったからだろう。大量の
血が吹き出していたはずだが、余りわからなかった。黒人でなかったら、私はもっ
と動転していたろう。そして、やがて彼はあっけなく死んでしまった。
  私はその物置の中で、返り血の付いた衣服を着変えると、足早に空軍司令室
に向かった。至急の調べ物をアデニー姫から頼まれてやってきた、と言ったら、
衛兵は顔見知りであることもあり、何も疑わず、私を中に入れてくれた。アデニー
の力は大きい、と彼女に感謝した。そして、その部屋で私は、通信室から発信さ
せる暗号テレックス文の原稿を作成した。もちろん、パル王が王宮内にいることを
衛兵に確認するのは忘れなかった。
  しかし、ベティがベンガ少佐が空軍司令室にいると思ってお茶を運んできた時は、
正直ドキッとした。あの時、たしかにベンガ少佐は空軍司令室にはいなかった。空
軍司令室の中には、この私がいたのだ。
  その後、何食わぬ顔で無線室に行き、暗号テレックスを発信した後、王宮を後
にした。時間的には充分だった。アデニー姫よりも先に、王宮を出発すればよかっ
たのだから……。

  その後は、今さら思い出すまでもない。王宮は爆撃を受け、パル王は死んだ。
ベティが無事で生きていたのが不思議なくらいだ。誰が誰かの判別さえつかない
くらいだったらしいから、万が一、ベンガ少佐であることがわかったとしても、ベティ
にしても、いくら何でも、その前に彼が殺されていたとは思い至らないだろう。
  パル王……彼は、私とアデニーが好き合っていることを、うすうす感づいていた。
しかし、私との結婚には絶対に反対だった。アデニーが留守の時、私はパル王に
秘かに呼ばれて、そのことをはっきりと言われたのだ。その時から、私の殺意は芽
生えた、と言っていいだろう。
  その障害さえなくなれば、私とアデニーの結婚に正面きって反対できる者など、
いるわけがなかった。私は、控え目な、そしてあくまで忠実な、アデニー姫の召し
使いの一人となりきろうとしている、彼女に好意以上のものを持っている、一人の
男を演ずればよかった。
  ジュリア王子のことも、私は知っていた。国民の不満が高まっているイルペジュ
連邦共和国の現状は、すでに調べ尽くしてあった。彼が地下に潜伏しながら、じっ
と再起のチャンスをうかがっていることもわかっていた。イルペジュ連邦共和国の公
安当局内では、公然の秘密でもあったのだ。ジュリア王子が立てば、その結果は
予想するにたやすい。
  そのためのトリガーとして、ペニー中佐を利用して、クーデターを起こさせる。当
然ジュリア王子は決起する。大義名分が立つし、彼にしても一石二鳥だ。そして、
その結果、確実な彼の勝利の後、アデニー姫の信頼の高い私は、彼ら二人に一
番近い信頼できる側近として仕えられることは、目に見えている。そうなれば、ジュ
リア王子を暗殺することなど、これから先幾らでもチャンスはある。焦ることなど何
もない。ほとぼりがさめるまで、ただじっと待っていればいいのだ。
  唯一の誤算、それは、再びこの世界に戻ってしまったことだった……。

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2007年9月15日 (土)

イーグルからの帰還 11

 それが最後だった……今、僕は、ロスから日本へ向かう飛行機の中だ。
また、この世界に戻って来てしまった。なぜかはよくわからない。気付いた
ら、病院の一室に僕らはいた。
 9月1日になっても僕らが到着しないので、地元で探していたところ、グラ
ンドキャニオンの谷底に転がっている、アメリカフリーウェイバス54号車が
発見された。全員、一命はとりとめている。恐らく、運転を誤っての転落事
故だろう、と皆思っているようだ。それでよかった。
  誰も、僕の、そして僕らの体験を話してみたところで、信じてなんかくれ
るわけがない。かわいそうに、ショックのせいで頭がおかしくなってしまった
のか、と同情の目を向けられるのがおちだ。
  すべては、僕の気分が悪くなったことから始まり、僕の気分が悪くなった
ことで終わった。あの、イーグル峡谷を気狂いのように走り抜けようとしたバ
スの中で、気分が悪くなったのは、決して車酔いではなかったのだ。そう言
えば、いつのまにか深い霧が出ていた。僕は敏感なんだろうか……。
  ちょうど、僕らは『神隠し』に会ったことになる。昔から、神隠しっていうの
は、ひょっとしたら、こんな事が原因なんだろうか。
  アデニー達のいる世界と、この僕らの世界は、同じ地球上にある。でもそ
れは、ちょうど紙の裏と表みたいなもので、お互いに本来、行き来する術は
ない。でも、地軸の傾きが逆で、自転も逆のこの二つの地球が、何処かあ
る場所でちょうど重なった時、お互いの世界に行けるようになるのではない
んだろうか。霧に包まれた道を通って……。
  バミューダの魔の三角域、って呼ばれてる場所がある。ここを通る飛行
機も船も、全てがことごとく行方不明になってしまう、と言われ恐れられてい
る。霧の多い所でもあり、昔から遭難の名所でもある。ひょっとしたら、そこ
こそが、アデニー達の世界へ行ける扉が常に開かれている場所なのでは
ないんだろうか?そんな気がする。
  でも、決してアデニー達の世界へ行ったことが夢ではないことを、僕は知
っている。発見された時、僕は左手に何かをぎゅっと握りしめていた。そして
それは、かつてアデニーが僕にくれた、黄金のペンダントトップだった。
『アデニーが守ってくれたんだ……』
 僕はそう思う。そして、僕は信じていたい。アデニーが無事に生き延び、
そして、モラビア連邦が無事に再興されることを……。
  でも……アデニー達の世界からは、こちらに来ることが出来るんだろうか?
フッと、そう思う。裏側の世界からこちらに来ることは出来ないのかもしれない。
それは、あくまで、表側のこの僕らの世界からの行き来ができるだけの扉な
のかもしれない。そんなことばかりを漠然と考えていた。
  飛行機の機体が傾く……。アナウンスが始まった。まもなく、成田空港に
到着する予定だ。そう言えば、親父もお袋も元気でいるだろうか?いきなり、
また、現実に引き戻される。大学4年なんだから、皆今頃、就職で目の色変
えて飛び回っている頃だ。今は9月15日……明日から、後期授業が始まる。
『就職……か』
  心の中でつぶやく。田舎へ帰ろうかな……ひっそりと暮らそうかな……もう、
都会の目まぐるしさは、僕にはきつい。目をつぶって、そんな事を考えてみる。
かすかな振動が、機体が着陸したことを知らせてくれている。

  手荷物とスーツケース……入国手続きも、税関も、何事もなくスムーズに
通過する。目の前で、出迎えの人に手を振る人達。笑顔で迎える人達。でも、
僕には出迎えの人はいない。一応、実家の方には、帰る日にちとフライトは連
絡しておいたけど。まさか親父やお袋が、あの歳で出迎えに来てるとは思えな
い。
  大きく溜息を一つ、ついた。
「さて、帰るか……」
  誰に言うともなく、そうつぶやいて、僕は歩き出そうとした。
  その時、遠くの方から誰かが、こちらの方に手を振りながら走ってくるのが、
目の端に止まった。女の娘だ。長い髪が揺らめいている。まだ夏の青空の、成
田空港の出迎えロビーの中で、それは爽やかな春風のようだった。でも、彼女
の顔を見た時、僕は全てがわかった気がした。
「アデニー!」
  思わず、そう叫びそうになったからだ。そして、僕があの世界で、アデニーと
初めて会った時、以前にどこかで会ったことがあるような感じを持った理由が、
やっと今わかった。
 彼女だったんだ……この世界での、僕にとってのアデニーは!何でもっと早
く、そのことに気付かなかったんだろう。彼女とアデニーはそっくりなんだ、って
いう事を……!
 彼女の瞳が涙で輝いている。その時、僕は悟った。
『アデニーは無事なんだ!』
 この世界で、彼女はアデニーで、そして、僕はジュリアなんだ。
  時と場所が違う。そして状況も……。でも、余りにも似てるんだ。僕が無事で、
そして、彼女と僕がこうして出会えているということは、アデニー姫とジュリア王
子は、無事にスードリで再会できたはずだ。
 僕も小走りに、スーツケースを転がしながら、彼女の方へ急いだ。目の前に、
彼女の嬉しそうな顔が見える。僕も微笑み返す。
  成田空港、出迎えロビー、午後3時45分。僕達は抱き合った。ギュッと、彼女
をきつく抱きしめる。どんなことがあっても、この娘は離さない……そう思う。お互
いに閉じた目……彼女の髪の香り……同じだ、アデニーと。
  この時が、今、止まってほしい……切に、そう思う。二人とも無言だ。なんとも
言いようのない気分で、じいっと息を止めて、抱き合う二人。誰にもこの時間は
邪魔させないぞ!……そう思う。
  どのくらい長いこと、じっとそうしていただろう。不意に、僕の肩をポンポンとたた
く無粋な奴がいる。
『ほっといてくれ!』
  そう心の中で叫びながら、無視する。この二人の時間が、いつまでも続いてほ
しい……。しばらくして、また肩をたたかれた。
「もしもし……」
「え?」
  僕も彼女も、我に帰って、その声の主を見る。空港の係員だ。そのおじさんは
こう言った。
「もしもし。困りますねえ、こんな所で……」
「え?」
  はっと、我に帰る。いつのまにか、好奇心いっぱいの目をした人達が、周りを
取り巻いていた。そりゃそうだ。出迎えロビーの、ど真ん中だったんだから。僕達
二人は、周りのことなんか少しも気に止めていなかった。
「あ……す、すみません」
  真っ赤な顔をして、二人ともパッと離れた。暑い!……二人とも他人に合わせ
る顔がない。恥ずかしかった。うつ向いたままだ。

  その時、僕は、アデニーのクスッという笑い声を、どこかで聞いた気がした。
                                        
                                          fin

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2007年9月12日 (水)

イーグルからの帰還 10

 ジュリア王子との連絡のおかげで、僕らは今、敵がどの辺にいるのかをつか
むことが出来た。ちょうど、僕らの後方にはイルペジュ連邦軍がいて、そしてあ
のペニー達が、ライネル山の山向こうにいる。スードリへ行くためには、後方の
敵と前方のペニー達と戦いながら、強行突破するしか方法はない。
  明けて、今日は8月31日。本当だったら、今頃ロス入り前だったはずだ。や
っぱり、未だに、昔住んでた世界に未練があるんだろう、今こんな時にそんな
ことを思うなんて……。
  今日が全てだった。今日、生き残れれば、多分……。朝の日の出を待ちかね
るように、僕らは出発した。夜半に出発しようにも、イーグル峡谷は全く道がわ
からないので、危険すぎたからだ。もちろん、夜の闇にまぎれて進行するのが
一番いいのはわかってたけど。今や僕らには、無事にアデニー姫をスードリまで
送り届ける義務があるんだ。
「出発!」
  アルタス大佐の声が高らかに響く。いつもより、何だか輝いて見えるのは、な
ぜだろう?困難を幾多も乗り越えてきた人だからこそ持てる強さ、って言う奴な
んだろうか。そして……僕らはもう、後戻りは出来ない。目の前の、山肌を縫う
ような細い道……あれを無事に通過できるんだろうか?

  2、3時間も進んだろうか、不意に空に現われた影がある。そう、ペニー達空軍
の爆撃機だ。勝ち目はあるんだろうか?やがてそれは、不気味なほど大きな姿
を僕達の目前まで現わした。
「撃て!撃ち落とせ!」
  叫ぶアルタス大佐。一斉射撃が火を吹く。一機また一機と、山陰から姿を現わ
すペニー軍の飛行機群。絨毯爆撃が、来る!アデニーも乗っている僕らのミニバ
スの周りで、すごい音と土煙と火柱が上がる。
「つかまってろ!」
  叫ぶトム。今や彼の運転が全てなんだ。一機の尾翼にこちらの砲撃が命中した。
黒い煙を上げながら山肌に突っ込み、そして飛散する爆撃機!後ろの方が一段と
騒がしくなっている。
「敵だ!」
  イルペジュ連邦軍に追い付かれたのだ。
「止まるな!」
 アルタス大佐の大声も、爆撃と銃声でかき消され気味だ。
「行け!行くんだ!」
 時々、僕らのバスのすぐ横に爆弾が落ちる。すごい音を立てて、土砂が窓ガラス
を叩きつける。前と後ろに力を分断された僕らは不利だった。
『もう、これまでなのか……!』
  そんな不安が一瞬、心の中をよぎる。でも、即座に否定する。
『生き抜いてみせる!』
  後方からの追っ手の勢いが、また一段と強くなってきた気がする。前をペニー達
空軍にふさがれ、少しずつしか進めない僕らに、敵が追い付くのは容易だ。でも、
釘付けされてるよりは、ましだ。一機また一機と、空を埋め尽くしそうな爆撃機の群
れ。くそっ、一体何機出てくれば、気が済むんだろう。
  爆撃機だからと言っても、爆弾投下だけじゃない。当然、機銃でも撃ってくる。そ
して、その機銃の嵐が僕達のミニバスを通り過ぎた時、不意に、バスは左の山肌
の方に向きを変えて、突っ込んだ。
「どうした?!」
  バスの中でひっくり返って、僕は大声で聞いた。シュナイザーが、トムの所へ駆
け寄る。
「トムが、撃たれた!」
「何!大丈夫なのかい?」
  駆け寄る僕達。左足の太股と右肩から、血が流れている。救急箱を持って駆け
寄るシャーリー、ベティ、そしてアデニー。
「すまん……」
  トムが弱々しい声で言う。とっさに、谷底側と反対側にハンドルを切ったのだ。
「君のせいじゃないよ。大丈夫かい?」
 ファラデーが心配そうに聞く。
「おい!どうした……あ、撃たれたのか!」
 アルタス大佐がバスのドアを開け、乗り込んできた。
「かすり傷程度だ。死にゃせんよ!」
 励ましとも何ともとれる、アルタス大佐の一言。一瞬の沈黙……。不気味な低
いうなり音が聞こえた気がした。同時に僕の身体は、バスのどこかに当たってい
た。脇腹が痛い。
 目を開けると、皆倒れていた。爆弾が、止まっているこのミニバスの、すぐ近くに
落ちたんだ。窓ガラスも割れている。かわいそうに、ベティとシュナイザーが、ガラ
スの破片でけがしたらしい。もう、僕らのバスの中はパニックだ。
「とにかく、一瞬でも止まったら駄目だ!走れ!何としても走って、スードリまでた
どり着け、若いの!後ろの敵は、わしらが生命に代えてもくい止めてやる!いいか、
その代わり、貴様らも生命に代えて、アデニー姫を無事にスードリまで送り届けろ
よ!」
  そう大声で怒鳴りながら、バスを降りるアルタス大佐。この憎々しげな言葉は、
大佐の別れの言葉なのだ。僕が言う。
「大佐!スードリで、また……」
「そうしたいな、お互いに!」
  ニヤッと笑って去っていく大佐。走り去る彼の後ろ姿に、僕は、多分もう会えない
かもしれない、という予感がしていた。

  運転をファラデーがすることになった。すぐに出発だ。グズグズしていては、敵の
格好の標的になってしまう。エンジンの音もほとんど聞こえない。周りは土煙だらけ
で、時々火柱が上がる。
 その中で一人、兵士達に指示して大声を張り上げているアルタス大佐。彼は覚
悟を決めたはずだ。ここから先は誰も通さない、と。そんな彼らを後に、ミニバスは
発車した。多分、今度止まった時は、地獄行きだろう……。
  皆、必死にバスにしがみついている。すごい振動だ。ファラデーの運転もすごい。
景色が上下左右に揺れる。
 その時だった。不意に、僕らのバスの入り口のドアが、振動のショックで、バタン
と大きな音を立てて、開いてしまった。ドアの近くには無線機がある。あれがないと、
ジュリア王子と連絡が取れない。だんだん、無線機は振動でドアの方へ動いて行く。
『いけない!』
 そう思った僕は、バスの中の柱につかまりながら、その無線機をつかもうと手を
伸ばした。
『だめだ、届かない。もっと近付かないと!』
  床にカエルのようにうつ伏せになって、ぶざまに時々上下左右にゆすられながら、
僕は開いたドアの方へ少しずつ向かう。
『ドアを閉めることが出来れば!』
  ロックがあったはずだ。それをロックすればOKだ。確かめずに発進したのがうかつ
だった。 手を伸ばす。届かない。その間にも、無線機は非情にも、ドアの方へ少しず
つ動いて行く。
『くそ!お前はそんなにバスから落ちたいのか!』
  僕の目の前で、無線機は、あっけなくドアから外へ落ちてしまった。力が抜けた。
でも、どっちにしても、ドアをロックしなくちゃ!
  極度の緊張のせいだろうか、少し気分が悪くなってきた。このファラデーのむちゃく
ちゃな運転に車酔いしない奴もいないだろうけど……。目の前をチカチカと星が飛ぶ。
ドアが開いて危険なことを知っている人間が、もう一人いた。僕の目の前を、白いドレ
スが動いて、ドアの所に走った。アデニーだ。
「危ないよ!」
  僕が叫ぶ。その時、僕らのバスのすぐ右に爆弾が落ちた。バスが左に大きく傾く。
一瞬の後、アデニーは、とドアの方を見る僕。その時、彼女はすでにバスの中にはい
なかった。
「ファラデー!車を止めてくれ!」
  大声で、ありったけの声で叫ぶ僕。
「え?何だって?何か言ったか!」
 大声で叫び返すファラデー。お互いに、声がほとんど聞き取れない。ドアの取っ手を
片手でにぎり、ミニバスから半分身体を外に出して、後方を見る。バスの土煙の中に、
アデニーが倒れている。左手をこちらの方にまっすぐのばしているのが見える。どんど
ん彼女の姿は小さくなっていく。降りなきゃ!
  僕の身体もバスの外へ出た。そのつもりだった、もちろん!彼女を無事にスードリま
で送り届けないと!でも、僕の身体は、誰かに後ろからしっかりつかまえられている。
「放せ!」
「だめだ、君まで!」
 シュナイザーだった。
「放せ!アデニーが!アデニーが!」
「よせ!」
 僕の目の前で、アデニーの姿が、土煙の中でみるみる遠ざかっていく。
「アデニー!!」
 僕は絶叫していた。そして、僕は見た。土煙の中で立ち上がり、悲しそうにこちらを
見つめて微笑んでいるアデニーの姿を……。
  その時、バスのすぐ上の山肌に、爆弾が落ちた。土砂が降ってくる。バスがグラリと、
大きく右に傾く。景色が斜めに動く。
『落ちる!』
  ぐるぐる回る景色の中で、僕らのバスが谷底へ落ちて行くのがわかった。

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2007年9月11日 (火)

イーグルからの帰還 9

  山の中を、僕らを乗せたミニバスは、前後を守られながら、目的地のベニン
山の麓に向かっていた。たとえ、アデニー姫が生きのびていたところで、海か
らの脱出口がふさがれてしまえば、もう僕らは袋のネズミ同然なのかもしれ
ない。
バスの中での分担は、自然と決まっていた。トムとファラデーは交互に運転
し、助手席の方がナビゲーターとして、地図と道を確認する。シュナイザーは、
時々サンルーフの窓を開け、双眼鏡で安全を確認する。僕は無線機の係だ。
ベティとシャーリーは炊事。アデニー姫は、どうしても協力したいと主張したの
で、彼女らの手伝いをすることになった。
  こういう非常事態では、人間っていうのは変わるもんだ。僕達の行く先々で、
強盗団まがいの人間がいる。仕方のないことだろうな、と思う……でも、やっぱ
り、そうあってほしくない。

  アルタス大佐の付けてくれた近衛兵団に守られてるおかげで、幸い、そんな
危ない目にも会わずにすんだ。そして僕達は、2日の行程の後、無事に目的地
の宿泊所にたどり着けた。アルタス大佐やファーゴ中佐がどうなったのか、を無
性に知りたかった。でも、こちらから発信することは危険だったので、あえて止め、
無線の傍受にとどめることにした。
  やがて、敵は、この地へもやって来るんだろうか……。そんな思いが僕達の
中にあった。これまでの行程の中でも、上空に飛行機が来れば森の中に逃げ
込んで、敵が行き過ぎるのをじっと待った事も何度かあったのだから……。危機
が迫っている事だけは確かだ。もう、僕らに残された脱出の方法はないんだろう
か。皆、疲れ切っている。冗談の叩けるほどの元気もない。いつもはひょうきんな
シュナイザーも、この時ばかりは黙っていた。
  幸いにして、宿泊所は賊に荒らされておらず、食料は豊富にあった。でも、夜は
絶対に明かりが外に漏れないよう、最大限の注意を払っていた。時々、戦闘機が
相変わらず飛び回っているんだもの……。もっとも、電気はすでにペニー中佐達の
手によって止められているから、自家発電だったけど……。
 到着したのは、8月29日の夕方だったけど、その夜は皆、まんじりともせず過ご
した、と言っていいだろう。

 部屋の中で僕はその時、これまで傍受できた無線の内容をまとめている最中
だった。アデニーが部屋に入ってきたのさえ気付かないくらいに熱中していた。だ
から、彼女が僕に声をかけた時は、思わずびっくりしてしまった。
「ご、ごめんなさい……」
  声をかけたアデニー姫の方が、びっくりしたようだった。
「びっくりしたよ……」
「ごめんなさい」
 クスッと笑って、彼女は言った。誰も周りにいないことを確認してから、軽くキス
する。親しくなった男女は、雰囲気が変わるって言うけど、ちょうど僕とアデニーも、
その時そんな風だったんだろう。
「何か……わかって?」
「うん……大体の状況はね」
「で、どうなったの?アルタスやファーゴは……」
  心配そうにアデニーが聞く。シュナイザーが機転を利かせて持ち出してくれてい
た、通信資料があったので、大体は解読できている。
「デニー湾攻撃は、イルペジュ連邦空軍のしわざだったよ。ペニー中佐、いや、ペニ
ーの奴は、モラビアを基地にして周囲の不穏分子の弾圧と鎮静に乗り出してるみ
たいだ」
「そう……」
「それと。デニー湾で、ファーゴ中佐が……戦死したよ」
「え!」
「……………」
「アルタスは?……アルタスも?」
「いや、行方はわからないが、少なくともデニーからは、脱出したみたいだ」
「そう……。みんな私のために生命を……こんな私のために……」
「止めろよ、そんな言い方……」
「だって……」
  泣き出しそうな顔で、アデニーが僕の胸に飛び込んでくる。僕はやさしく彼女を
抱いた。こんな時、言葉は無力だ。強く抱きしめてあげる事しか、寂しさを紛らわ
せてあげることが出来ない。ただ、気がかりなことが一つだけ。意味のわからない
短い内容の無線があったことだ。
“ジュリエットからロミオへ。待て”
  定時に必ずやってくるこの文は、イルペジュ連邦からだった。だが、これだけは
全く意味不明だった。それだけが、心の片隅で、何かくすぶっていた。何か重大
な意味を含んでるような気がしたんだけど……。周波数が軍用無線とは違ってい
たから。

  朝がやってきた。窓越しに、正面のライネル山が見える。目の前に見える峡谷
は、雄大な景色だった。でも、どこかで見たことがあるような気がするのはなぜだ
ろう?まァ、峡谷と言っても、どこか皆似ている、と言ってしまえばそれまでだけど。
自然の偉大さは、こんな時ではなく、のんびりと旅をしながら見るもんだな、と思う。
  解読は、全て順調だった。イルペジュ連邦の暗号無線も、解読データがあった
ので、おおよその両国間の進行状況はわかる。そして、30日の午後、二つ目の
意味不明の暗号無線を傍受した。そしてこれは、使用コードから、イルペジュ連邦
軍からペニー宛に送られたものだ、という事もわかった。
  ちょうどこの時、表の方が急に騒がしくなった。みんな、ついに敵が襲ってきた
のかと色めきたって、手に手に銃を持って飛び出して行った。でもそれは、僕達に
とっては、一番心強い味方の来訪だった。アルタス大佐が生きていたのだ!
アルタス大佐というのは、不思議な人だ。それまで気持ちが沈んでいた皆だった
のに、彼一人来ただけで、こうもパアッと明るくなってしまう。彼が来ただけで、希
望が持てそうな、そんな気にさせてくれる。とにかく、今は、これ以上一人も死んで
ほしくない。

  その夜、これまでの解読データを総合して、今後の検討をしていた時、僕は意味
不明の暗号文のことを皆に言った。
「どんな文なの?」
  と、皆が聞く。アルタス大佐も好奇心いっぱいの目で、僕を見ている。
「うん……。最初のやつが、『ジュリエットからロミオへ。待て』……これだけなんだ
よ。まァ、軍用無線じゃないから、直接関係ないのかもしれないんだけど、こんな時
だからイタズラだったらたちが悪いけどね。もう一つの方は、ペニー宛の暗号文でね、
イルペジュ連邦軍から発信されてるんだけど、『サリナの亡霊。応援乞う』っていうや
つなんだ。サリナって、どこかで聞いたような気がするんだけど、なんか思い出せな
くって……」
  不意にアデニーが、コーヒーカップを床に落とした。蒼白な顔をしている。放心状
態に近かったかもしれない。
「ジュリエットから……ロミオへ……待て……。そう言ったの?……まさか……そん
なことが……サリナの……亡霊……」
「どうしたんだ、アデニー!」
「……そう……生きてたの?!」
 次に、アデニーの顔が、パアッと明るくなった。瞳が輝いている。
「姫。何か、この電文について御存知なのですか?」
 アルタス大佐がアデニーに聞く。
「ええ……わかるわ。ジュリエットからロミオへ……これは私宛の電文よ」
「発信者はわかるのですか?」
「わかります!彼よ!」
「彼?」
「そう……ジュリア王子……」
「ジュリア?!まさか……」
 絶句するアルタス大佐。ショックを受ける僕。
「間違いなくてよ。昔、私が彼に連絡する時は、ジュリアと似てるから、ジュリ
エットって彼のこと、呼んでたし……彼は私を、ロミオとジュリエットのお話から、
ロミオって呼んでたの。サリナの亡霊でしょう……サリナとは、彼のお父様、サ
リーナ王の事ではないのかしら?」
「ということは……」
  皆、色めき立った。現在のイルペジュ・アマオ将軍は、革命という力を借りて、
サリーナ王一族を皆殺しにしたと聞く。もちろん、アデニーがそう言ったんだけど。
ということは、イルペジュ連邦でこれまで死んだとされ、皆からの信望の高かっ
たジュリア王子が、今回のアデニーの危機を救うため、立ち上がった事になるの
ではないだろうか。
  僕らに彼を応援するような力はないけれど、今は彼が戦いに勝ち、現政府を打
ち倒してくれるのを祈るしかない。そして、では、僕らはどうすべきなのか?
 このライネル山とベニン山との間の峡谷を目の前に見てると、先に進むべきか
どうか迷ってしまう。昔からここは、イーグル峡谷という名でもわかる通り鷲の巣で、
とても軍隊が進めるような舗装された道路など、あるはずもない。今も昔も、人々が
この峡谷を越えて行くのが大変であることに変わりはないのだ。
 そして、それに加えて、前方と後方には、おそらく敵が進行してきている。僕らに
退路はないのだ。そして、進むべき道も……。しかし、じっとしているだけでは、むざ
むざやられるのを待つだけだ。
  その日は夜遅くまで、今後のことも含め、検討が重ねられた。幸い、こちらからの
発信はしていないので、居場所はまだ敵にはわかっていないはずだ。でも、同時に
それは、ジュリア王子に、アデニー姫が無事に生き延びているかどうかを知らせるこ
とが出来ない、って事を意味する。彼はひたすら信じているのだ、かつての恋人が無
事であることを。それはもはや、僕も含めた他の人間が、とやかく言う筋合いではない。
今だに定期的に、メッセージは送られてきているのだ。
“ジュリエットからロミオへ。待て”
  この短い電文に、彼の全ての気持ちがこめられている。僕は言った。
「打とうよ!アデニー姫が無事で、今ここにいることを、ジュリア王子に知らせようよ!」
「しかし……」
  アルタス大佐以下、皆、そうすることは同時に、この場所が敵に知られてしまうのだ、
ということを知っている。
「打たなければ、連絡しなければ、二人に明日は来ないんだよ!」
  僕は涙ながらに、皆に訴えた。アデニーが側で涙ぐんでいる。たしかに大きな賭には
違いなかった。彼の救いの手が早いか、敵の侵略の手が早いか……。そしてこれは、
彼が戦いに勝つという前提の話なのだ。でも、彼に勇気を与えるのは、アデニーが生き
ていること、それなのではないかと思う。
「よし!連絡しろ!」
  アルタス大佐が叫ぶ。僕が無線機にかじりつく。周波数はメモってある。
 同調がとれた。
「ロミオからジュリエットへ!……ロミオからジュリエットへ!」
  雑音がひどい。たしかに電波の状態はあまり良くない。やがて、雑音に混じって、返
事が来た。
“ジュリエットからロミオへ!”
「やった!!」
  皆、小躍りした。僕がマイクをアデニー姫に渡す。
「ロミオから……ジュリエットへ……ジュリア!」
“アデニー!無事か!”
「ええ、あなたも……」
“今、どこにいる?!”
「イーグル峡谷の近くの陸軍宿泊所です」
“わかった、心配しないでいい。イルペジュ連邦のアマオ将軍は倒した!”
「本当なの?」
“ああ、今や反乱軍はむこうの方だよ。僕らの軍は、これから、モラビアに進行し
て、君のお父さんの生命を奪った奴らをやっつけに行くよ。反乱軍は今や劣勢だ”
「ワオー!」
  皆、喜びまわっている。僕もアルタス大佐と抱き合いながら、飛びはね回って
いた。
“アデニー!イーグル峡谷を越えて、スードリまで行けるか?”
「スードリへ?」
“そうだ。明日の午後には、スードリを僕らが制圧できるはずだ。そこで落ち合お
う、いいね!”
アデニー姫が唇を噛みしめて、涙が今にも溢れ出しそうな瞳で、大きく頷いた。

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2007年9月 9日 (日)

イーグルからの帰還 8

  幸いなことに、出発した時、アメリカフリーウェイバスの6人のうち、デニー
に今ファーゴ海軍中佐と一緒にいるトム以外の5人は、全員そろっていた。
陸路を行くのだが、少しでも早くデニーに到着しないと、イルペジュ連邦やペ
ニー中佐の反乱軍の侵略の手が伸びてくる可能性が大きい。何しろ、空軍
だから…と、僕らは覚悟していた。戦争が始まったのと同じことだもの。
でも、アデニー姫が死んでしまったもの、と彼らは思っているらしく、予想し
ていたほどの戦闘は全くなかった。多分、パル王とアデニー姫が死んでしま
っている以上、イルペジュ連邦共和国が陥落するのは時間の問題だ、と考
えているのだろう。そのおかげもあったんだろうけど、何事もなく無事に、全
員デニーに到着することが出来た。それは出発から丸二日後の、8月26日
の夜だった。
 簡単な遅くなった夕食をとりながら、疲れ切っていた僕らの前に、
「やあ……」
 と、笑顔で出迎えてくれた、ファーゴ中佐とトムの顔を、ライトの光で見た
時には、正直ホッとした。とるものもとりあえず、僕らは今後の事を検討した。
アデニーも心なしか、顔色が悪い。
「我がモラビア連邦海軍の、最大の軍艦とも言うべき、モース号が、幸い沖
合い1Kmの所に演習のため停泊しているところです。明朝、さっそくにでも
アデニー姫には、モース号に乗り込んでもらい、いったん国外に脱出してい
ただきたい」
  ファーゴ中佐が、メガネの奥から、ややけわしい目つきで言った。
「イルペジュ連邦の奴らとペニー達には、どう対処するつもりだ?」
 アルタス大佐が不安そうに聞く。
「心配いらん。モース号は、不沈空母の異名をとる、おそらく世界最大級の
軍艦だ。奴らがやって来たところで、ハエみたいなものさ。とるに足らん」
 ファーゴ中佐は自信たっぷりだった。その会議、と言えるのかどうかは知
らないが、が終わったのは、夜の11時を少しまわった頃だった。
  各自に小さな部屋が与えられたが、僕はなかなか寝付けなかった。明日
限りで、アデニーとはもう会えないかも……という気持ちがある。所詮は、お
姫様とどこからか紛れ込んできたこの僕とでは、つり合うはずもないのは、
百も承知してるけど。僕らをどうするか、についてはかなりモメたが、結局残
ることになってしまったのだから。
  気持ちが高ぶってるせいか、目が冴えてしまって、寝付けない。少し蒸し
暑いこともあったけど……。みんな多分、もう眠ってしまっているんだろう。
たしかに身体が疲れているのは、僕も同じなんだけど……。
  ベッドの中で、そうこうして寝返りを打っているうち、僕はフッと外に出て見
たい気になった。僕らのいるここは、海軍の宿泊所の中だけど、王宮並みの
設備だ。庭では、虫の小さな声がする。外の方が涼しそうだと思って、そっと
僕は外に出て、しばらく中庭を散歩していた。
  ひんやり冷たくって、いい気持ちだった。座りごこちの良さそうな芝生の上
に腰を下ろし、そこにある大きな木に寄りかかるように座り込む。静けさで、
逆に、今の僕らの置かれている状況が、まるで夢であるかのように思えた。
  この世界に紛れ込んで、丸25日が過ぎた。明けて、今日は8月27日だ。
これまでの、信じられないような出来事の、一つ一つをぼんやり思い返してい
ると、後ろに誰かの気配を感じたような気がした。振り返ると、そこにはアデニ
ー姫が立っていた。
「眠れなくって………」
  そう笑顔で僕を見るアデニー姫の姿は、月の薄青い光の中で、まるで妖精
みたいに見えた。彼女は僕の横に腰を下ろした。
「何を考えていたの?」
「……うん。これまでの事……そして、これからのこと」
「そう………」
  しばらく、二人の間に沈黙があった。
「貴方は……残るのね。貴方のお友達も、みんな……」
「…………」
「私だけが、逃げるわけね……」
「…………」
「何で、こんな事に……」
 彼女はうつ向いて、黙ってしまった。彼女にとっては、余りにも不幸な事が
重なりすぎた。僕は、どう言ってなぐさめていいのかわからず、ただじっとアデ
ニーの、そんな横顔を見つめるだけだった。
「私ね……」
  ややあって、アデニー姫が、つぶやくように言った。
「好きだった人が、いたの」
「え?………」
 これは、正直ショックだった。
「でも、今は、わからない……死んでしまったのかも……」
「……………」
「私が15の時だったわ。イルペジュ連邦の第一王子に、ジュリア王子ってい
う人がいたの」
「イルペジュ連邦の……?」
  僕が怪訝そうな顔をすると、アデニーは、ちょっと笑いながら言った。
「そうね……。貴方は、今のイルペジュ連邦共和国しか知らないものね」
「どういうこと?」
「イルペジュ連邦共和国は、今から7年前までは、とっても素晴らしい国だっ
たの。今のイルペジュ・アマオ将軍の前は、民主制の国だったの。サリーナ
王っていう人がいてね、その人の第一王子が、ジュリア王子って言う人だっ
たわ。私より二つ年上でね……」
『二つ年上、か。僕と同じ年齢なんだな……アデニーは22だし、僕は24だ
ものな』
「その人は、とっても素敵な人だったわ……。その頃は、モラビア連邦とイル
ペジュ連邦は、とっても仲が良かったし、私達もよく会っていたっけ……。お
互いに結婚したかったし、私の父も、サリーナ王も、それは許してくれていた
わ。でも………」
「……でも?」
「そんな時……ちょうど、私達がシュー湖で、いつものようにデートしてたら、
イルペジュ連邦の方で、大変な事が起こって、ジュリアは、取るものも取り敢
えず、急いで引き返していった。それが、私が彼を見た最後になったの……」
「大変な事って……?」
「クーデターよ」
「クーデター!」
「そう……。今のイルペジュ・アマオ将軍が引き起こした、ね。彼はとっても残
忍な人だと言うわ。サリーナ王を殺害して、王族を皆殺しにしたらしいの。ジュ
リアも、きっと……」
「そのジュリア王子が……」
  ちょっと可愛そうかな、とは思ったけど、あえて僕は彼女に尋ねてみた。
「殺されたのは、確かなの?」
「……………」
  と、無言で、アデニーは首を横に振った。
「それが……わからないの。イルペジュ連邦の人達もはっきり知らないらしい
わ。彼らも、ジュリアは尊敬していたし、次の王となるべき人だと、皆思ってた
はずだし。だから、国外に秘かに脱出したんだ、って言う人もいれば、イルペ
ジュ連邦のどこかに潜んで機を伺っているんだ、って言う人もいるし……」
「じゃあ、生きてるかもしれないんだね……」
「ええ……でも……その可能性はうすいわ。正義感の強い人だったから、私の
父がこんな形で死んでしまった事を聞いていれば、今頃はきっと、私の前に姿
を現わしているはずだし……」
「……………」
「私、もう……どうしていいか。頼るべき人は、誰もいなくなってしまって……。
これから先、一体どうやって生きていけば………」
  涙まじりに、アデニー姫は言った。僕には、何て言って彼女をなぐさめていい
かわからなかった。
「大丈夫だよ……。生きてさえいれば、これから先、君の人生は長いんだ。いつ
かきっと、いい事もあるよ」
「……そうかしら?」
  アデニー姫が、涙で光るつぶらな瞳を、僕に向けて言った。
「そうさ……」
 僕は、アデニー姫の頬をつたう涙を、そっと指でふきながら、彼女の瞳を見て、
言った。
「こんな僕で良かったら、力になるよ……アデニー」
「ありがとう……」
  つい、思わず、僕はアデニーを抱き寄せた。てっきり、拒否されると思ってたけ
ど、何の抵抗もなく、彼女は僕の胸の中にあった。いつか、シュー湖からの帰り
の車の中でかいだのと同じアデニーの香りが、僕にはとっても愛しいもののように
思えてならなかった。
  不意にアデニーが、真近で、僕の顔を見た。つぶらな瞳は、悲しそうにでもキラ
キラと輝いていた。僕達はこれからどんな人生をたどっていくんだろう……と、その
時フッと思った。彼女の柔らかな胸のふくらみは、その時の僕にとってはあまりに
刺激的すぎた。不意に虫の声がやんだ。僕がアデニーを草の上に寝かせたから
だ。僕達は無言のまま見つめあっていた。

  翌朝、さすがに寝不足で眠かったけど、とにかく朝食をすませて、一行はデニー
湾に向かった。もちろん、僕達も……。
  かなり沖合いの方に、軍艦が見える。僕とアデニーを引き裂く鉄の塊が、そこに
は浮いていた。
「では、姫。そろそろ……」
「……ええ」
  ファーゴ中佐がアデニー姫をうながして、連絡艇に向かおうとした時、僕はかす
かな飛行機の音を聞いた気がした。何気なく、その方向を見た時、それは決して
空耳ではなかった事がわかった。編隊だ。
「あれは!」
  と、僕はその方向を指差しながら、叫んでいた。一瞬、皆の顔がこわばる。
  その編隊は、水面すれすれに飛行して、こちらに向かってくる。それもすごい数
だ。肉眼でもはっきりわかる。
「奴ら、超低空飛行で来たんだ!迂闊だった、レーダーでも発見できなかったはず
だ!」
 すぐさま、とってかえして、モース号と連絡をとるファーゴ中佐。だが、遅かった。
モース号の艦上の戦闘機は、飛び立つ前に全滅。対空高射砲で対抗するモース
号は、余りに分が悪い。
「くそっ!どうすれば……」
  歯ぎしりして悔しがる、アルタス大佐。事態は一変した。あっという間の悪夢とし
か思えない。不沈空母とまで言われたモース号が、その姿を海面から消すまで、
30分もかかっただろうか……。僕らはただ、岸壁でそれを呆然と見ているしかなか
った。助けようがないのだ。
「来るぞ!姫は、君ら、頼む!」
  我に返ったアルタス大佐が、僕らに言った。
「アルタス大佐は?」
「決まっとるだろうが!応戦する!その間に、姫を安全な所へ!」
  ほとんど、絶叫に近かった。
「落ち合う場所は?」
「……ベニン山の麓に、陸軍宿泊所がある。そこだ!」
「わかりました!」
 来る、戦闘機の群れが……。
 僕らはアルタス大佐に頼んで、無線機を一台、僕らのミニバスに積み込んだ。
僕らとアデニー姫が乗り込む。護衛として、数十人の兵士を付けてくれた。モラビ
ア連邦空軍だけのクーデターであるわけがない。同時にイルペジュ連邦からも、
陸海空軍が向かって来ているんだろう。一刻もぐずぐずしてはいられない。走り
だしたバスの中から、僕はアルタス大佐に叫んだ。
「大佐!必ず!!」
「おう……お前らもな!」
  まさしく、絨毯爆撃だった。今や、デニーの町は混乱し、パニック状態だった。
縦横に逃げまどう人達……。でも、僕達にはどうする事も出来ない。
『見てろ!絶対に生きのびてやる!このことは絶対に忘れないぞ!』
 歯ぎしりしながら、僕は思った。この時、まだ見ぬイルペジュ将軍への怒りと、
いつか見たセカム王子の顔が浮かんだ。口惜しかった。
  弱い者はいつも、強い者の欲望の犠牲になっていく。いつでもそうだ。対等に
なんか見ていない。まるで僕達を一個の物体としてしか見ない、イルペジュ連邦
軍の攻撃。でも、現実の戦争とはそういう物なのだと痛感せざるをえなかった。

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2007年9月 7日 (金)

イーグルからの帰還 7

 僕が意識を取り戻したのは、それから3時間余りたってからだった。目を覚ま
すと、傍らにアデニー姫の姿が見えた。彼女はもう、元気になっているようだっ
た。心配そうな表情で、横になっている僕をじっと見つめていた。
「ありがとう……」
 泣きそうな顔で、アデニー姫がそう小声でつぶやいた。時々、振動が感じら
れる。車の中のベッドに、僕は寝かされているのだった。僕は、あらためてその
車の中を見回した。僕らのミニバスとは比較にならないくらい格段に設備の整っ
た、一種のリクライニング・カーだった。
 これは、たしか、彼女専用だったはずだ。この車の中の唯一のベッドに僕が
横になっている、と言うことは、これはアデニー姫の専用ベッドなのだ。思わず
それに気付いて、起きようとした時、僕は衣服が脱がされていることに気付い
た。アデニー姫は、ソファーで横になっている。立場が逆なのだ。
「ごめん……アデニー姫のベッドを勝手に」
「いいの。私の生命の恩人ですもの……そのまま横になって、楽にしてて」
 アデニー姫がやさしく僕に言ってくれた。僕は何気なく、彼女の顔を見つめた。
「………」
 アデニーが真っ赤になって、視線をそらせる。彼女も、僕達二人の間で起こっ
た事に気付いている。でも、今ではまた、姫と付き人の一人の関係に戻ったの
だ、と僕は思った。幸いなことに衣服を乾かしてくれていたので、すぐに着られた。
「実はね、お父様が気がかりなの……」
「え?」
 言ってることの意味が、よくわからない。
「セカム王子が、湖のボートの上で私に言ったの。モラビア連邦は、今日までの
生命だと……」
『どういう意味だろう?』
 僕には理解できない。そのまま黙っていると、アデニーは続けて言った。
「こうも言ったの。モラビアに今日帰ったら、きっとびっくりするだろうから、今日は
帰るのをやめて、自分と一緒にイルペジュ連邦まで来い、って……」
「モラビアに帰ったら、びっくりする?」
「ええ……」
「どういうことなんだろう」
「わからない……でも、胸騒ぎがするの」
 僕達は、窓の近くで喋っていた。不意に車が急ブレーキをかけて止まった。
「あっ!」
 彼女の身体が支えを失って、僕の方に向かって倒れこんできた。彼女と僕は、
その瞬間、無意識的に抱き合っていた。一瞬、アデニーの香りをかいだ気がした。
すぐに、二人は離れたけど、お互いに真っ赤になっていた。
『どうしたんだろう?』
 急ブレーキのことが気にかかる。車の外が騒がしい。それに一向に動き出す気
配がない。
「何かしら?」
 平静を保とうとするアデニーが、ほおを少しピンクに染めながら、僕には視線を合
わさずに聞く。僕達はそろって車から降りた。そして、その時、僕らは見たのだ。
「モラビアが……燃えている!」
 もう夕方で、陽も沈みかけている。その夕日と同じくらい紅く、モラビアの空が色
付いていた。黒煙がものすごい勢いで昇っていく。街が燃えているのだということは、
一目見れば誰でもわかった。
 みんな、わが目を疑った。しかし、まぎれもない事実だった。
『誰がこんなことを……』
 とにかく急いで、モラビアの市内に入った。あちこちで、人が崩れた建物の下敷き
になっていて、それを何人かの人達が助け出そうとしている。また一方では、火事
を消そうと必死になっている人達……
『爆撃を受けたんだ……』
 イルペジュ連邦の奴らのしわざに違いない。そして、アデニー姫にとって、この日
から天涯孤独の人生が始まってしまった。
“パル王、焼死体で発見”の報告に、思わずアデニー姫は気を失いそうになった。
無理もない。朝、出掛けに、アデニー姫に向かって、
「お前自身のことなのだから、モラビア連邦云々のことは考えなくてよい。自分が気
にいる人かどうか、自分の人生を賭けるに値する信頼出来る人なのかどうか、それ
だけをを見てきなさい」
 と、優しく言っていたパル王の顔が、フッと浮かんだ。
『いい人だったのに……』
 アルタス大佐が怒り狂って、あたりの兵士に怒鳴り散らしている。ひょっとしたら、
アデニー姫の次に国王を心配していたのは、アルタス大佐だったのかもしれないな、
と僕は感じた。彼の目に大粒の涙が光っていたからだ。
 しかし、これから、一体この国はどうなるのだろう?そして、この日の夜、とんでも
ない事が起こった。それは……空軍の隊長、ペニー中佐によってもたらされた。それ
も、テレビ放送を通じて、だ。

 僕達は唖然としながら、画面を見つめて立ち尽くしたままだった。
「本日、午後2時05分。我がモラビア連邦共和国の首都モラビアは、空襲を受け、
パル・ファボルト王は死亡した。アデニー姫はシュー湖で、イルペジュ連邦共和国の
セカム王子とお見合いの最中に、誤って湖に転落した。まだ我々は、アデニー姫の
死体発見の確認は出来ていない。だが、あのシュー湖の水の冷たさでは、普通の
人間なら十分もいないうちに心臓麻痺で死亡してもおかしくない。つまり、モラビア
連邦共和国は、その最高責任者であるパル王とアデニー姫を、一度に今日失った
ことになるのだ。
 賢明なるモラビア連邦国民の諸君!今や、臨国イルペジュ連邦の侵略は火を見
るより明らかだ、と思われるかも知れない。しかし……だ。ここで抗争することは、
果たして賢明なことと言えるのだろうか。よしんば勝利を得たとして、我が国は一体
どうなるのか?パル王と、そしてこの国の未来であったアデニー姫を失った現在、
それは空しい勝利ではないのだろうか。その辺を、賢明な国民の諸君には、考えて
欲しい。
 モラビアを爆撃した飛行機の国籍や正体は、一切不明である。しかし、これは、イ
ルペジュ連邦と我がモラビア連邦を争わせるためであった、と私達は考えている。
このような手に乗ってはいけない。早速にも、イルペジュ連邦とモラビア連邦は同盟
を結び、互いに協力して、この第三者からの侵略を防がねばならない!」
 僕らの耳を、延々とペニー中佐の言葉が通り過ぎていく。
「ペニーの奴、気でも狂ったのか!」
 吐き捨てるように、アルタス大佐が叫んでいる。どうやら、色々な情報を総合すると、
ペニー中佐の一団、つまりはモラビア連邦空軍の起こした革命のようだった。そして、
今の僕らには、アデニー姫が生きていることを、国民の皆に知らせる手段がない。テ
レビ局はペニー中佐の部下達によって取り押さえられているはずだから、うかつには
近付けない。
 ペニー中佐がなぜ革命を起こしたのか、は誰にもわからない。それに、モラビアを
爆撃したのは、一体誰だったんだろう。この答えをもたらしたのは、ベティだった。爆
撃があった時、彼女は王宮の中にいたのだった。
「おかしな事があるの。私の思い違いかもしれないけど……」
 幸いにも彼女の怪我は、そんなに大した事はなかったようだ。
「一人、あの爆撃の前に行方不明になってた人がいたの。でも、私が勝手にそう思
い込んでるだけかもしれないし、確証は全然ないんだけど……」
「え……誰?」
「それが……ベンガ少佐なの」
「ベンガ少佐?!」
 彼は、そう言えば、ペニー少佐の下で、シュナイザーの以前に、空軍の全てを取り
仕切ってた人物だ。
「ベンガが?……あいつ、何で今日、王宮なんかにいたんだ?」
 アルタス大佐が、不思議そうに、ベティに尋ねた。
「昨日、メルボの北で空軍演習があって、その帰りとか言ってたわ。妹さんの所に泊
まるのだと……」
「それは、ベティさん、あんたが聞いたのかね?」
 アルタス大佐が、えらく丁寧な口調で尋ねる。
「ええ、私も彼の顔ぐらいは知ってたから、あれっ、と思ったの……」
「それで?」
「ええ、そしたら、ついでと言っては何だけど、王宮の空軍司令室に用事もあったから
と、言ってたわ。でも、他人には絶対に言わないでくれ、何しろ妹の所に泊まりに行っ
たなんて事がわかったら、他の連中に、仕事をサボったと思われかねないから、頼む
ヨ……と」
「それは、ベンガ自身が言ったんだな?」
「そうです」
「王は元気でいらっしゃるか、って聞かれたから、ええ、いつものように書斎で何か調
べものをなさってるようです、と答えたの。そうかそうか、と言ってたわ」
「でも、行方不明ってどういうこと?」
「ええ、空軍司令室にお茶を持って行ったら、衛兵の人が、今日はどうしたの、って」
「それで?」
「それでね、ベンガ少佐が来られませんでしたか、私、ベンガ少佐にお茶をお持ちした
んですが、……って言ったら、今日はベンガ少佐は来られる予定もありませんし、来ら
れたら必ず私達の所を通りますよ、何かの間違いでしょう、って言われたの」
「でも、ベティ。君はベンガ少佐自身に会ったわけだろう?」
「ええ、偶然だったけど。会った場所が場所だったから、ちょっと気になったの……」
「ど、どこで会ったんだ!」
 アルタス大佐が、息せき切って尋ねた。
「無線室の裏側の路地なの……。彼、最初びっくりしてたみたい。その道は、自分の
部屋に帰る最短距離だから、私はいつもそこを通るんだけど」
「…………」
「あの人、無線室なんかに、何か用事でもあったのかしら……?」
「ところで、ベティさん。爆撃した飛行機なんだが……」
「ええ、それなんです。実は、私、見たんです」
「何を?」
「私の部屋からは、外の景色が見えるんですが、ちょうど、飛行機が王宮に向かって、
ものすごいスピードで接近して来るのが見えたんです」
「それで、その飛行機は、一体どこの国のだ!」
 アルタス大佐が、今にもつかみかからんばかりに、ベティに詰め寄った。
「あの、それが……ボディのマークが2種類あって……」
「それで……」
「ひとつは」
 と、ベティは、アルタス大佐を指差した。いや、正確に言うと、彼を指差したのでは
なく、彼の胸の紋章を指差したのだ。一瞬、僕達は言葉を失った。アデニー姫が青ざ
めている。
「それに、もしベンガ少佐が本当に、空軍司令室に用事があったのであれば、実際
に行っているはずでしょう?私になぜ、嘘をつく必要があったのか……」
  彼女の言葉を総合すると、ベンガ少佐は、偶然ベティに見つけられてしまったが、
その後王宮にはいなかったらしい。そして、彼女がベンガ少佐に会って3時間後に
爆撃が始まったらしいのだ。
「飛行機は全部で何機ぐらい、いた?」
「そう……10機ぐらいはいたと思うわ。何かしら、と思ったもの」
「ついでに言うとな……」
 アルタス大佐が、難しい顔をしながら発言した。
「ベンガには、妹はいないよ」
「ど、どういうことですか?」
「彼には今、モラビアには身寄りの者はいないよ。誰一人、な……」
「じゃ、ベンガ少佐は、なぜ……?」
「ベティさん。先程、王宮を襲った飛行機のマークは2種類、とおっしゃったわね」
 アデニー姫が尋ねた。
「ええ……」
「もう一つの方、覚えてて?」
「ええっと……。ちょっと、込み入ってて……両側から馬みたいなのが二頭、何か
をはさんで立ってる感じの……。すみません、うまく説明できなくて」
「これじゃなくて?」
「ええ、それです!」
 アデニー姫がベティに見せたもの…それは、イルペジュ連邦共和国のマークだ
った。
「……と、言うことは……」
 僕は言った。
「ひょっとして、ベンガ少佐が用があったのは、無線室の方じゃ……」
「何だと!」
「無線室の裏なんて、ほとんど人気のない所でしょう?なぜベンガ少佐が、人目を
避けるように、そんな所にいたのか。何かおかしいとは思いませんか?」
 その時、僕らの所に、意外な人物がたずねて来た。シュナイザーだった。彼の
口から、今回の王宮襲撃の真相が知らされた時は、皆唖然としてしまった。

「僕は知ってのように、ペニー中佐のお供で、イコロード空軍基地にいたんだ。空軍
演習は、昨日メルボの北で行なうことになってたけど、実際は何もしてないんだ。
ペニー中佐が最近ひんぱんに、一人で誰かに連絡したり、密談したりしてたんで、
おかしいなとは思ってたんだ。そして、昨日の夜、僕はとんでもない事を立ち聞きし
たんだ。ペニー中佐は、イルペジュ連邦と通じてたんだよ。アデニー姫は……」
 と、シュナイザーは、ちらっとアデニー姫を見た。
「アデニー姫は、セカム王子がうまくやる。同時に、イルペジュ連邦空軍からの応援
部隊と我が軍とで、王宮を破壊し、パル王を爆殺するんだ、と。でもパル王が王宮
にいないと、このクーデターは失敗するから、王宮にいるかどうかを無線連絡しろ、
と誰かに指示してた。その連絡が入り次第、予定通り、我々は王宮に攻撃に向か
い、同時にテレビ局を占拠して、国民に放送する……と」
 その時、ある兵士がアルタス大佐に近付き、何事かを耳打ちした。アルタス大佐
の顔が、パッと輝いた。
「そうか、よし。よくやった!」
 みんなの方を向き直って、彼は言った。
「今、南のデニーにいるファーゴ中佐と、連絡が取れた」
「それで……」
 と、皆一様に、アルタス大佐を見つめている。
「これから我々は、アデニー姫を守りながら、南のデニーまで強行突破する。この周
辺も、やがてペニー達の占領下となるだろう。事態は一刻を争う。そして、デニー到
着後、アデニー姫には、海軍が協力して、国外にいったん脱出していただきます」
 ただちに皆、準備にかかった。僕達がこの世界に入り込んで、23日目に入ってい
る。そして、その夜僕らは秘かに、アルタス大佐の一団に守られながら、モラビアを
脱出した。

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2007年9月 6日 (木)

イーグルからの帰還 6

 セカム王子とアデニー姫のお見合いの日は、三日間の議会の終了日から数
えて三日後の8月24日に決まった。場所は偶然にも、僕達が最初にこの世界
に迷い込んだシュー湖の湖畔だった。
 その準備と下調べも兼ねて、僕を含めたアデニーのお付きの人達の約半数
が、二日前の22日からシュー湖の方に行っている。なにぶんにも、モラビア連
邦共和国の将来が、このお見合いで決まってしまうだけに、みんなピリピリして
いるのがわかった。
 前日の23日の夕方、やっと全ての準備が終わった。僕はもうクタクタだった。
テントみたいなのを張るのにも骨が折れる。なにぶん、男はと言うと、お付きの
人間の中では何故か僕一人で、あとは一緒に来ていた宮廷の兵士が七、八人
いるくらいだ。彼らが手伝ってくれなければ、どうなっていたことか。
 少し離れた所に民家があって、そこに僕だけ泊めてもらった。女性の中に混じ
って一人だけ、っていうのも嫌だったけど、みんな、僕がアデニー姫のお気に入
りだから、気を使ったみたいだった。ちょっと気が引けたんだけど……。
 その家のご主人も奥さんも、とってもいい人で、良くしてもらった。やっぱり、
パル王って言う人は、国民皆から支持されているようだ。アデニー姫も、別に身
分の高い事を鼻にかけるような女性ではなく気さくに皆に声をかけてくれるので、
本当に皆に心から愛されているようだ。
 今日、23日中にはセカム王子は、自家用機でこのシュー湖より南のイコロード
に着いているはずだ。イコロードには、空軍の基地と国際線の空港が隣り合わせ
にある。彼は今日は、空軍を見学しているはずだった。そのために、ペニー中佐と
シュナイザーが出迎えに行っている。
 このところ、シュナイザーは、もっぱら空軍の仕事が中心となっている。かなり
頭がきれるから、ペニー中佐のお気に入りになっているらしい。もう一人、中佐の
参謀として、以前からベンガ少佐という人がいる。ニ、三度会ったことがあるけど、
正直言って、シュナイザーの事をあまり良く思っていないようだ。ま、無理はない
けど……。

 運命の8月24日は、遂にやって来た。イコロードとモラビア間には、よく整備さ
れた高速道路が走っていて、ちょうどその中間より少しモラビア寄りがこの辺だ
った。
 アデニー姫が到着したのは午前11時過ぎだった。万が一ということもあるので、
アルタス大佐率いる陸軍部隊を先頭に、こちらにやって来る。こうしてアデニー姫
を見てると、やっぱり、身分の違いっていうのを痛感する。
 僕は正直言ってアデニー姫が好きだけど、間違ってもそんなこと、口に出して言
うわけにはいかない。所詮は、たくさんいるお付きの人間のうちの一人、にしかす
ぎないんだ。アデニー姫が助けてくれた事でいい気になりそうな、そんな自分の
気持ちを自制しなくてはいけない。
 アデニー姫は、単にかわいそうだと思ってしてくれた事だろうけど、僕の心の中
にはいつの間にか、彼女に対して本来持ってはいけないはずの恋心が、芽生え
てしまっているみたいなんだ。ただ、これだけは、たとえアメリカフリーウェイバス
の他の皆にも、決して言わないつもりでいる。僕だけの胸の中にしまっておくんだ。
所詮は、かなわぬ恋だもの……。
 しかし、それにしても、今日はいい天気だ。どこの飛行機かは知らないけど、か
なた西の青空に、真っ白な飛行機雲を空の青いキャンパスに真一文字に描きな