山の中を、僕らを乗せたミニバスは、前後を守られながら、目的地のベニン
山の麓に向かっていた。たとえ、アデニー姫が生きのびていたところで、海か
らの脱出口がふさがれてしまえば、もう僕らは袋のネズミ同然なのかもしれ
ない。
バスの中での分担は、自然と決まっていた。トムとファラデーは交互に運転
し、助手席の方がナビゲーターとして、地図と道を確認する。シュナイザーは、
時々サンルーフの窓を開け、双眼鏡で安全を確認する。僕は無線機の係だ。
ベティとシャーリーは炊事。アデニー姫は、どうしても協力したいと主張したの
で、彼女らの手伝いをすることになった。
こういう非常事態では、人間っていうのは変わるもんだ。僕達の行く先々で、
強盗団まがいの人間がいる。仕方のないことだろうな、と思う……でも、やっぱ
り、そうあってほしくない。
アルタス大佐の付けてくれた近衛兵団に守られてるおかげで、幸い、そんな
危ない目にも会わずにすんだ。そして僕達は、2日の行程の後、無事に目的地
の宿泊所にたどり着けた。アルタス大佐やファーゴ中佐がどうなったのか、を無
性に知りたかった。でも、こちらから発信することは危険だったので、あえて止め、
無線の傍受にとどめることにした。
やがて、敵は、この地へもやって来るんだろうか……。そんな思いが僕達の
中にあった。これまでの行程の中でも、上空に飛行機が来れば森の中に逃げ
込んで、敵が行き過ぎるのをじっと待った事も何度かあったのだから……。危機
が迫っている事だけは確かだ。もう、僕らに残された脱出の方法はないんだろう
か。皆、疲れ切っている。冗談の叩けるほどの元気もない。いつもはひょうきんな
シュナイザーも、この時ばかりは黙っていた。
幸いにして、宿泊所は賊に荒らされておらず、食料は豊富にあった。でも、夜は
絶対に明かりが外に漏れないよう、最大限の注意を払っていた。時々、戦闘機が
相変わらず飛び回っているんだもの……。もっとも、電気はすでにペニー中佐達の
手によって止められているから、自家発電だったけど……。
到着したのは、8月29日の夕方だったけど、その夜は皆、まんじりともせず過ご
した、と言っていいだろう。
部屋の中で僕はその時、これまで傍受できた無線の内容をまとめている最中
だった。アデニーが部屋に入ってきたのさえ気付かないくらいに熱中していた。だ
から、彼女が僕に声をかけた時は、思わずびっくりしてしまった。
「ご、ごめんなさい……」
声をかけたアデニー姫の方が、びっくりしたようだった。
「びっくりしたよ……」
「ごめんなさい」
クスッと笑って、彼女は言った。誰も周りにいないことを確認してから、軽くキス
する。親しくなった男女は、雰囲気が変わるって言うけど、ちょうど僕とアデニーも、
その時そんな風だったんだろう。
「何か……わかって?」
「うん……大体の状況はね」
「で、どうなったの?アルタスやファーゴは……」
心配そうにアデニーが聞く。シュナイザーが機転を利かせて持ち出してくれてい
た、通信資料があったので、大体は解読できている。
「デニー湾攻撃は、イルペジュ連邦空軍のしわざだったよ。ペニー中佐、いや、ペニ
ーの奴は、モラビアを基地にして周囲の不穏分子の弾圧と鎮静に乗り出してるみ
たいだ」
「そう……」
「それと。デニー湾で、ファーゴ中佐が……戦死したよ」
「え!」
「……………」
「アルタスは?……アルタスも?」
「いや、行方はわからないが、少なくともデニーからは、脱出したみたいだ」
「そう……。みんな私のために生命を……こんな私のために……」
「止めろよ、そんな言い方……」
「だって……」
泣き出しそうな顔で、アデニーが僕の胸に飛び込んでくる。僕はやさしく彼女を
抱いた。こんな時、言葉は無力だ。強く抱きしめてあげる事しか、寂しさを紛らわ
せてあげることが出来ない。ただ、気がかりなことが一つだけ。意味のわからない
短い内容の無線があったことだ。
“ジュリエットからロミオへ。待て”
定時に必ずやってくるこの文は、イルペジュ連邦からだった。だが、これだけは
全く意味不明だった。それだけが、心の片隅で、何かくすぶっていた。何か重大
な意味を含んでるような気がしたんだけど……。周波数が軍用無線とは違ってい
たから。
朝がやってきた。窓越しに、正面のライネル山が見える。目の前に見える峡谷
は、雄大な景色だった。でも、どこかで見たことがあるような気がするのはなぜだ
ろう?まァ、峡谷と言っても、どこか皆似ている、と言ってしまえばそれまでだけど。
自然の偉大さは、こんな時ではなく、のんびりと旅をしながら見るもんだな、と思う。
解読は、全て順調だった。イルペジュ連邦の暗号無線も、解読データがあった
ので、おおよその両国間の進行状況はわかる。そして、30日の午後、二つ目の
意味不明の暗号無線を傍受した。そしてこれは、使用コードから、イルペジュ連邦
軍からペニー宛に送られたものだ、という事もわかった。
ちょうどこの時、表の方が急に騒がしくなった。みんな、ついに敵が襲ってきた
のかと色めきたって、手に手に銃を持って飛び出して行った。でもそれは、僕達に
とっては、一番心強い味方の来訪だった。アルタス大佐が生きていたのだ!
アルタス大佐というのは、不思議な人だ。それまで気持ちが沈んでいた皆だった
のに、彼一人来ただけで、こうもパアッと明るくなってしまう。彼が来ただけで、希
望が持てそうな、そんな気にさせてくれる。とにかく、今は、これ以上一人も死んで
ほしくない。
その夜、これまでの解読データを総合して、今後の検討をしていた時、僕は意味
不明の暗号文のことを皆に言った。
「どんな文なの?」
と、皆が聞く。アルタス大佐も好奇心いっぱいの目で、僕を見ている。
「うん……。最初のやつが、『ジュリエットからロミオへ。待て』……これだけなんだ
よ。まァ、軍用無線じゃないから、直接関係ないのかもしれないんだけど、こんな時
だからイタズラだったらたちが悪いけどね。もう一つの方は、ペニー宛の暗号文でね、
イルペジュ連邦軍から発信されてるんだけど、『サリナの亡霊。応援乞う』っていうや
つなんだ。サリナって、どこかで聞いたような気がするんだけど、なんか思い出せな
くって……」
不意にアデニーが、コーヒーカップを床に落とした。蒼白な顔をしている。放心状
態に近かったかもしれない。
「ジュリエットから……ロミオへ……待て……。そう言ったの?……まさか……そん
なことが……サリナの……亡霊……」
「どうしたんだ、アデニー!」
「……そう……生きてたの?!」
次に、アデニーの顔が、パアッと明るくなった。瞳が輝いている。
「姫。何か、この電文について御存知なのですか?」
アルタス大佐がアデニーに聞く。
「ええ……わかるわ。ジュリエットからロミオへ……これは私宛の電文よ」
「発信者はわかるのですか?」
「わかります!彼よ!」
「彼?」
「そう……ジュリア王子……」
「ジュリア?!まさか……」
絶句するアルタス大佐。ショックを受ける僕。
「間違いなくてよ。昔、私が彼に連絡する時は、ジュリアと似てるから、ジュリ
エットって彼のこと、呼んでたし……彼は私を、ロミオとジュリエットのお話から、
ロミオって呼んでたの。サリナの亡霊でしょう……サリナとは、彼のお父様、サ
リーナ王の事ではないのかしら?」
「ということは……」
皆、色めき立った。現在のイルペジュ・アマオ将軍は、革命という力を借りて、
サリーナ王一族を皆殺しにしたと聞く。もちろん、アデニーがそう言ったんだけど。
ということは、イルペジュ連邦でこれまで死んだとされ、皆からの信望の高かっ
たジュリア王子が、今回のアデニーの危機を救うため、立ち上がった事になるの
ではないだろうか。
僕らに彼を応援するような力はないけれど、今は彼が戦いに勝ち、現政府を打
ち倒してくれるのを祈るしかない。そして、では、僕らはどうすべきなのか?
このライネル山とベニン山との間の峡谷を目の前に見てると、先に進むべきか
どうか迷ってしまう。昔からここは、イーグル峡谷という名でもわかる通り鷲の巣で、
とても軍隊が進めるような舗装された道路など、あるはずもない。今も昔も、人々が
この峡谷を越えて行くのが大変であることに変わりはないのだ。
そして、それに加えて、前方と後方には、おそらく敵が進行してきている。僕らに
退路はないのだ。そして、進むべき道も……。しかし、じっとしているだけでは、むざ
むざやられるのを待つだけだ。
その日は夜遅くまで、今後のことも含め、検討が重ねられた。幸い、こちらからの
発信はしていないので、居場所はまだ敵にはわかっていないはずだ。でも、同時に
それは、ジュリア王子に、アデニー姫が無事に生き延びているかどうかを知らせるこ
とが出来ない、って事を意味する。彼はひたすら信じているのだ、かつての恋人が無
事であることを。それはもはや、僕も含めた他の人間が、とやかく言う筋合いではない。
今だに定期的に、メッセージは送られてきているのだ。
“ジュリエットからロミオへ。待て”
この短い電文に、彼の全ての気持ちがこめられている。僕は言った。
「打とうよ!アデニー姫が無事で、今ここにいることを、ジュリア王子に知らせようよ!」
「しかし……」
アルタス大佐以下、皆、そうすることは同時に、この場所が敵に知られてしまうのだ、
ということを知っている。
「打たなければ、連絡しなければ、二人に明日は来ないんだよ!」
僕は涙ながらに、皆に訴えた。アデニーが側で涙ぐんでいる。たしかに大きな賭には
違いなかった。彼の救いの手が早いか、敵の侵略の手が早いか……。そしてこれは、
彼が戦いに勝つという前提の話なのだ。でも、彼に勇気を与えるのは、アデニーが生き
ていること、それなのではないかと思う。
「よし!連絡しろ!」
アルタス大佐が叫ぶ。僕が無線機にかじりつく。周波数はメモってある。
同調がとれた。
「ロミオからジュリエットへ!……ロミオからジュリエットへ!」
雑音がひどい。たしかに電波の状態はあまり良くない。やがて、雑音に混じって、返
事が来た。
“ジュリエットからロミオへ!”
「やった!!」
皆、小躍りした。僕がマイクをアデニー姫に渡す。
「ロミオから……ジュリエットへ……ジュリア!」
“アデニー!無事か!”
「ええ、あなたも……」
“今、どこにいる?!”
「イーグル峡谷の近くの陸軍宿泊所です」
“わかった、心配しないでいい。イルペジュ連邦のアマオ将軍は倒した!”
「本当なの?」
“ああ、今や反乱軍はむこうの方だよ。僕らの軍は、これから、モラビアに進行し
て、君のお父さんの生命を奪った奴らをやっつけに行くよ。反乱軍は今や劣勢だ”
「ワオー!」
皆、喜びまわっている。僕もアルタス大佐と抱き合いながら、飛びはね回って
いた。
“アデニー!イーグル峡谷を越えて、スードリまで行けるか?”
「スードリへ?」
“そうだ。明日の午後には、スードリを僕らが制圧できるはずだ。そこで落ち合お
う、いいね!”
アデニー姫が唇を噛みしめて、涙が今にも溢れ出しそうな瞳で、大きく頷いた。
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